第7話 影絵とシンデレラと水晶と
「垂仁の文化祭で展示されるって……結構なプレッシャーなんだけどなぁ〜」
平日の放課後。階瞬市の病院まで来た俺は、勝手に話を進めたことのお咎めを受けていた。
「葛城先生に訊いてみたけど、橘製薬の代表さんまで見に来るらしいよ?」
「代表……」
「
「ああ……そうか」
時折メディアにも顔を出すから、名前を言われてすぐに思い出せた。デブンな体躯を誇りにしているような感じと尊大な感じで話す嫌な大人だ。話すたびに豊満な顎を撫でる光景がすぐに浮かんだ。
「自分が管理してる患者の様子でも見に来るのかな……」
「どうだろう。葛城先生が言うには純粋に楽しんでいるみたいだけどね」
日本の医療界を完全に牛耳っている一族の大将が文化祭を楽しんでいる光景なんて想像出来ない。あーだこーだとケチを付けていそうなイメージの方が強い。
「とにかく、ガラスの駅のことを知りたければとっておきの影絵を完成させる必要があるわけだね?」
「うん。そう……約束しちゃったからさ」
事の流れは桐谷経由でヒメに全て伝えられた。ガラスの駅を突き止めるにはヒメの協力が必要不可欠になり、桐谷はもう俺との接触を秘密で通すことは出来なくなったから、淳二も関わっていたことをヒメは知っている。
「でもまぁ……水晶症候群の人たちが作り上げた作品が並ぶのは、世間様に理解してもらえる大事な行為かもね。その恵君を殴った人は私たちを化け物だと思ったんだろうから」
「どの時代にもいるよな……ああいう理解力のない輩」
「その輩には天誅があるとして、カー君は何を出すの?」
「とりあえずの趣味……プラモとか」
「ふ〜ん? 男の子だねぇ」
とはいえ、本気でプラモデルを出展するのなら、プラモデル会社主催の大会とかで受賞するようなレベルのやつを出さないと、井の中の蛙と嘲笑されるだけだ。それこそ、淳二が草結放送部の活動日誌に載せたようなレベルじゃ無理だ。対して、
「ヒメはどんな影絵にするつもりなのよ?」
「何でオネェなの?」
それを無視して、俺はソファーとテーブルを占領している鉛筆とか画用紙を見た。他にも漫画家が使うライトテーブル、クリアファイル、カミソリもある。どれも影絵制作に必要なものなんだろうけど、どんな風に作るのかは想像出来ない。
「影絵って作るのって難しいんだ?」
「ん〜ん、コツと知識と慣れれば誰でも作れるよ」
ヘイ、カマン、カマン、とヒメは上半身をベッドから乗り出してスマートフォンを振った。そこに見るべきものがあると察し、俺はその画面を覗き込んだ。
そうして示された画面には、陳腐な称賛が逆に恥ずかしくなるような素晴らしい影絵の写真が浮かんでいる。
「カー君が引っ越した後、茜に誘われて、この影絵を作った
ほら、と画面が絵巻のように動くたびに、影絵の清水寺、七色を背負う人魚たちのロンド、天降る天使、聖書の一場面、芸術に嗜みはない俺でも圧倒された。
「これを見て影響されちゃったんだよね。死んで後悔することは……たぶん、私の影絵たちの行方かな?」
ちらりと視線が向かった先には布を纏ったキャンバスが積まれており、見ても? と確認してから布を捲った。布団みたいに分厚い布の下から出て来た作品は、古事記の天岩戸、聖書のゴルゴタの丘、ラーマーヤナのインドラの矢、キャンバスに乗せられた作品が他にもたくさんあった。浮かび上がる光と闇の共演は実に見事で、堪らず俺は一つの作品を持って窓際に向かった。
久しぶりの快晴に相応しい紺碧を背負ったヒメの影絵はとにかく綺麗で、個人的な好みとかはあると思うけど、個展を開いたら俺は絶対に見に行くだろう。俺のプラモと比べたらまさに天と地だ。
「これは欲しいなぁ……」
思わず欲望を吐き出してしまうほどに、ヒメの影絵は魅力的だ。
「好きなのあげるよ? カー君にならいくらでも」
「でも……」
「持っていても意味がなくなるのは確定なんだから、カー君が飾ってくれるなら、その子たちも嬉しいと思うよ」
「じゃあ……これを寮の部屋に飾らせてもらおうかな」
もらったのは、水晶と化している時計を中心に、水晶化している男女がその下で仲睦まじげに踊り、時計の上では水晶のように煌めく十二単と水晶化した平額を付けた女神が昇天しているかのように目を閉じている影絵だ。
「これは……水晶症候群がモチーフ?」
「タイトルは水晶のシンデレラ……か、な?」
「シンデレラ……」
「時計仕掛けのシンデレラは零時の鐘が鳴ると同時に、全身が水晶と化し、男はそれを拒んで一緒に水晶と化す……ハッピーエンドだねぇ」
「確かに……男からすればそれが幸せだろうね。置いていかれるよりは……」
でも、文化祭で展示するならベタな希望とか明るいモチーフが欲しい。これだと一般人が見たら心中希望とか思われそうな気がする。
「展示、か。やるなら大きいやつにしないとインパクトはなさそうだね。カー君よりも大きいやつを作ろうか」
俺の身長は確か一七五センチだから……二メートル級?
「細長いやつにして……聖書か、古事記風かな? それともオリジナルの神様でも作ろうか」
「それなら……さっきのシンデレラのハッピーエンド、みたいなのが良いんじゃないかな? 当たり障りのない」
「一般的なハッピーエンドかぁ……作れるかな」
「大丈夫、出来ることなら手伝うからさ」
「プラモはいいの?」
「ヒメの実力を見て井の中の蛙と思い知らされてしまいました」
「そうなんだ。じゃあ……持ち込んだのはカー君なんだし、付き合ってもらおうかな♪」
ヒメが望んだガラスの駅のためなんだけど、とは言わず、俺はそれを了承して部屋の片付けをし、桐谷が手配してくれた折りたたみ式のテーブルを病室に運び、ヒメが欲しいと言った道具とかを数日かけて運び入れた。ヒメが動けるうちに完成させないといけないこともあり、プレッシャーと制限時間が爆弾とか癌みたいに精神と身体を壊さないことを祈りつつ、俺は何日も病室に通った。
見たことのない技術で影絵の製作を続けているヒメの姿は綺麗で、水晶症候群とは思えない生き生きとした表情は見ていて嬉しかった。口では終わりを望んでいても、命としては生きたいと願っている。心と魂がズレているような諦観と達観が混じった表情よりも、美しく見えるのはこっちなんだろう。とはいえ、もうヒメにその美しい表情は続けられない。
だけど、その現実に反して二メートルもある厚手の紙を受け止めるテーブルの上に広がる下絵は、あの葛飾北斎の冨嶽三十六景のように生き生きとしていて、今にも飛び出してきそうな勢いだ。これだけを見せたら、誰も水晶症候群の人が描いたとは思わないだろう。
シンデレラの本、文学、水晶症候群患者の患部写真、藤城清二様の資料とかも大量に持ち込まれ、病室は数日もしないうちにアトリエになった。ここまで好き勝手に出来るのは、ヒメの身柄が橘製薬の庇護下にあり、彼女を入院させていることで階瞬病院にも協力金が支払われているからだ。
そんなアトリエに入り浸り、ヒメが手掛ける影絵のアシスタント作業に従事していたのだが、危惧していた事態が起きた。
『姫子の右腕が水晶化した……影絵製作はここまでかも……』
一学期の期末テストがようやく終わり、明日から夏休みが始まる、というタイミングでこのメールが桐谷から届いた。それは淳二にも伝えられており、俺は桐谷とも合流し、夏休みと間近に控える文化祭に心を弾ませている同級生たちの間を抜けた。
通夜帰りのような沈黙を連れたまま、俺たちは一言も発しないまま階瞬病院まで来た。今すぐにでも走り出したい衝動を抑えたまま、いつもより長く感じるエレベーターを待って、806号室の引き戸をノックした。
「カー君……ごめんね? 腕……こんなになっちゃった」
アトリエのベッドで上半身を起こしていたヒメは、俺たちの姿を認めると、自嘲するような感じで右腕の水晶クラスターを見せた。右手は小指と薬指以外は完全に水晶と化しており、腕は肩の下までが水晶化している。
「あっ……」
その光景を見――抱いた気持ちが、選んだ言葉が適切なのかはわからないけど、俺は水晶になりかけているヒメを綺麗だと感じてしまった。
「……体調の方はどう? まだ動けるの?」
動けなかった俺の横を抜けた桐谷は、道中で買って来たお見舞いの花を小さな花瓶に差しつつ訊いた。
「動くことは出来るけど……さすがにもう右腕は使えないかな……体力も落ちたし……」
「確かに……その腕で影絵は無理そうだな」
「両利きなら良かったねぇ……そこまで器用じゃないのが心残り、か……」
う〜、とヒメは仰向けになった。その動きはスローモーションみたいで、体力の低下が顕著に見える。あの様子じゃ腕が平気でも無理だったかもしれない。
「カー君、今更だけど……プラモデルにしてもらって平気か、な」
全員の視線が俺に刺さる。確かにヒメの腕を見たら、もう影絵を作るのは無理だと全員が判断するだろう。だけど、今更プラモデルの展示なんて無理だ。
「いや、影絵は止めない。俺が続けるよ」
「えっ?」
「はぁ?」
「ほう?」
三人三色な反応が起きたが、俺は桐谷からの鋭い視線を受け止めた。
「ヒメから教わってその通りにしていけば……」
幸いにも明日から夏休みだ。いくらでも教えてもらう時間はある。だけど、
「でも……カー君はせっかくの夏休みだよ? プラモデルだって……」
「プラモはもうどうでもいい。あんなのはただの暇つぶし……俺はヒメが手掛けた影絵が見たいんだ」
「それは……嬉しいけど……」
「教えてもらいながらじゃ出来ない?」
縋るみたいな言い方だけど、俺はヒメの目を見据えたまま言った。そんな俺の後ろには作りかけの影絵が横たわっている。
「あれを放棄するのは……もったいないよ」
その一押しにヒメは桐谷を一瞥してから、静かに頷いた。
「……そこまで言ってくれるなら……一緒に作ろう?」
だけど、とヒメは付け加え、
「やるからにはスパルタだよ?」
その言葉をきっかけに、俺の夏休みは影絵製作に捧げられることになった。
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