第二十話

 魔王城は、思っていたよりも綺麗だった。てっきり血生臭く薄汚れた場所を想像していたが、違ったようだ。私は麻縄で括られた腕を引っ張られながら、魔物にひたすら着いてゆく。

 やがてたどり着いたのは、大きな大きな門だった。両側には紫色の炎が盛る燭台があり、漆黒の門をあやしく照らしている。


「魔王様、失礼します。例の実験体を連れてまいりました」


 魔物が放った言葉に、やや思考の反応が遅れる。……実験体?私のことを指しているのだろうか。早く入れと背を蹴られ、転びそうになりながら門を潜った先にいたのは、これまで見たどの城よりも大きな玉座に座る、見目麗しい青年の姿だった。切れ長の瞳に、鼻筋の通った顔立ち。長い黒髪はそのまま流しているが不潔さはない。両耳の上から生える漆黒の角さえなければ、人間と言われてもおかしくない外見をしていた。


「お前が実験場から逃走した者だな?」


 私ははいともいいえとも言わなかった。実験場、と示した場所に心当たりがないわけではない。だがその前に知りたいことが山ほどあった。口を開いて良いものか迷いながらも、疑問を発する。


「私は、何なの」

「……ハッハッハッハッ!自らが何者かも分からず飛び出したという訳か。面白い、他の実験体はみな命令に従うだけの傀儡に過ぎなかったが、お前はどうやら違ったらしい」

「何のこと?私は一体何なの!なぜ人間である私がここに連れて来られなければならない!」


 私の叫びに、先ほどまで楽しげに笑っていた魔王は凍てつく目をこちらに向けた。


「何?人間だと?お前の意識は人間なのか。配分を間違えたか?ハァ……、人間はやはり愚かだな。魔族の血を汚すだけに過ぎない」


 縛られた両手が震える。きつく縛られ血流が滞ったが故ではない。私が想定しうる、最悪を仄めかす言葉に恐怖しているのだ。私は、人間だ。人間のはずなのだ。


「おかしいとは思わなかったのか?シャグアンを襲わせた魔物は魔王軍の中でも指折りの精鋭たちだ。それを、人間の矢ごときが貫けると?自惚れるなよ」


 私の脳内に、今までの記憶が蘇る。

 体力がないはずの私が、なぜ目覚めた村からコマンの町まで歩くことができたのか。なぜ、ループスの硬い毛皮を木の枝で貫くことができたのか。なぜ、経験したこともない弓矢を私がすぐに扱えるようになったのか。なぜ、私の顔が変わっていたのか。

 今まで「そういうものだ」と片付けてきたはずの違和感が、私を次々と襲いくる。異世界転生にはよくあること?そんな理由なんかじゃない。私は。


「お前は実験体だ。魔族と人間を合成する実験のな」


 あ、あ、と言葉にならない声が漏れる。嫌な予感は、完全に命中してしまった。攫われる子ども、国境で忽然といなくなったキャルム王国の兵士たち。食べるため?そんな理由じゃない。多分、それは。


「ハァ……。長年人間どもと戦い、歴代の魔王が敗れてきた。勇者と名乗る、たかだか人間にな。魔族にはない何かが人間にあるのかもしれないと思ったが、魔族に逆らうとは、どうやら失敗のようだな。もういい、こいつを処分しろ」

「ハッ!」


 魔王の側に支えていた、鎧の魔物が私の首を狙っている。待って。私は死にたくない。どうして。


--私は、魔王の傀儡として生み出された化け物だった。


 嫌だ。私はこんなことを望んでいない。こんな世界に連れて来られたのも、戦いに巻き込まれたことも。ここで、理不尽に死ぬことも。

 振り上げられた剣が、私をことごとく切り刻む。激しい痛みが体を襲い、いやに青みがかった血液が吹き出す。何度も、何度も、息絶えるまでそれは続けられる。

 こうなったのは、全て魔王のせいだ。抵抗できないながらも、魔王から目を離さない。私をここへ連れてきて、私をここで殺す魔王。恨むことしかできないまま、痛みに悶え、それでも魔王の顔を見る。


--まったく、無様な死に方だったな。


 決してなくなってはくれない痛覚が、これでもかと痛みを訴える。薄れゆく意識と、それでも最後まで睨めつけた先の魔王は、興を削がれた顔をして、わたしを見下している。


--わたしは、一体なんのために生きたのか。


 ひゅうひゅうと体が酸素を求めているのを嘲笑うかのように、とどまることなく私の血液が体外へ流れ出てゆく。薄暗い城の、存外に美しい床へと視線は落ち、私の体は地に伏せた。

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