第十五話

 人間とは面白いもので、前日まで嫌だ嫌だと駄々をこねても諦めがつけば何の感情も湧かなくなる。もらったばかりの厚手の皮の装備を纏い、新品の弓矢とカバンを背負う。ちなみに、いわゆる銀行なるものがこの世界にもあることを知った私は、手持ちを最小限にして残りは預けてしまった。

 正門前に着くと、クラトス王が言っていた通り、旅立つ装いの兵士が立っている。スワンの人好きのする顔とはまた違い、少し厳つい顔つきの男性だ。背に剣を背負っている。剣士だろうか。


「あの、おはようございます。今日一緒にお供します、フォステと申します」


 彼はこちらに視線を向けて、一礼した。そして顔を上げるなり--


「あらぁ!あなたがフォステちゃんね!陛下から聞いたわ、コマンの町の事件を解決した腕利きだって。スワンもいることだし、安心ね!」


 この国には、ギャップがないと入隊できない法律でもあるのだろうか。もはや動揺する元気もなくなってきた。この人と、スワンと、私……。勝算は一体あるのだろうか。


「おはよう!では早速出発としようか」

「いやいや、ちょっと待ってください。作戦とかないんですか?あなたは国随一の策士なんですよね?」


 到着するなり出発宣言をしたスワンに待ったをかける。無策は死に直結すると言っているのに、この体たらく。


「大丈夫よ、スワンはいついかなる時でも最善の策を見出すわ。下手に事前に決めてかかるより、その場その場で状況を判断して貰うのが一番よ」

「そうだ、僕に任せてくれ!」


 信ずる証拠など微塵もないが、二対一で私の負けだ。従うほかない。最悪の場合は私ひとりで逃亡することも考えなければならないなと思いながら、二人のあとをついてゆく。

 だが意外なことに、国境までの道のりはスムーズだった。というのも、同行してくれた剣士、マーガレットさん(こっそりとスワンが本名は別にあることを教えてくれた)があまりに強く、私の出番など一度もなかったからだ。


「その、マーガレットさんは今までの調査にはなぜ行かなかったんですか?」

「それがねぇ、ちょっと最近お肌の調子が……ごほん、いいえ、別任務についていたのよぉ」

「そ、そうでしたか」


 もう深く追求するまい。この平和ボケした国の兵士に当たり前を求めるのは間違っているのだ。別任務が肌のコンディションを整えることだったとしても、もう私は何も突っ込まない。

 ただ、マーガレットさんが強いこと、これは私にとっての大きな安心材料になった。正直スワンと二人での調査では死ぬほかないと思っていた。そこにこれだけバッサバッサと魔物を切り裂いてくれるツワモノが加われば、百人力だ。たとえ、国境にいるであろう魔物が、今までの兵士たちをあの世へ葬ってきたとしても。

 さて、くだんの国境は目前まで迫っている。彷徨く魔物の数も、心なしか増えてきたような気がする。だが私の緊張ぶりとは正反対に、二人はなぜか談笑しながら歩いているという能天気ぶり。


「あの、緊張しないんですか」


 私がそう尋ねると、二人は振り返って、首を傾げた。これから死地に赴くというのに、死や未知の魔物への恐怖はないのか。暗にそう問うた。


「そんなの、怖いに決まってるじゃなぁい!」


 マーガレットさんの答えは、当たり前の答えだった。スワンもそれに頷いている。ならばなぜ。私の問いに、今度は真剣な顔をして、マーガレットさんは続ける。


「いいこと?戦うってことは、常に死と向き合うことなのよ。戦い慣れた相手であろうと、少しこちらが隙を見せればすぐに命を取られる。そしてそれは逆も同じことよ。フォステちゃんは国境にいる魔物を畏れているんだろうけど……それはどんな相手にだって当たり前に持つべき感情よ。だからね、あたしは正しく恐怖しているわ。戦う時は、いつだって」


 マーガレットさんの言葉に、私は恥じる。私は自惚れていたのだ。私が無心でループスを討ち、トドメを刺さずに皮を剥ぎ続けたのは、慢心からに違いなかった。何度も戦った相手だから。行動パターンが分かっているから。けれど私が殺さぬままとっておいたループスたちは、私を殺さんとして機を狙い続けていたのだ。おそらく、息絶えるまで。

 相手が強いかもしれないから恐るのではない。相手に命を狙われている間は、それがどんな相手であれ危機なのだ。戦場において、当然の摂理である。それを二人とも、よく知っている。


「フォステちゃんは、怖がっていいのよ。正しい恐怖は、油断を防ぐから。だけど、そうね、相手の隙を狙い続けることだけは忘れないで。……大丈夫、スワンはそれを一番得意としているわ」


 マーガレットさんは、その強面な顔をにっこりとさせて笑った。私はぎゅっとえびらの紐をきゅっと握り、頷いた。


「さあ、士気も上がったことだし、敵陣へと向かうわよ!」

「はい!」


 もう少し進めば、きっと相手に気取られる距離まで来た。相変わらず私は怖い。マーガレットさんはそれが正しいと言った。だから私はこの恐怖から逃げない。私がこれからも生きていけるように。

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