第十話

 よく眠った気がする。瞼と目尻にかぴかぴとした痕が残っているせいで目が開きにくい。柔らかなベッドからゆっくり降りて、洗面所の戸を開く。ばしゃばしゃと雑に顔に水をかけて、やっと意識が覚醒し……。


「えっ……」


 私の顔が変わっている。いや、私の顔に違いはないのだが、少しずつ、何かが違っている。 

 例えば私の唇は、すっぴんではいつも血色のない、極めて肌色に近い色だったのが、綺麗な鴇色に変わっている。ごしごしと擦ったって、それは変わらない。そもそも、こんな色のリップを塗った覚えもない。

 そして目のかたち。これが決定的だった。私はもともとタレ目だったはずだ。それがどうして、やや吊り目のアーモンド型の瞳に変わっている。いやいやいや。


「私の顔、こんな顔じゃ……」


 違うけれど、確かに自分だとわかるのが気味悪い。私に似ている別人だと言われた方がまだマシだ。私と同じ形の眉毛が、情けなくハの字を描いている。

 そういえば、この世界に来てから碌に鏡など見ていなかった。例えば髪の色が違うとか、そんな大きな違いならすぐに気がついたはずだ。私の顔は、いつから違っているのだろう。この世界で目が覚めた瞬間からなのか、あるいは徐々に変わっているのか。

 ふい、と鏡から目を背ける。私は今までの私とは違うのだと、まざまざと見せつけられるのが耐えられなかった。シャワーを浴びて、横目に鏡を見ながら身なりを整える。

 今日はサヴァンの家に行くと約束しているのだ。いい加減、一文なしではいられない。きっと良い値になるであろうループスの皮が鞄に入っていることを確認して、宿を出た。


「よく来たね、フォステ」

「おはよう、おねえちゃん」

「おはようございます」


 サヴァンの家は、宿屋からすぐだ。足りなかったものが埋まった家は、以前より活気がある。利発そうだと一見して思った子どもは、やはり子どもらしく「じゃあ僕は遊びに行ってくる!」と元気に私の横を通ってゆく。ことが起こって間もないため心配なのだろう、サヴァンは「ちゃんと昼には帰ってくるんだぞ」「人通りの少ないところを歩かない、子どもだけで外にいかない……」とエトワレを足止めするも「わかってるってば!昨日も何十回もきいたよ!」と遮られてしまっていた。そのやりとりがなんだか可笑しくて、ついくすりと笑ってしまう。


「ああ、見苦しいところを見せてしまったね」

「いえ、心配なのも無理はありませんから」


 昨日まで檻に閉じ込められていたことで遊びに行くのを怖がるのではと思っていたが、杞憂だったようだ。


「今日はお金のことを知りたいんです」

「そうであった、ちゃっかりループスの皮も持ち帰ってきたと言っていたな。どれ、見せてみなさい」


 サヴァンに剥ぎ取った皮を見せると、まるで鑑定士がするようにじっくりと見たあと、ウンと頷いた。


「これは大体銀貨二枚になるだろう」

「銀貨?」

「世界の国々で定めた通貨があるのだ。金貨、銀貨、そして銅貨。もちろん一番価値が高いのが、金貨だ」


 彼の説明曰く、金貨一枚は銀貨二十枚、銀貨一枚は銅貨百枚とのことだった。地域によって物価は変わることもあるらしい。


「それで、銀貨二枚はどれだけの価値なのですか?」

「それを今から一緒に見に行こうじゃないか」


 サヴァンと共に家を出ると、まずは質屋へ向かった。質屋は武器や防具、魔物から取れるもの、あらゆる物を買い取り、売る店らしい。ループスの皮の状態は、おそらくそこまで良くはないのだろう。町を救ったボーナス、ということで一枚あたり銀貨二枚と銅貨三十枚。そしてループスの皮が六枚あるので合わせて銀貨が十三枚と銅貨が八十枚。ああ、駄目だ。もうすでに頭が混乱してきた。私はただでさえ数字を苦手として生きてきたのに……。

 そんな私を見たサヴァンは快活に笑いながら果物屋に服屋、生活用品屋……とひと通り紹介してまわった。結局私は金銭感覚がわからぬままであったが、何となく、ループスの皮六枚分のお金では数ヶ月暮らせるかどうかくらいだろうと思われる。


「ありがとうございました……」

「どういたしまして。……以前より気になってはいたのだが、君はどうも世間知らずに見える」

「はい、その……」

「フォステ、君がどこから来たのか気になるところではあるが、言いにくい事情でもあるのだろう。詮索はしないよ」


 国同士がよほど厳格でない限りは例え自分の出自があやふやでも問題ないらしい。特にこのキャルム王国に関しては、そのあたりはめっぽうらしい。彼はもし出自を問われることがあればキャルム王国のコマンの町だと言えばいい、とも付け加えた。


「気が向いたら、この町を出てキャルム城へ向かうのも良いだろう。ここよりずっと栄えている、いわば国の中心だ。そこで色々刺激を受けるといい」

「今日も色々とありがとうございます」

「いや、気にすることはない。また何でも聞くといい」


 にっこり笑ったサヴァンは、昼を少し過ぎて戻ってきたエトワレを少し問い詰めたあと、「食事にしよう」と買ってきたばかりの新鮮な猪肉を使ったステーキを焼き、三人で食卓を囲んだ。


--旅をすれば私の行く先が分かるのだろうか。


 談笑しながらも思案する。きっと、この町に住み着いてしまっては、きっと元の世界に帰る手がかりも、私がなぜここにいるのかという問いの答えも得られないだろう。

 私は、この町を出て旅に出る。そう決意した。

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