第九話

 町に着くには孤島を出てから丸一日かかった。子どもの歩幅に合わせて歩くと時間がかかる。当たり前のことではあるが、いつ魔物に襲われるか分からない状況で子どもを十人も連れて歩くというのは、中々神経を使うことだった。


「おお、おお、エトワレよ。無事なんだな?何もされてないか?」

「おじいちゃん、会いたかった」


 町に着くと、サヴァンが町の入り口で立っていた。彼は私が旅立ってからというもの、寝る間も惜しんで帰りを待っていたらしかった。彼の眼の下に色濃い隈はあるものの、その疲れなど吹き飛んだと言わんばかりに目を輝かせ、孫の無事を喜んだ。彼はひとしきり孫との再会を味わったあと、私と子ども達とともに、親の元へと一軒一軒送りとどけた。


「本当にありがとう。本当に……!」


 私が子どもを連れ帰ったということは、瞬く間に町中に広まった。いつ何時我が子が拐われるかと思うと、いっときも目を離せず心細い思いをしてきたのだと、沢山の親たちが私を取り囲んでは涙した。


--あの時逃げなくて、良かった。


 人からこんなにも感謝をされることなど、産まれて初めてだった。私が命をかけて守ったのは、拐われた子どもたちだけでなかったのだ。この歓びは、どう言葉にしたら良いのだろう。味わったことのない感覚に、心が浮き立つのと同時に、少しだけ、じくりと胸が痛む感覚がする。

 町もまた、浮かれていた。ラッパ吹きが軽快な音楽を奏でながら練り歩き、大人たちは子どものように肩を組んで歌っている。こんな光景も、産まれて初めて見るものだった。


「フォステよ。今回のこと、心より感謝する。君が旅立ってから、ずっと後悔していたのだ。君を一人死地に送り込むより、やはり私が自ら赴くべきだったのではないか、と。君は勇敢だ。私にできなかったことを、それも他人のためにやってのけた」

「いいえ。……私は、逃げようと思いました。砂浜で触手のような魔物に出会ったときも、ループスの群れとその親玉を見た時も。だから決して、私は勇敢では……」

「だが、君はここへ子どもを連れて帰った。それが証にはならないのかね?」

「それは……」

「相手は魔物なのだ。それも、親玉もいたと。君はまだ年若い人間だ、恐れる気持ちがあるのは当然のことだよ。戦った動機がたとえ罪悪感だとしても、君の成したことは変わらない。私はそれを踏まえて、君を勇敢だと思うのだよ」


 サヴァンの言葉が、私の胸のつかえを解いてゆく。私の頬を一筋、温かなものが溢れてゆく。私は怖かった。ずっと気を張り続けていた。その場しのぎの策で親玉に挑んだこと、親玉にトドメを刺したこと、いつ動き出すか分からぬループスの皮を剥いだこと、子どもたちが閉じ込められていた檻の鍵を開けたこと、子ども達を連れてここまで戻ってきたこと。全て全て、私はたしかに恐れていた。

 私はサヴァンに語った。旅の顛末を、私の心のうちも含めて、全て。彼は決して否定せず、優しい眼差しで私を見守った。


「改めて礼を言う。ありがとう、フォステ。この恩は絶対に忘れない。約束通り、この世界についても引き続き教えよう。君さえよければ、しばらくここに留まるといい。二千人程度しかいない小さな町だが、それなりに楽しめるだろう」


 サヴァンはそう言うと「今日はもう疲れただろう、うちでゆっくり休むといい……と言いたいところだが、孫が帰って来たゆえもうベッドを貸してやるわけにはいかなくなった」と冗談めかして笑う。なるほど、この人にはこんなお茶目なところもあったのかと意外に思っていると、サヴァンは宿屋の看板を指差した。


「君は今や町中の恩人だ。宿屋の主人に聞いたら無料で泊めてくれるそうだよ」


 彼はにやりと笑った。きっと彼が口利きしてくれたのだろう。ありがたいことだ、なんせ私はまだ一文なしで、お金のことも分からないのだから。

 また明日サヴァンの家に立ち寄って、世間知らずの私に色々と教えてもらう約束を取り付けたあと、私は言われた通り宿屋へと向かった。少し無愛想な主人が「子ども達を救った礼に、特別に、君のことはタダで泊めてあげよう」と少し恩着せがましく言った。そんな彼に礼を告げ、二階の部屋へと向かう。


「……ハァー」


 部屋から眺める景色は、見晴らしが良かった。レンガ調の街並みを見ていると、まるで海外旅行をしているような気分にさせた。そう、まるで今まであったことは全て夢であったのではないかと思うほど……。

 けれど、カバンの中に入っている毛皮やら武器やらが、私の希望を否定する。サヴァンはここにいて良いと言ってくれた。だがその言葉を受け入れられない自分がいる。


--私の居場所は、ここではない筈だったのに。


 誰にも打ち明けられないが、それは確かに胸に巣食っている。この町で、時折魔物と戦い日銭を稼ぎながら暮らしていく。そんな未来を、私は受け入れられない。

 私は帰りたい。死を隣に感じることなく、安穏とした日々を送りたい。かつては当たり前にあったそれが、無性に恋しい。今頃友達はどうしているのだろう。大学の単位は?お母さんは心配していないだろうか。

 夜になっても変わらず賑やかさを保つ町を、どうにも今は見たくなかった。カーテンを閉め切り、布団の中に潜り込む。


--私は、どうしてここに。

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