第六話
ボロボロの姿で現れた、世界を知らないただの女が「孫を救いたい」だなんて不相応だったろうか。サヴァンは目をきょろりと動かしたあと、平静を取り戻すようにごほんと咳をひとつした。
「やめておきなさい。相手が悪い。……それに」
「それに?」
「この町--コマンの町を統治しているキャルム王国には既に救援依頼を出しているのだ。それも、かなり前からな」
サヴァンは自嘲めいた笑みを浮かべ「本当は私が助けに行くことができれば良かったのだが」と続ける。
「残念ながらこの足腰では、いくら魔法が使えようとも魔獣どもの相手になるまい」
「魔法を使えるんですか」
「ああ、簡単なものばかりだが。魔法は、使える者が限られている。魔物どもは簡単に使っているが、人間の場合はそうはいかない。そもそも、魔法は魔物の使う技を真似たものだ。未だ分からぬ魔法も多くある」
なるほど、事態は簡単ではないようだった。私も魔法を使えるようにならないかとの期待も、これでは難しそうだ。差し出された紅茶をありがたく口にしながら、また一つ、疑問をぶつける。
「敵はどんな連中なのですか」
サヴァンは、なぜか私の問いに答えなかった。空気が張り詰めたような気がして、沈黙が息苦しい。数分経ったろうか、彼は再び口を開いた。
「……ループスだ。君が昨日皮を剥いできたという。……すまない、私は決して善意だけでここへ招いたわけではない。藁にも縋る思いだったのだ。君がもしループスを倒せるほどの実力があるのなら、と」
彼の言葉を聞いて得心がいった。私の持つ毛皮を見て、彼は私に声をかけたのだ。見ず知らずの怪しい女にわざわざ声をかけて、丁重にもてなすなど普通はしない。だが、彼に恩を売られたとは思わなかった。彼の優しさは、紛れもなく本物だ。孫を思う気持ちあってこその行動を責めることはできない。それに、私から問いかけねば、きっとこの人は私に助けを求めることなどなかっただろう。
「居どころは分かっているのですか?」
「おそらく、ではあるが。ここから南東に進むと、海岸に出る。湾が入り組んだ海岸なのだが、その中心に孤島がある。何もないので誰も近づかないような場所だったが、魔物にとっては好都合の場所だ」
「そこへ行くには?」
「海岸には捨てられた小舟が沢山ある。大昔は漁業も盛んだったようだが、海でも魔物が出るようになってから、みな廃業したのだよ」
サヴァンから話を聞いている限り、どうもこの国は魔物に対して消極的な気がする。いや、私がゲームやら小説やらで見ていた世界と照らし合わせた先入観かもしれないが、長年魔族とやり合ってきたにしては、やられっぱなしの印象だ。
だが私の手に負えるのだろうか。一度は勝てた相手だ。けれど、さすがに木の枝だけでは限界だろう。
そんな私の懸念を先取りするように、サヴァンは大きな荷物を取り出した。
「これは私からフォステ、君へのせめてもの餞別だ。受けとってほしい」
地図と一緒に持ってきた荷物のようだった。ずしりと重たいそれを受け取り、中を覗く。そこには手に馴染む小刀と、弓矢、皮を鞣して作られたであろう、鎧と小手に靴。飲み水に食料、そしてそれらを入れるための小さな皮のリュック。この世界におけるお金の概念も知らないままだが、これだけのものを集めるには、きっと大枚を叩くことになったろう。
もしかすると彼は、私がこの申し出をしなければ、彼自身が捨て身で孫を助けに行ったのではないかと勘繰ってしまうくらいには、準備周到だった。ここまでされて、引き下がる訳にはいかなかった。何よりこの世界へ飛ばされた私の生きる意味を、見出したかった。
「わかりました。必ず、必ず助けに行きます」
「ありがとう、こんな狡いやり口に乗ってくれて。本当に……」
サヴァンは、シワの刻まれた顔をくしゃくしゃに歪めて、一粒、涙した。
「孫の名はエトワレという。まだ背丈も君の腰の高さほどしかない男の子だ。だがとても賢い子なんだ、どうか、どうにか生きていてほしい……」
彼は両手をぐっと組み、祈った。他でもない、わたしに。腹の中に渦巻く不安は、多分死に近づくことへの恐怖だ。昨日まで相対していたもの。
私はただの人間だ。異世界に転生したからといって、何か特段成長したわけでも、特別な力を持っている訳でもない、ただの人間だ。
だが、この世界に生き、魔物に立ち向かっているのもまた、ただの人間なのだ。私が人間であることを理由に、仕方のないことと見限ってしまっては、私は一生後悔する。
私は彼の固く握られた両手を包み、誓う。
「私は、きっとエトワレくんを連れて帰ります。無事に帰ることができたら、また私にこの世界のこと、教えてください」
「もちろんだ、もちろんだよ。だが決して無茶なことはしないでくれ。君が死して悲しむ者がいるということを、忘れないでくれ」
それから私はサヴァンにもらった武器の扱いを覚えることに一日を費やした。
その翌朝、私は皮の防具を身につけて、カバンと箙を背負い、コマンの町を発った。
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