第五話

 朝というには遅すぎる時間に、目が覚めた。陽の光が星柄のカーテンの隙間から漏れ出ている。今は何時だろう、と時計を探すとこれまた星のかたちをした時計が午前十一時を指している。時間は日本、もといた世界と同じなのだろうか、と新たな疑問を浮かべながら、一歩一歩足を踏み外さないようにして階段を降りる。


「おや、起きたか。どれ、朝食にしよう」

「おはようございます」

「そういえば、まだ名前も名乗っていなかったな。私の名はサヴァンだ。君の名を聞いても?」


 ハムエッグの乗ったトーストをテーブルに置いた彼は、私の名を尋ねた。少し逡巡して、私はひとつ嘘をついた。


「……私はフォステといいます。森の向こうの、さらに奥にある村落から来ました」

「森の奥の?それは本当かね」


 いかにも驚愕したという表情で老人、いやサヴァンは続けた。


「あの森には獰猛な魔物もいる。そこを抜けてきたのか、いやはや驚いた。実は昨日から気になってはいたが、林檎を入れていた袋は、もしやループス……狼のような魔獣の皮ではないかね」

「はい。倒したら消えてしまうのに、皮は残ることが不思議でした」

「やはりか。ループスは警戒心も強く、かといって魔物たちは殺せば消えて消滅する。だからその皮は大層希少価値が高い。もっとも、なぜ切り取った皮だけが消えずにいるのかは良く分からないのだがね」


 魔物の生態については、この世界の住人にも知らぬことが多そうだ。私は続けて昨日の疑問をぶつける。


「あの、昨日『また魔王が台頭している』と仰っていましたよね。以前にも同じことが?」

「ああ、何百年と同じ歴史を繰り返しているよ。魔物の中から強い個体が長となり、統治する。より強い力を持った魔王は人間の脅威となる。あいつらは、残虐なのだ。そこらの動物のように畑を荒らすだけならまだ良いが、……子どもを攫って喰らったり、楽しみとして人間を殺すこともある。知能が高い魔物ほど、狡猾にな」

「……そうでしたか」

「魔王が現れ、人間たちに強い害をもたらすようになると、魔王に挑む者が現れる。人はその者を勇者と呼ぶ。勇者が魔王を伐てば、平和な世界が戻ってくる」


 彼は目を伏せ、しかし膝の上で握った拳はぶるぶると震えている。もしかすると、彼の孫だけでなく、子どもも魔物によって失ったのかもしれなかった。

 勇者、という言葉は私にとっては聞き馴染みのある言葉だ。ゲームや小説に散々出てくる、当たり前の言葉。私は、勇者が魔王を討つところまでを物語として楽しんできた。しかしこの世界においては、例えいっとき勇者が魔王を倒そうとも、いずれは再び魔王が戻る。その繰り返しを、している。


「ときに、君は森の向こうから来たと言ったが、村落があったとは知らなんだ」

「それは……、私にもいつできた村なのかは分からないのです。気がついた時には、そこにいたものですから」

「そうか。私が若い頃には、森の奥には草原が広がるだけの長閑な場所だったと思ったがね」


 私が目覚めた場所。またひとつ、謎が増えてしまった。サヴァンの言うことが正しければ、あの村落は最近できたもの、ということになる。直感が、これ以上この話題を掘り下げるべきではないという。私の出自が怪しまれるのは御免だった。

 サヴァンは、私が無知であることを悟ったのか「地図を持ってくる、少し待っていなさい」と言い、家を出た。彼に出された朝食を平らげ、食器を洗う。私はここで、生きていけるのだろうか。

 三十分ほど経ったころ、サヴァンは右手に地図と思しき丸まった羊皮紙と、何やら大量の荷物を持って帰ってきた。


「おや、皿を洗ってくれたのか。ありがとう」

「いえ、せめてもの礼儀です」

「早速だが、地図を見せよう。君はおそらく、この世界の全貌を知らないようだ」


 サヴァンは荷物を床に置き、羊皮紙をテーブルいっぱいに広げた。世界地図を見てしまえば、私の確信はさらに強まった。ここはお前の暮らしていた世界とは違うのだぞ、と。


「見て分かる通り、この世界には大きくわけて二つの大陸がある。左右の大陸にはそれぞれ九つの国々があり、その間には小さな大陸がある。国にはそれぞれの王がいる。勿論、規模は違うがな。……そして、この二つの大陸の間にある小さな大陸。ここに、魔王の城があると言われている」


 サヴァンは、トン、と指を羊皮紙の下部を指す。彼の言う通り、地図には左右に同じくらいの大きさの大陸があり、その大陸の間、南の方に魔王城はあるらしかった。

 この世界も地球と同じように繋がっているのだろうか、とまたも疑問が生まれるが、きっと考えても無駄なことだ。


「では、今いる場所はどこにあたるのですか?」

「それはここだ」


 指をすう、と右に動かす。右の大陸の下の方。つまり、魔王城がある場所からすぐそばだということだ。それを知るなり背筋が凍る。すぐそばに、人間を脅かす魔物たちの長がいる。


「そう怖がることはない。君のいた場所のように、山々が私たちを守ってくれる。簡単に攻め入られることはないはずだ」

「魔王は一体何を目論んでいるのです?」

「それは私にも分からない。ただ、人間にとって脅威であるということだけが、分かっている。……さて、君はまだまだ世界について知りたいようだ。しばらくうちにいなさい、君の疑問にできる限り応えよう」


 サヴァンは緊迫した表情を緩めた。私は居た堪れなくなって、昨日から考えていたことを話した。


「私、お孫さんを助けたいです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る