第四話
疲弊しきった私を、夕陽があたたかに照らしている。
--やった、森を抜けられた。
達成感ももちろんあるが、疲労感が積もりに積もって今にも倒れてしまいそうだ。なんせ今までいつ敵に出くわすか、気を張りながら歩いてきたのだ。それに、私はあの村落で目を覚ましてから、一度も睡眠を取っていない。アドレナリンのおかげでなんとかこれまで意識を保ってこられたが、このオレンジの光も相まって、今にも眠ってしまいそうだ。
よたよたと歩いていると、少し先に灯りが見えた。もう少し近づくと、そこが町だと気がついた。意気揚々と入ろうとして、あの村落を思い出す。
--また冷たくあしらわれたら?
心細さが臆病に変わって、気は進まないものの、町の中へ足を踏み入れた。町は外から見たよりも大きいようだ。道路もレンガ調に整備され、住宅の他に教会やら宿屋もある。それなりに賑わった町のようだ。
今にも宿屋に駆け込みたい気持ちでいっぱいだが、私にはお金がない。日本での文化と違うかもしれないが、何かを得るには何かを与えなければならないだろう。やはり今は何よりも情報収集が必要なのだ。
「もし、お嬢さん」
声をかけてきたのは、杖をついて歩く老人だった。かなり高齢のように見えるが、声は威厳あるはっきりとした声だった。ここの町長なのだろうか。
「はい」
「お嬢さんは、外から来たんだね。苦労したことだろう、君の外見を見ればわかる。うちへ来なさい。ここの宿屋は高いんだ、今日のところは泊まっていくといい」
彼に言われた通り自分の体を見下ろせば、綺麗だったはずの服は、ところどころちぎれたり破れたりした、小汚い状態となっていた。
老人は、自分の家に泊まれと言った。だが私にはそれが好意によるものなのか、それともなにか企みがあるのかわからなかった。私は何一つ、分からない。
「無償でお借りするわけにはいきません。対価になるかはわかりませんが、こちらの果物をお渡しします」
私が林檎を差し出せば、老人は目を丸くして「なんと」と言った。
「君はションピィを倒したのか。あいつは魔法を使うのに、よく戦えた」
「ションピィ?」
「キノコに扮した魔物だよ。この林檎が生えているあたりには、大体いる」
老人との会話で、少しずつこの世界が見えてゆく。私がモンスターと呼んでいたものは、紛れもない魔物で、おそらく人間を害するものなのだ。そして魔法。異世界転生ではよくあることだが、ここでもそれが存在する。
気になることが山積みだが、今日はもう眠くて仕方ない。老人の言葉に甘え、彼の家に案内してもらうことにした。
老人の家は、小ぢんまりとしていた。余生を過ごすための部屋、という感じだろうか。小さな本棚と、その上に孫と思われる子どもの写真。その隣に置いてあった片方だけの小さな靴が目を引いた。
「これが気になるのかい。君が思っている通り、これは孫の靴で、写真に映るのも、孫だ。……孫はね、魔物に攫われたんだ」
「魔物が子どもを?」
「ああ、きっと魔物にとって人間の子どもは美味しいのだよ。昔から、攫われるのはいつも子どもだ」
「……すみません」
「いや、構わないよ。仕方のないことだ、また魔王が台頭しているからね」
「また?」
「続きは明日話そう。君はふらふらだ。お湯を沸かしてあるから、お風呂に入って、ゆっくり眠るのだよ」
老人に促されるまま、浴室へ向かう。狭いが綺麗なものだ。体を流し、初めて見る木製の置きバスタブに足をちょん、と触れさせる。ちょうど良い温度であることを確認して、静かに飛び込んだ。緊張しきっていた体が、温かなお湯で溶かされていく。
湯船の中で考えるのは、老人が話していた言葉のことだ。彼は孫が攫われた、と話した。つい最近のことなのか、ずっと前のことなのか分からない。しかし、どうにかして助けてやれないものなのだろうか。身の程知らずなのは分かっているが、あんなに哀しげな表情を見せられて、そしてこうして親切をしてもらって、返したのが林檎ひとつでは割に合わない気がした。
--明日になったら、もっと詳しく話を聞こう
そう心を決めて、風呂を出る。脱衣所にはボロボロの布切れのような私の服はなくなっており、代わりに肌触りがよく適度な厚みもある服が置かれていた。これを着てもいいのだろうか。それに袖を通すと、やはり着心地が良かった。ちらりと見た村人たちの服装からしても、これは上等なものといえるだろう。
なぜ、ここまで親切にしてくれるのだろう。優しさを享受していながら、猜疑心を捨てられない自分に少し嫌気がさして、浴室を出て老人に礼を言う。
「お風呂、ありがとうございました」
「ああ、いいんだよ。寝室は二階の部屋だ。今日はゆっくり休むといい」
老人が指差す先には階段がある。彼が眠る寝室は一階にあるらしかった。再度礼を言い、階段を登る。二階へ登って、ああ、と声が漏れた。
そこは子ども部屋だった。壁紙には可愛らしい落書きもある。きっと、攫われたお孫さんの部屋だったのだろう。二人暮らしだったのだろうか。ぎゅう、と胸が締め付けられる思いがした。
--明日になったら、お孫さんのこと、世界のこと、たくさん教えてもらおう
そう決めて、私はゆっくり瞼を閉じた。
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