第三話

 結局、一睡もできないまま朝を迎えた。いつ、何に襲われるかもわからないままで、呑気に寝られるほど私は能天気じゃない。


「さて、森を抜けてどこか町でもあればいいんだけど」


 木から降りる前に、そこそこ太くて先の尖った長い枝を失敬した。これがあれば石よりは正確に敵を突けるだろう。まるで原始人のようだ。

 木々の隙間から漏れる光が、どうにか私の進路を照らしてくれる。もしかすると、森を抜けた先なんてものもないかもしれないが、希望を持つことをやめるにはまだ早い。

 ぐうぐう鳴るお腹をさすりながら歩いていると、林檎の木のようなものを見つけた。だが、お決まりのようにその周りには、やつらがいる。昨日見かけた狼のようなものとも違う、きのこみたいな形をした生き物だ。明らかに毒キノコの色合いで、手足が生えている。そしてその手には、私と同じく木の枝がある。

 背に腹は変えられぬと、そいつの前に躍り出る。そいつは私を認識するなり木の枝を構えた。こいつが何を食して生きているのか分からないが、もしかするとこの林檎が主食なのかもしれなかった。こちらは右手に石、左手に枝だ。


「申し訳ないけど、ご飯がいるの!」


 紫色の球体には感じなかった罪悪感が芽生えた。もしかしたら、異世界というだけで、こちらに害を成してくるものではないかもしれないのに、一方的に戦いを仕掛けている。

 けれどこちらも不安なのだ。見知らぬ土地で、見知らぬ生物に出会い、食事もない。戦う理由には十分だった。


「     」


 私が石を投げつける前に、それは何かを話した。すると同時に木の枝の先から、火の玉が飛んでくる。咄嗟に避け、後ろを振り返ると、草が燃えて塵と化していく。あんなものを受けては、きっと火傷どころでは済まない。

 私は相手に隙を与えることのないよう、石を思い切り振りかぶって、投げた。それの胴体にぐにゃりと石がめり込んだ。あたかも人間が「おっとっと」とツンのめるようにして、それは倒れた。けれど、紫色のあいつのように消えない。きっとまだ、こいつは生きている。生かしていたら、また攻撃されるかもしれない。私は木の枝を両手に取り、それの頭を突き刺した。


 シュウゥと聞き慣れた音を聞き、安堵する。初めて、生き物を殺した感覚を得た。不思議な感覚だった。幼少期、興味本位でアリを踏み潰したときのような、そんな。

 自分でもそんな感覚を気味悪く思いながら、必要なことだったのだと言い聞かせ、木になる林檎を取った。もう躊躇いはなかった。しゃくり、しゃくりと噛み締める。美味しい。私の世界にあったそれと同じ味、同じ食感。

 ぼろり。ひとつ流れたらもう止まらなかった。静まり返った森の中で、慟哭する私を、どうか誰も見つけないでくれと思いながら。


 林檎は木になっていた分全て取って持っていくことにした。しかしリュックもない今、両手に抱えて歩くのも危険だ。きっとさっきのようなモンスターにこれからも遭遇する。生きるためには、武器もいるし食料も水もいる。ふと、狼のことを思い出した。今まで戦ったものたちは、命が絶たれた瞬間に消えていった。では、死ぬ間際は?

 私は泉の場所まで戻り、林檎を置いた。ここを離れた隙に食べられてしまう可能性もあるが、やむなし。

 昨日狼を見つけたのは、泉のある場所の少し手前だ。私は一際鋭い枝を何本か手に持って、それを探した。案外簡単に見つけることのできた狼は、ぐっすり眠っていた。夜行性なのかもしれない。機動力もありそうな見た目だから、地上で戦うには不利だ。

 私はそいつの近くへ慎重に近づきながら、しかし一定の距離を保ったまま木へ登る。音を立てないよう、ゆっくりと。ちょうど遮蔽物もなく、距離はおよそ五メートル。少し遠いが、どうか当たってくれと願いながら、木の枝を振りかぶって、思い切り投げた。ビュウ、と重量の力も味方に勢いを増した枝の先端は、見事狼を貫いた。


「ギャウ!」


 想定通りのことではあるが、狼は目を覚ました。突き刺さった枝の根元からは、青色の血が流れている。やはり、これは私の知る生き物ではない。もう一度。


「ギャッ!」


 傷を負って動きが鈍くなったそいつを瀕死に追い込むのは簡単なことだった。最早立てなくなったそれに近づくため、木から飛び降りる。

 警戒しながらゆっくりと近づき、弱っているフリでないのを確認したのち、それの横にかがみ込む。ぐっさりと刺さった枝を引き抜き、傷痕を起点として皮を剥いでいく。見慣れない血の色に、不快感はなかった。ただ苦しそうにうめく狼の声を聞かないようにしながら、木の枝だけで、何十分もかけて剥いだ。

 皮を剥がれた狼は、とうとう息絶えて消えた。私の手についた血痕すら残さず消えた。けれど、剥いだ皮だけは、どうしてか残った。

 狙い通りにいった喜びと、この世界の法則への疑問を抱えつつも、私は泉で皮を洗い、それを何とか腕にかけられるようにして、そこに林檎を入れた。もうその泉の水は飲めなかった。


 それからその日、泉から歩いて二時間ほどで森を抜けた。

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