第二話
さて、私は早速退路を断たれた。いや、どこへ向かえば良いかも解っちゃいないのだが。あの紫色の球体、もといモンスターを倒さない限り、前には進めないだろう。ここで、重大な不安が押し寄せた。
--普通転生して勇者とかになるなら、システム画面とか、自分のレベルが何とか、能力とか、そういうのがわかるものじゃないの?
そう、先ほどから人目のないのを良いことに、私は色々試していた。例えば「設定画面開け!」と小声で言ってみたり、掌を前に突き出してみたり。恥ずかしいことこの上ないが、残念ながら何も起こらなかった。
分からないということは生き死にに直結する。ということを今、身をもって知っている。どうにかしてこの窮地を抜けるか、あの何となく冷たい村人たちの住まう集落に居を構えるか……。どうにも後者は選びたくなかった。何より、私が何者になったのか、知りたくなった。
ふと、岩陰に手頃な重さの石が数個落ちているのを発見した。ゲームの中の主人公なら、最初は木の枝やその辺に落ちているものをなんとか武器にして倒していた。……これで、できるだろうか。
一番重い石を片手に持ち、大きく振りかぶる。当たれ!
紫色のそいつに向かって石が弧を描いて飛んでゆく。ぐにゃり、と球体が歪んで、石が跳ね返る。それと同時に、それはシュウゥと音を立てて消えてゆく。
倒した、と思って良いのだろうか。恐る恐る近づいて、そいつがいた近くを観察する。血痕も、飛び散った肉なども、何もない。これがゲームだったなら、経験値になって私が強くなるのだろう。だけど、やっぱり何も起こらなかった。
なぜ突然こんな世界に放り込まれたのか、ずっと考えている。
私は向こうで、死んだのだろうか。異世界に転生して勇者になる、とか貴族令嬢になる、なんて物語が流行っていたが、大体死ぬところから始まっている気がする。私の場合は何だろう、急性アルコール中毒で死んだとか?かなり不名誉だがそれくらいしか心当たりがない。大体、転生願望もなかったし、死んだら無に帰すと考えている派だ。こんなことが現実として起こるなんて、まったくもって想定外。不測の事態。どうせなら、貴族令嬢になって優雅な暮らしを体験してみたかった……。
とにもかくにも、起こってしまったことは受け入れざるを得ない。私がどれだけ拒絶しても、目の前には広い青空と草っ原。誰も私を助けてなんてくれないのだ。
とりあえず、私には取り急ぎ武器が必要だとわかった。さっきのようなモンスターは、あれ一匹だけとは考えにくい。少なくとも、私が今までやってきたRPGゲームでは、そうなのだ。
先ほどの石を二つ手に取って、歩き出す。不思議なことに、現実世界の私はお世辞にも運動ができるタイプではなかったので、体力にも自信がなかったのだが、案外歩くのは苦でなかった。
今のところ、村なんかは見えないし、どこへ行くのが正解かも分からない。しかしいつ人里にたどり着けるか分からない以上、食事の確保は絶対だ。そのためには、遠くに見える森の中に入るしかない。この草原に止まっていては、モンスターの獲物になるか、餓死するだけだろう。
長いこと、歩いた。途中で現れる紫色の見慣れたそいつに向かって石を投げ、石を補充し、また投げ……。それを繰り返すうち、森林の手前についた。もう日も暮れて薄暗い。二十キロは歩いただろうか、流石に足も疲れてきたし、お腹も空いた。
ためらってはいられない。私は森の中へ、足を踏み入れた。人が歩いた形跡はなく、草をかき分けながら進むことになった。毒があるかもわからない植物に触れながら進むのは、かなりドキドキしたが、少し歩けば小さな泉に出会った。そういえば、喉も渇いている。
--飲んでも大丈夫だろうか。
日本で暮らしているうちは、蛇口を捻れば安全な水が出てくるものだ。私は登山やらも冒険やらもしたことがないから、判断ができない。こういう手入れのされていない水は、細菌も多く含まれていたりして危険だと擦り込まれている。
けれど何時間も歩いた私の喉は、もう限界だった。むしろ今までよく倒れなかったと思うくらいだ。
意味はないかもしれないが、泉の水で手を洗い、ぐるりと反対にまわって水を両手にすくってみる。見た目は普通の水となんら変わらない。
えいや、とそれを口に注げば、みるみる体が潤ってゆくのを感じ、私は夢中で水を啜った。
水で少し腹は満たされたが、私はこの暗い中で食べ物を探す勇気がなかった。と、いうのも、先ほど草むらをかき分けて歩いていると、草々の隙間から、狼のような姿をしたものがいた。これもまた凶暴そうで、私の知るそれとは違っていた。眼光鋭く、異常に長い牙は剥き出しで、背には棘がたくさんついた、私の知らない生き物だった。あれには、私の持つ石ごときで勝てるはずがない。
仕方がない、今日の食事は抜きだ。少なくとも、地上で寝転がるよりは安全だろうと、大木の上に登ってみる。木登りが得意で心底良かったと思いながら、普通の木の幹ほどあるのではと思われる枝にまたがり、幹にもたれる。緊張で眠れそうにはなかった。
私は空腹に耐えながら、なぜこんな目に遭わなければならないと理不尽を嘆きながら、朝日が昇るのを待った。
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