はじまり

第一話

 体中が痛い。昨日は確か、遅くまでサークルの飲み会に行っていたはずで。なんとか自力で家まで辿り着いた、と思いたい。おそらく床で寝てしまったのだろう。


「ううん」


 うめきをあげると共に、異常に気がついた。


--なんか、土臭くない?


 ハッとして目を開けると、世界は予想通り横向きになっていた。が、まったくの予想外であったのは、そこが室内ではないことだった。


「えっ!」


 がばりと体を起こせば、そこは紛れもなく外だった。そう、屋外。土臭いのも納得の、硬いあぜ道の上で、私は眠っていた。ひゅうひゅうとほんのり暖かで緑の香りがする風が、私の頬を撫でていく。空は明るい。


「ここ、どこ……」


 きょろきょろと辺りを見回せば、茅葺き屋根の家が建ち並んでいる。私が眠っていたあぜ道は、一番大きな道のようだ。左右に数軒の家があり、あとは山ばかり。唯一ひらけているのは、あぜ道の先だけだ。とても私が暮らしていた東京都新宿区とは思えない風景だった。

 嘘でしょ。私、まさか電車間違えた?酔っ払って、どことも分からない村のど真ん中で眠るなんて。スマホはどこ、と腰の辺りをまさぐるも、どうにも様子がおかしい。


「は?」


 スマホがないどころではなかった。私の着ている服が変わっている。ベージュの切りっぱなしの長袖に、同じく少し濃いベージュの、そしてまたしても切りっぱなしのパンツ、そしてブラウンの靴のようなもの。靴のようなもの、というのは、それが布でできた足首までを覆う(私の知っている限りではルームシューズに近いと言っていいかどうか)代物だったからである。

 なんだこれは、の一言に尽きる。とりあえず服についた土を軽く払い落として立ち上がる。幸い、二日酔いはないようだ。体はピンピンしている。

 人よりは賢いと自認してきた私は、打ちのめされた気分だった。まったく何も分からない。スマホもなければ財布もない。それどころか、着ていたはずのワンピースも、お気に入りのパンプスもない。心細くて仕方ない。

 誰か助けを求められそうな人はいないかと、少し歩く。けれども人の家に尋ねるなんて、なかなかできることではない。少なくとも、私にとっては。あぜ道をゆっくり歩きながら、どうか誰か外に出ていてくれと思っていると、ちょうど同じ年頃の男性に出会した。


「あの、こんにちは。すみません、私さっきまでそこで眠っていて。何があったか分かりませんか」

「は?そんなの知らねえよ。テメェで考えな」


 愕然とした。確かに男は見るからに優しいとはかけ離れた顔貌をしているが、まさか本当にそんな風にあしらわれるなんて。大人しく引き下がり、他の親切な人はいないかと探していると、庭の手入れをしているであろう女性を見つけた。


「こんにちは。あの、お尋ねしたいことがあるのですが……」


 恐々と声をかけると、これまたきつい顔つきをした女性は振り向いた。何と言われるか身構えていると、彼女はにこりと微笑んだ。彼女もまた、私と同じ年頃のようだった。


「何かしら」


 声こそ冷たいが話は聞いてくれそうだ。私は安心して身の上を語った。終始彼女はにこりとした表情を崩さないままで、またそれも不気味だったのだが、なんとか「ここはどこか」「私に何があったのか」と聞くことはできた。


「ここがどこかって、そんなの知らないわ。だって私、ここから出たことがないもの。だからあなたの言っている意味も分からないし、あなたに何があったかなんて知らないわ」


 無情にも、結果は惨敗だ。だが一つわかったことがある。この村は隔絶された集落、と言われるようなものなのかもしれないということだった。女性が「ここから出たことがない」と言っていたことから、そして電柱ひとつないことからも、ここは東京とは程遠い。

 どうするべきか、やはり分からないままであったが、とりあえずこの村は出ていくべきだろう。どうも、歓迎されていない気がする。


「ありがとうございました」


 女性にそう告げると、彼女ははいともいいえともなく、再び植物の世話に戻った。その植物がまったく見たこともない種類で毒々しい色をしていたことも、見ないふりだ。

 私はあぜ道をまっすぐ抜ける。不思議だったのは、布でできた靴で硬く小石混じりの凸凹ととした地面を歩いているにもかかわらず、痛みを感じないことだった。


 集落を抜けると、細い道に出た。崖と崖に挟まれている、車がギリギリ通れないくらいの幅の狭い道だ。どこまで続くのか分からないが、きっとそう遠くないところに何らかの駅があるに違いない。

 そう断じて歩くほど体感一時間。ようやく開けた場所に出ると、見渡す限りの広大な大地が私を出迎えた。とても日本では見られないような、草原。それだけなら良かった。


--見たことも聞いたこともない生物がいる。


 悲鳴をあげそうになるのを堪えて、ソレに気づかれないようさっと岩の影に隠れる。

 ソレは、薄い透明がかった紫色をしたおよそ直径三十センチメートル程度の球体で、ぽよぽよと跳ねている。透明がかっているくせに、臓器のひとつも見当たらない。

 私はあれが何か、まったく分からないわけではなかった。小学生の頃によく男子に混じってやったゲームの、初期に出てくる敵に、よく似ていた。冷や汗が額からつぅ、と流れる。徐々に認めざるを得なくなってきた。


 ここは多分、異世界だ。

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