ワタリドリ旅行記
春雷
第1話
とりあえず、否、トリあえず、経験したことを話そう。
まず、事前に知っておいて欲しいのだが、僕は昔、鳥になりたくて仕方がなかった。大空を羽ばたく鳥。とても自由で、格好良くて、憧れた。
僕もあんな風に美しく生きてみたかった。
昔の話だ。
色々なことがあり、大人になった僕だが、会社で様々な衝突があり、退職することになった。
退職して、時間ができた。貯金はある。傷ついた心を少しでも癒そうと、僕は旅行をすることにした。
九州のとある県。飛行機と電車を利用し、H市のNという街に僕は行った。その街はとても栄えていて、学校が多くあった。学びに力を入れているらしい。学びの街、というわけだ。
駅前は人でごった返していた。ホテルのチェックインまで時間はある。お昼時。僕は昼食を取ることにした。
見つけたのは、駅前にある小さなうどん屋。建物の隙間に押し込まれるように存在している、窮屈なカウンターだけのお店。昔からあるようだ。
ガラリと戸を開けると、漂ういい香り。
そうそう、これこれ。
なんてことを思いながら席に着く。客は僕一人だった。
店主が注文を聞いてくる。僕はうどんと、エビ天、レンコン天を頼んだ。
うどんはすぐに出てきた。エビ天とレンコン天がしっかり乗っている。割り箸を割って、さっそく食べていく。ずるずる、ずるずる。コシのないうどん。とても柔らかくて美味しい。
そうしてうどんを味わっていると、ぞろぞろとお客さんが入ってきた。どうやら、彼らはこの店の常連らしい。店主と親しげに話をしている。
しばらく何気ない雑談が交わされていたのだが、やがてお客さんの一人がこう呟いた。
「実はさっきカバンを盗まれた」
カバンを、盗まれた? 僕は耳を疑ったが、どうやら本当らしい。少し目を離した隙にカバンを盗られたのだという。
店主はそのお客さんの言葉に深く頷き、私も盗られた、と言った。
「箱に入ったネギをさ、ちょっと店の前に置いといたんだよ」彼女は箱を置くジェスチャーをする。「そしたら、次の瞬間盗られてた。この街の人間は頭がおかしい! すぐ人のものを盗る! 何でそんなことをする? おかしくない?」
お客さんはうんうん、と共感の意を示した。店主は話を続ける。
「空き巣にも二回入られた。レジの金を盗まれたんだよ。一回は警察に捕まえてもらった。でも、そいつ、謝るだけ。お金はもう使ったって。謝罪なんていらない。謝罪が何になるっていうんだ? お金を返して欲しい。ただそれだけ」
何ともやりきれぬ話だ。
それにしても、この街はそんなに泥棒が多いのか。これからこの街にしばらく滞在するのだけれど。大丈夫かな。この街、こんなに学校が多いのに、泥棒も多いのか。
学びと泥棒の街、N。
一体、学校で何を教えているのだろう。人のものを盗らない方がいいと、ちゃんと教えているのだろうか。それとも、勉強熱心な泥棒が多いのだろうか。何だ、勉強熱心な泥棒って。
僕は店を出て、駅前に建っている巨大な商業施設に目を向ける。天を突くようにそれは聳えている。こんなに街は栄えているのに、どうして泥棒が多いのだろう。その理由を探るには、僕はこの街のことを知らなさすぎる。そして多分、知ることなく、次の街へ行くのだろう。
渡り鳥のように、自由に、気ままに。
何も学ぶことなく。
いや、きっと、多分、何かの肥やしになっているはずだ。たとえば僕は今日、この街で興味深い話を一つ、盗み聞きした。
見上げると、カラスがキラリと光る何かをくちばしに咥え、空を自由に飛んでいた。
彼もまた学び、盗んでいるのだろうか。
学ぶことと、盗むことは、似ているのかもしれない。
ワタリドリ旅行記 春雷 @syunrai3333
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