第66話 へいかぁ

 そんな馬鹿な……。

 エルヴィンの言葉を聞いて、レナードは崩れ落ちそうになる。


 まるで危機感がなく、油断しきりで、こちらの誘いにも簡単に乗ってきた。

 エルヴィン・ファンケルベルクという男は、ただの阿呆だと結論づけた。


 事実、これほど何も考えていなさそうな男を、レナードは未だかつて見たことがなかった。


 あふれ出る謎の自信と、強い威圧感だけは不気味に思ったが、しかし考えなしにしか見えなかった。


『俺は王を名乗ったつもりはない』


 そのような言い訳が通じるはずがない。

 そもそもかの森を開拓し、後ろ盾もないままにファンケルベルクという名の街を作った時点で、各国への宣戦布告であり、王を名乗るに等しい行為である。


 それがわかっていないのであれば、恐るべき愚物。

 アドレアから排除されるのも無理はない。


 ――兵士が消える前までは、そう、思っていた。


 だが、今はどうか?


『迂闊に兵を近づけぬほうがいい』


 ただの命乞いだと思っていた台詞は、まごうことなく真実だった。

 イングラム最強の兵士たちを一瞬で消し去る実力を鑑みれば、なるほどここまで緊張感が皆無だったことも頷ける。


 つまりこの程度の戦力では、警戒するに値しないということだったのだ!


(くそっ、俺の誘いに乗ったのは、苦労なく王城に侵入するためか!)


 エルヴィンは『昔と街並が変わってしまった』と言っていた。

『イングラムのお上りさんの俺に、ひとつ王都を紹介してくれないか?』とも。


 これは、地理に疎い街中で戦闘になればレナードに逃げられると考え、相手からの誘いを利用して、逆にレナードを王城に追い詰めたということか。


(まさかエルヴィンという名で国境を越えたことが、俺たちに行動を起こさせるための撒き餌だったとは……)


 どこにも逃げられぬよう袋のネズミにしようと策を弄した結果、自分たちが袋のネズミにされていたのだから笑えない。


 一つ己の〝勘違い〟に気づくと、次々と気になる点が出てくる。


『俺は王を名乗ったつもりはない』


(まさか、王に留まるつもりはな……ということか!?)


 この場でイングラムを併呑した場合、ファンケルベルクは王国から帝国へと昇格する。

 ――形式上、エルヴィンは〝皇帝〟になる。

 他国が認めるかどうかは別問題だが、これを含んだ言い回しだった可能性がある。


 さらにこの台詞のあと、エルヴィンは〝嘲るような邪悪な笑み〟を浮かべた。

 あれは『まさかこのような状況に陥っても、まだ己の安全を疑っていないのか?』というものだったのだ!


 レナードは、頭の中で演算を開始する。

 これまで積み重ねてきた情報と、現在の状況を組み合わせて、この危機を乗り越える作戦を考える。


 あまりの処理に、体が発熱。

 こめかみから汗がしたたり落ちるほど計算しても、見つからない。


(……無理だ)


 現在、王城からは最大戦力がごっそり失われてしまった。

 こちらが使える切り札はない。


 正確には、まだ切り札はある。だが、すべてエルヴィンには通じないだろう。

 まばたき一つで兵士を二十人消し去った男になど、人類が立ち向かえるはずがない……。


 無駄な抵抗をするより早々に投降した方が、市民への悪影響を最小限にとどめられる。

 自分の立場や命よりも、国民の生活を守ること、その一点を考えて、レナードは決断した。






「こうふくだ」

「……はっ?」

「こうふくだと言った」


 えっとぉ……幸せなの?

 あっ、違うか。

 なんかめっちゃ肩落としてるし、顔だって青白くなってるし、『幸福』って雰囲気じゃないな。


 じゃあ、こうふくってなんだ?

 まさか、降伏?


「降参、という意味か?」

「そうだ」


 なに言ってんだコイツ?


 なんでいきなり白旗上げてんだよ。

 マジで意味わからん。


「陛下、それだけはいけません! まだ城の中には兵が控えております。残る戦力でこやつを捕らえれば――」

「無駄だ。貴様も先ほどの魔法を見たであろう? いくら兵士を集めたところで、かすり傷一つ付けられずに消されるのがオチだ」

「し、しかし……」

「負け戦でこれ以上戦って何になる? 戦線を拡大すれば、民に影響が及ぶ。人が死に、職が失われ、食うに困る者達が溢れかえろう。俺が判断を遅らせれば遅らせるほど、多くの民に不幸と死が及ぶのだ。それは俺の本意ではない」

「ぐ、ぬぅ……」

「それにな、いままでエルヴィンの――いや、エルヴィン殿の手のひらで転がされていたことが、やっとわかった」


 それ本当に俺の手か?

 俺はさっぱりわからんのだが……。


「国境を越えたエルヴィン〝殿〟を認知し、これを捕らえる策略を企てた段階で、俺たちは敗れていたのだ。しかし、まさかエルヴィンという名で国境を越えたことまで策略の一つだとは……」


 おいユルゲン!

 テメェの作った身分証、バレバレじゃねぇかよッ!!


「貴殿の策略にまんまと乗せられた結果、精鋭を二十も失ってしまった。この俺を笑うか?」

「……いや」


 逆にあの身分証で身バレしてないと思ってた俺を笑ってくれ……。


「今更詫びても遅いことはわかっている。だが、ここは一つ俺の首一つで溜飲を下げてくれないだろうか? ……いや、溜飲を下げていただけませんか?」

「へ、陛下ぁ……」


 おい横の宰相。

『へいかぁ』じゃねぇよ、止めてやれよ。

 白旗は止めて、首を差し出した時は止めないって鬼だな!


 それに首って、どうせマジもんの首(物体)なんだろ?

 いらねぇよそんなもん。

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