第25話 世界の歯車は加速する

「あの勇者ごみ、消しますか?」

「消さん」


 帰り道で、ハンナがいきなり物騒なことを言い出した。


「では、消してよろしいですか?」

「絶対手を出すな」


 マジで。

 外交問題になるから。

 それやったら、最悪戦争が始まるからな!


「勇者は聖皇国認定の救世主だ。いくらファンケルベルクでも、手にかけたら外交問題になる」

「理解はしております」


 しかし納得はしてない顔だな。

 理性と感情は別、ってか。

 まあ、気持ちは痛いほどよくわかる。


 俺も拳を抑えるのに必死だったからな。


「私は、エルヴィン様をなれなれしく呼び捨てにするゴミが許せません」

「……勇者には公爵と同じ格が与えられているから、仕方ない」

「むぅ」


 ぷく、とハンナが頬を膨らませる。


 五年ほど前から、彼女は急に若返った。

 それまでは25才くらいの女性に見えていたが、今では16才くらいの少女にしか見えない。


 身長や体型などは一切変わっていない。

 たぶん、肌が綺麗になったんだろう。


 俺の石けんと化粧水が効いたのか?

 ……いや、それだけでは説明がつかない気がするが。


 一度、年齢を聞いてみようと思ったが、ユルゲンに本気で止められた。

 血と死と暴力の臭いしかしない男が青ざめるという、衝撃的な出来事があって以来、俺はハンナの年齢を確かめようと思ったことがない。


 さておき。

 頬を膨らませるハンナに、俺はにやりと笑ってみせる。


「消すだけがファンケルベルクじゃないだろ?」


 この世界にも、地上げの一つや二つあるものだ。

 また、夜のお店でお姉ちゃんに乱暴を働く男とか、居酒屋で喧嘩をする客とか、こいつは来ないでほしいなとか、出て行ってほしいなという時の手練手管を、ファンケルベルクは熟知している。


「くっくっく。まずは穏便な方法から試してみようじゃないか」

「……ッ!」


 勇者が入った飲食店では全部初手ブブヅケ!

 もしくは、飲食店の砂糖と塩をこっそり交換してもいい。


 そうなったら、あの勇者がどんな反応を見せるか……くっくっく。




          ○




 ファンケルベルク邸にエルヴィンを送り届けた後、ハンナはその足でヴァルトナー邸へと向かった。


 まずは、穏便な方法と言っていたが、あの顔……。

 エルヴィンは恐ろしい悪巧みを思いついたかのように、笑っていた。


 おそらくだが、『穏便な方法』という言葉は、正確ではない。

 死ななければ穏便、という程度でしかないと、ハンナは考えている。


 とはいえ、相手に反撃の機会を与える方法ではダメだ。

 ファンケルベルクらしい一手を放つため、ラウラに協力を仰ぐ。


 彼女は去年から、エレンからその座を譲り受けた。

 能力は近年のヴァルトナーの中では随一といって良い。

 その能力を最大限生かすため早々にトップを退いたエレンを、ハンナは評価している。


 なぜなら一度でも頂点に上り詰めた者は、その権力に魅了され、最後までその座にしがみつくものだからだ。

 トップをすんなり下りたのは、これからの時代は自らの子たちが作り上げることを、いち早く察知したからに違いない。


 執務室に到着したハンナは、ラウラに事情を説明した。


「なるほど。エルくん……おほん。エルヴィンも似たようなことを考えていらっしゃったんですわね」

「……と言いますと?」

「わたくしでも、少し考えてみましたの。勇者はほら……ゴミでしょう?」

「人間のクズですね」


 散々な言いよう、言われようだ。

 しかし本当なので、仕方がない。

 特に、付き添いの聖女をモノのように扱う様や、初めて対面する女性の体を舐めるように観察する様子は、人には感情や尊厳が等しく備わっていることを理解出来ない人間なのだろうとわかる。


「わざわざお店に汚物を招き入れる店員はいないと思いません?」

「なるほど。店の格を下げないため――」

「ええ。それならば、わたくしたちに一切の非は――」

「では、こちらも歩調を合わせて――」


 勇者に対して同じ意見を持った二人が同調するのは早かった。

 意見はあっという間に固まり、方針が定まる。


 そして、二人が同時に裏と表の両方へと通達を放った。

 これにより、世界の歯車は加速する。

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