第18話 憑きものが落ちる
悪魔かなにかが化けているのではないか?
あまりに異常な魔法に恐怖さえ覚える。
込められている魔力が尋常ではない。
一体、何人の魔法士の命を注ぎ込めば、これだけ禍々しい魔法を発動出来るのか。
百数十年生きたハンナでさえ見たことがない。
ファンケルベルクとして、これ以上ふさわしいものはない、おぞましさだ。
さらに恐ろしいのは、商人のまねごとだと思っていた行動が、なんと母上の仇をとるためだというではないか!
エルヴィンの口から出てくる言葉を聞きながら、ハンナは心の中でぼうだの涙を流していた。
罠を張って敵をおびき出し、自分のテリトリー内で処分する。
――悪が悪を断罪する。
これほどファンケルベルクらしい殺しがあるだろうか!?
この殺し方はまさに、自分の母親の敵を取った、111代目ファンケルベルク公の手法によく似ている。
この復讐劇を演じたのが、10歳児だというのだから、尋常ではない。
「ハンナ、そこに直れ」
そして己に向けられた、強力な威圧。
体から黒いモヤが立ち上るほどの、濃密な魔力。
全身に感じる死の影。
使用人筆頭のハンナをして、膝を屈するほどの圧迫感。
そして、鋭利で冷たい眼差し。
(なぜこのように優れたお方を、自分は信じられなかったのでしょうか……)
(いや、きっとエルヴィン様の才は、私ごときが理解出来る範疇にないのね)
わかりやすい才というのは、凡人でも理解出来る程度に低い。
神髄というものは、常人の範疇からはずれたところにあるため、凡人には理解出来なくなる。
つまるところ、ハンナがいま凄いと感じられるのは、凡人にでもわかる程度まで、エルヴィンが己を低く見せているからに他ならない。
なんと恐るべき才能。
なんと素晴らしい存在!
現在、ハンナは189歳。
あと数年もすれば、急激に老化が進むだろう。
(ああ、大天才たるエルヴィン様の覇道を見届けられないなんて……ッ!)
自分の母を殺めた三人のエルフの首が並んだ時、ハンナは長く生きるつもりはなかった。
そんなに長く生きても意味がないと考えた。
けれど、今は違う。
もっと長く生きて、エルヴィンの覇道を最後まで見届けたい。
けれど、己にかけられた呪が、延命を許さない。
術者が死んで強化された呪魔法を解呪する術は、この世に存在しない。
伝説上の神獣か、亜神にでも頼み込めば話は別だろうが……。
自白を終えたあと、エルヴィンが先ほど男を飲み込んだ影をこちらに伸ばした。
ああ、これで自分は終わりか。
それも、いい。
自分は主に牙を剥いた――命を奪われるだけのことをしたのだ。
覚悟を決めた次の瞬間、細い影がハンナの心臓に伸び――呪いを奪い取った。
「……えっ?」
呪は術者が死ぬと強化される。
ハンナにかけられた呪いは、生半可なものではなく、人の手では決して解呪不可能なほど、強く根を張っていた。
それなのに、何故解呪されたのか!?
体の中を探るが、これまであった呪いが、完璧に消えている。
あれほどの呪い――〝敵愾心の塊〟のような負の感情が消えてしまうとは。
そしてぽっかり消えた場所に、生命力がみるみる充填されていく。
これまでやや老化を感じていた体に、若い気が巡り始めた。
「ふむ。消えたな」
「――ッ!?」
まさか……まさか、まさかッ!!
なんということだ。彼は、狙って強力な呪魔法を消したというのか!
もはや、どれほど凄いのか、想像もつかない。
神というのは、こういう方を指すのだろう。
「あ、有り難き、幸せ!!」
諦めた命、諦めた未来。
そのすべてが、再び自らの手中に戻って来た。
ハンナは、感動で震える唇をなんとか動かした。
ともすれば涙で視界がにじんでしまいそうになる。
しかし、今日という素晴らしい日を、きちんと目に焼き付けるのだ。
寿命を半減させる呪いを打ち消し、ハンナに生きる希望を与えてくれた。
このお方の姿を、決して涙なんかで曇らせてはいけない。
あの生首三体が並んだ時のように、いや、それ以上の感謝を持って、ハンナは臣下の礼をとる。
昔はファンケルベルクに誓った。
今回はエルヴィンという少年に対して、ハンナは絶対の忠誠を誓ったのだった。
○
ハンナが使用人用の会議室の扉を開くと、中には既にユルゲンとカラスの二人が揃っていた。
「お待たせしました」
「おう、遅かったな」
「資料を読み込むのに、少し手間取りましたので」
ここに集まったのは、ファンケルベルクの執行部。
家の事業を司る使用人三役だ。
ハンナは政治を、ユルゲンは武力を、カラスは情報を司る。
この三人の手により、複雑怪奇な裏社会がコントロールされている。
普段、多忙な三人は滅多に顔を合わせることがない。
だが定期的にこのような『連絡会議』を開くことで、意志決定と情報共有を行っている。
今回の会議は、緊急のものだ。
それだけ、重要なことがハンナが手にする計画書に書かれていた。
「今日、エルヴィン様よりこの計画書を預かりました。こちらをご覧ください」
「その前に、だ。テメェ、俺たちに言うことあンだろ?」
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