第17話 驚異の児童

「これは……」

「どうもこのネズミたちは、森から出て首都で暮らしていたようだ。礼儀正しいネズミならば、丁重にお引き取り願ったのだが、かなり育ちが悪かったようでね」


 彼らは隷属魔法を使って人間を使役し、気に食わなければ殺害していた。

 それは自分たちエルフは崇高な存在で、人間は家畜以下だというエルフ至上主義の思想故。


 特にこの三人は、それが非常に強かった。

 だからハーフエルフのハンナを憎悪し、人間と交わった母を汚らわしいものとして虐待したのだ。


 当時かけられて、今もまだ残り続けている〝呪〟が、ずきんと痛みを発した。

 より強力に巻き付き、心臓を縛り上げる。

 それは術者の死によって、呪いが強化された瞬間だった。


 その呪いは、寿命が半分になるものだった。


 ハーフエルフの寿命は四百年程と言われている。

 しかし、400年が200年になろうと、どうでも良かった。

 長く生きたって、やりたいことなどなにもない。


 そんなことよりも、この者たちの首が揃って目の前にあるだけで、ハンナは、もう十分だった。


「この者たちは、少々やり過ぎた。里に帰す前にハンナに知らせようと思ってね」

「あ……」


 そこで、ハンナは公の真意を悟った。


 彼はただ傍若無人なエルフを摘み取ったのではない。

 そもそもエルフは森を捨てない。都会などで生活をしない。

 だから、彼らが首都に現われたのは、なんらかの餌があったからだ。


 たとえば――ハンナがここに隠れ住んでいる、という情報を流したとか。


 彼らに餌を撒いて首都におびき出し、公は自らの土俵で刈り取った。

 つまり公は、こっそりハンナの母の仇を取ってくれたのだ。


「ありがとうございます!!」


 憎きエルフの顔を、一日たりとも忘れたことはない。

 もし自分に力があれば、まっさきにこの三人を殺していただろう。


 絶対に許さない。

 殺してやる!


 しかし、実際にハンナは彼らを殺せない。

 人を殺してはいけないと、法に書かれているから。

 人殺しはいけないという、道徳があるから。


 自分をいじめた奴を、いじめ返してはいけない。

 復讐してはいけない。

 恨んではいけない。


 左の頬を殴られたら、微笑んで右頬を差し出さなければいけない。

 それが、この世の正義だった。


 世界中のあらゆる正義は、復讐を許容しない。

 だから、なんとか復讐を忘れようとした。

 悪逆非道なあいつらみたいに、自分も悪の道に足を踏み入れてはいけない。

 絶対に、同類になんてなってやるものか、と。


 しかしその相手の首を、自分の代わりに刈り取ってくれた。

 それも、王国の法に則って悪を討ったのだ!


 本物の正義は無力だ。

 だが、悪は悪を滅ぼせる。

 正義ではなしえない正義を執行する悪――正義悪。

 これを体現するファンケルベルクに、ハンナは心酔した。


 ファンケルベルクが正義悪の道を歩む限り、私はそれを全力で支えよう。残りの人生すべてを、ファンケルベルクに捧げよう。

 ハンナはそう、固く心に誓った。


 そこから百数十年。

 ハンナは少しずつ仕事を覚え、己を鍛えて、ついに使用人筆頭にまで成長した。


 そして現在、124代目の当主となったエルヴィンは、残念ながら正義悪の道を志しているようには見受けられない。


 無理もない。

 それを教え込まれる前に、母が……そして父までも逝去してしまったから。


 ファンケルベルクはどうなってしまうのか。

 使用人たちが揺らいでいたが、ハンナはエルヴィンを信じていた。


 きっと彼も、正義悪の道に目覚めるはずだ、と。

 しかし、そんな矢先に、エルヴィンが商人のまねごとを始めた。


 これには、ハンナは心底落胆した。

 彼は決して阿呆ではない。通常の9歳児より学力はある。

 そんな彼が、商人のまねごとを始めた。


 これは、ファンケルベルクをやめるというシグナルに違いない。


「なんとかしないと……」


 どうにかして正義悪の道に引き戻したい。

 ない知恵を絞った結果、たどり着いた方法はショック療法だった。


 丁度、エルヴィンに恨みを抱く商人が一人いる。

 これをエルヴィンにぶつけて、危険な状況に追い込む。


 そこで手を差し伸べて、進むべき本当の道を示せば、なんとかなるかもしれない!


 後になって考えれば、とんでもない理屈であるとわかる。

 しかしこの時のハンナは、先代の逝去にエルヴィンの鞍替え疑惑発生と、冷静ではいられなかった。


 余命が幾ばくも残されていないことも、彼女を焦らせる要因の一つになっていた。

 エルヴィンが成人を迎えるまでに、ハンナは呪魔法により命を落とす。


 寿命はもうすぐそこまで迫っている。

 エルフ特有の急速な老化が始まって動けなくなる前には、なんとかしないと……。

 そんな焦りが、正常な判断を鈍らせた。


 実際に商人をぶつけてみると、エルヴィンは『待ってました』と言わんばかりに、口元を歪めた。

 それはまるで、獲物を狩り場に誘い込んだ時に浮かべる、歴代ファンケルベルク公の凶悪な微笑みそのものではないか!


 そしてその表情の通り、エルヴィンは驚くほどあっさり商人を捕縛したではないか。

 それもハンナが知らない、凶悪な魔法を使って、だ!


 これは本当に10歳児の所業か?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る