勿忘草がほどけない

あんぶれら

第1話 いつも通りの変わらない日

今でも彼女の言葉がほどけない。彼女との出会いは俺が二十歳の頃だった。あの入道雲が空にかかっていた日だ。


7月の末、この桜樹町は毎年、猛暑に見舞われる。桜樹町は春になれば桜吹雪が美しい小さな町だ。都市部に近いこの町にくせ毛の青年、東雲 流唯しののめ るいは住んでいる。早くに親を亡くし、中卒で叔父の管理するこのアパートの狭い部屋に越してきた。朝8時、流唯はこの猛暑で目を覚ました。ここからいつも通りの変わらない一日が始まる。洗顔をし、朝食を食べ、着替えて、バイトに行く。(今日は一日、スーパーのバイトか) 外に出てバイト先のスーパーへ向かう。アパートの敷地から出て右に曲がり、街路樹を8分ほど通るとバイト先のスーパーが見える。「店長、おはようございます!」店の前で掃除をしている年老いた店長に挨拶をする。「あぁ、おはよう。来てくれて助かるよ。この時間からは働ける人少なくてね。私ももうこんなんだから。」そう言いながら店長は少し曲がり気味の腰を叩く。「いえいえ。困ったことがあったらなんでも言ってくださいね。アパート、近くなんでいつでも。」得意気に胸を叩きながら笑う。スーパーでの仕事は大体レジ打ちだ。この小さな町では、ほとんどの人がこのスーパーを利用している。だからここに来る人はみんな顔見知りだった。いつものおばさんがレジに来て話しかける。「流唯君、今度またウチに食べに来ない?親戚からいいお肉もらったからすき焼きしようと思って。」この人は近所に住んでいる佐々木さんで、昔からよくしてくれている。「いいんですか!!」久しぶりにすき焼きを食べれるという嬉しさで飛び跳ねながら言う。「ふふっもちろんよ。あの子も喜ぶわ。」あの子とは佐々木さんの中学生の息子である。佐々木さんの家にお邪魔した時はよくゲームをして遊ぶ。「ありがとうございます!」流唯はすき焼きの嬉しさにその後もニヤニヤしながら仕事を続けた。その翌日の午前4時、流唯のアパートのドアが騒がしく叩かれた。

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勿忘草がほどけない あんぶれら @umbrella612

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