第一章

第3話 どうやってソラに近づけばいいんだ

 そして────春。私は見覚えのある新しい制服に袖を通し、かつての母校に入学した。この一文だけで二つも矛盾があるのは我ながらおかしい。しかしこのひと月半で完全に事態を飲み込むことができた。

 やはり、私は十年前の高校生に戻っていた。一番確信したのは、暗殺教室をリアタイできた時だ。私はソラに出会うまで赤羽業の夢女子だったから放送時間を覚えていたことが功をしていた。黒歴史も役に立つものだ。

 私がタイムリープした理由や理屈は分からない。肝心なのは私にやり直すチャンスが与えられたことだ。ただ問題がある。私の記憶では偶然ソラと出会ってもう一度クラスが同じになって仲良くなるはずだったのに、私がミスをしたせいで、ソラに私がヘンタイだと思われてしまったことだ。このままではソラとやり直すどころか、ソラと友達にもなれなくなってしまう。

 その解決方法をこのひと月半、ひたすら考えてきた────ついに見つけられぬまま、新学期を迎えてしまった。雨夜ミギワの二回目の十五歳は苦悩から始まった。

 「うう……どうしよう、ソラ……」

 私はネットから拾ってきたソラの待ち受けに話しかけた。弾けるような笑顔を浮かべた黒髪だった頃のソラが私に笑いかけてくれている気がした。いや、きっと気のせいだ。カメラマンに笑ってるだけだ。くそ……誰だその男……。

 ソラは俳優の両親と兄と姉を持つ芸術一家の出身だ。本人も子役として昔から活躍していて、高校入学と同時に活動休止した。ファンも多かったから、私のことを高校まで追いかけてきた厄介ファンだと思われている節があるかもしれない。

 ああ……どうやってソラに近づけばいいんだ……。思ってることも厄介ファンっぽいから嫌だ……。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか電車を降りて改札口を出て校門の前まで来ていた。三年間通った道だから身体が覚えていた。昇降口にあるクラス分けが書いてあるボードを確認すると、しっかり私とソラが同じクラスになっていて、やっぱり十年前なんだな、と改めて思った。

 上履きに変えて、クラスの教室に向かった。一年D組だ。私は名字が『あ』から始まるから、席は一番前で扉の傍だ。これも記憶通りだ。新一年生の新学期だからか、クラス全体が浮ついていた。座って今か今かと待ち侘びていると、ちょうど前の扉からソラが現れた。

 「げっ」

 ソラと目が合った。ソラは露骨に嫌そうな顔をした。端正な顔を歪ませて、いかにも「げっ」っていう顔をした。

 「そんな顔しなくたっていいじゃんっ!」

 「ひぃっ!? なに!? 自我がある厄介オタク!?」

 思わず叫ぶと、本人から厄介オタク認定された事実が浮き彫りになった。普通に傷ついた。

 ち、違う。そうじゃなくて。私はハッ、と我に返る。

 「ご、ごめんなさい。その、『初対面』の時、びっくりさせちゃって……」

 「ま……待ってよ。そんなに申し訳なさそうにしないで。その、あたしも言い過ぎちゃったかもしんないし……」

 私が深く頭を下げると、ソラも形の良い眉を下げて私の席に近づいた。やっぱり根が良い子だ。私はカバンからデパ地下で買ったソラの好物である桜餅を取り出した。

 「その、これ、お詫びの品です。あの後『調べて』……あなたが有名人だって────」

 「し、しー!」

 ソラが口元に一本指を立てて、焦った表情をする。

 「一応それ隠してるから! あんまり、その……」

 「は、はい。言いません」

 私は赤べこみたいに頭を縦に振った。そして必死に『思い悩む憂いを帯びた少女』の顔を演じた。

 「実は……亡くなった私の親友が、あなたに少し似てて……」

 「えっ」

 ソラは深刻そうに息を飲んだ。

 「だから、あの時、白眉さんを見て、あの子のこと思い出しちゃって……だから……」

 「いいよ、もう。話さなくていいよ」

 私は顔を上げる。ソラは今にも泣きそうな顔をしていた。

 「そっか……そんな事情があったのに、あたしが勝手にレッテル貼っちゃったんだ……自分がされて嫌なこと他人にするなんて……」

 あまりに良い子すぎて心が痛んだ。全てが嘘なわけじゃないけれど、そこまで深く受け止められるなんて思わなかった。嘘を吐くなら荒唐無稽な方が逆にリアリティがあるんじゃないか、と限界まで頭を振り絞った結果だった。

 「そういうことならいいよ。あたしも変な風に勘違いしただけなんだね。こっちこそ、ごめんなさい」

 「こっ、こちらこそ! 謝らないで!」

 そこで会話が途切れてしまう。気まずい沈黙が流れる。やばい、何か話さないと。

 「あー……これ、調べてくれたの? あたしの好きな物」

 と思っていたら、ソラから話題を振ってくれた。ホッと胸を撫で下ろす。

 「う、うん。調べた時に見つけて……桜餅、合ってた?」

 「そっかぁ。ありがとね」

 ソラは笑った。なんとなく、嬉しそうじゃないな、と感じた。

 「……違ったんだ」

 だから、そのまま言ってしまった。演技を続けることができなかった。今の私にとって、ソラの顔に浮かんだ擦過傷のような感傷を見逃すことなんてできなかった。

 「え?」

 「分かった、買ってくる! 本当は何が好きか教えて!」

 「え、いや、ちょっと」

 ソラは戸惑っていた。桜餅の箱をぎゅっと抱えながら。

 「あ、合ってるって。そうだよ、これがあたしの好きなものだよ」

 「……本当は」

 思い出した。ソラは本当はジャンクフードが好きなんだ。活動休止している間も体重制限をしなきゃいけないから、月に一回しか行けない私と行く学校帰りのバーガーキングをソラはとても楽しみにしていた。私と違うハンバーガーを半分こすることが好きだった。

 なんで忘れていたんだろう。ソラとの思い出は全部大切だったはずなのに。十年という時の重さを自覚した。

 「…………」

 でも、それを言ったら怪しまれてしまう。バーキンが好き、なんて初対面の私が知っていたらおかしい。私は口を噤むしかなかった。

 「……本当だよ。そんな顔しないでよ」

 ソラは苦笑した。

 「桜餅『も』好きだから。嬉しいよ。それに、わざわざあたしのために買ってきてくれたものに好みとかワガママ言わないって」

 「でも……」

 「あたしが良いって言ったらいいのっ。はい、これでこの話はおしまいっ」

 そう言うと、ソラは私の机の上で箱の包装紙を剥がし、桜餅を取り出した。口に放り込んで、「おいひぃ!」と顔を綻ばせた。

 「え、めっちゃ美味しい! 食べてみ? 吹っ飛ぶよ」

 「へ? いや、私は────んぐ」

 問答無用で食べかけの桜餅を口に突っ込まれた。確かに美味しい。小豆の上品な甘さと桜のしょっぱさとほろ苦さがちょうどいい。クドくないからいくらでも食べられそうだ。

 「クドくないからいくらでも食べられそう!」

 私と同じ感想をソラも言った。「ふふ」と笑って、彼女は口の端についた粉を舐めた。

 「いや、いくらでもって言い過ぎかも。一人じゃ食べきれないからさぁ、後で一緒に食べようよ。ちょうど桜も咲いてるしさ。お花見、とか……どうですか?」

 最後の方は少し尻切れトンボになって、ソラは心なしかモジモジしながら私を見つめた。

 「う、うん! 行く!」

 「ほんとっ? やったぁ」

 そこで、タイミングを見計らったようにチャイムが鳴った。もう少しで始業式が始まってしまう。

 「じゃ、また! 後でね!」

 「うん、後で……!」

 そこで運悪く、机に置いたスマホが点灯してしまった。母親からのラインだ。「始業式は何時に終わりますか。迎えに行った方がいいですか」。

 ソラの顔がスマホの画面に向けて固定されていた。スマホの画面というか、そこに映ったソラの顔というか。ソラ同士が目を合わせていた。

 「……やっぱり、この話は無しで────」

 「あー! ちがうちがうちがうちがう!!」

 前途多難だ。私は心の中と実際の口で同時に叫んだ。


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