第14話 美海ちゃんの家族

 普通の日本人のお父さんだった。特に美男というわけでも、痩せているわけでも太っているわけでもなく、身長も日本人男性の平均といったところだ。でもオーラがあって、財閥のトップだと感じさせるには十分すぎる。


「ん? 君は?」


「セイジロウ、ミナミのお友達よ。連絡がきてたでしょう?」


「ああ、TS薬を服用したという……。TS研究所の天内あまない里奈くんのことは僕の耳にも入っている。優秀な学者だが、暴走癖があると。今回は災難だったね」


「妹のことご存じだなんて……。なにか失礼なことをしてないですか?」


 僕はびくびくしてセイジロウさんを見ると、朗らかな笑みが返ってきた。


「若くして大学を卒業するほどの天才だ。僕にもTS薬を勧めてきたけど、妻と子供がいる身だからと断っておいた。なに、研究員が暴走するのはドイツで経験済みだ。君の身が不憫で仕方ない」


「あのバカ、美海ちゃんのお父さんにまで……」


「ははは。僕は怒っていたりしてはいないよ。僕は誠二郎、妻はハンナ。これからも美海の友達としてよろしく頼むよ」


「いえ、こちらこそ……!」


 思わず頭を下げると、誠二郎さんは笑って優しく声をかけてくれる。


「そうかしこまらなくていい。美海の友達なんだろう? 我が家だと思ってゆっくりしてくれ」


「は、はひ」


「ふふ、リオったらかわいい」


 隣で元凶の美海ちゃんが笑っている。財閥の家でくつろぐなんて一般市民の僕には無理だよ……。まあ研究者一家なんだけど、僕はそういうのまったく関係ないからなあ。


「そうそう、リオちゃん。嫌いな食べ物はある? もう途中まで作っちゃったけど、嫌いなものがあればリオちゃんのお皿には入れないでおくから」


「えっと、ピーマンが苦手です……」


「わかったわ。今日はピーマンを使ってなくてよかった。もう少しで晩ご飯ができるから、ミナミの隣に座ってセイジロウと一緒に待ってて」


「は、はい」


 僕が緊張気味に答えると、ハンナさんは微笑んで部屋を出た。


「どうぞ、座って」


「お、お邪魔します」


 誠二郎さんに言われて、僕は誠二郎さんの斜め前にあたる手前の木の椅子に座って背もたれにバッグをかける。その隣に美海ちゃんも座る。さっきはめちゃくちゃ緊張していたからわからなかったけど、肉に熱を通すいい匂いがする。今日の晩ご飯は肉系かあ゙。


「お母様が作る料理はおいしいの。きっとリオも気に入るわ」


「ああ。ハンナが作るドイツ料理はおいしいぞ。日本食も最近練習中なんだ」


「へえ……」


 ドイツ料理。食べたことないや。駅前通りにはイタリアとかタイとかの専門店はあるけど、北欧系って見かけたことない気がする。


「ちなみに理央くん、TS薬の効果のほどはどうだい?」


「それが……ピンチになったらスキルを開花させてくれるのはいいんですけど、かなり疲れます。それに女の子になったばっかりなので、女の子の服を着るのも抵抗があるっていうか……」


「ふむ。所長に意見として伝えておくか」


「……もしかしなくても、関係があったりするんですか?」


 誠二郎さんは一瞬丸い目をして、それから朗らかに笑った。


「最近海外ではジェンダーに厳しいからね。男性から女性、女性から男性になりたいという願望を叶えるのは一種のチャリティーなのさ。だから我が財閥も研究所に少し力を貸している」


 やっぱり……そうなのか……。外堀を埋められているきがしてならんぞ。僕が難しい顔をしていると、僕の腕に自分の腕を絡めた美海ちゃんが誠二郎さんを軽く睨む。


「もう、お父様。リオは今はもう立派な女性です。男の子時代を思い出させるのはやめてくださる?」


「ははは、ごめんごめん。聞かれたからつい。それにしても美海、理央くんのことを気に入っているんだね」


「こんなにかわいい子、ドイツにもあまりいなかったですもの。できたら将来結婚したいわ」


 ばっ、美海ちゃん!


 そんなことを言ったらさすがの誠二郎さんも元男にかわいい娘はやれんって怒るところだよここは。元男なんだし、どんな本性があるのかもわからない人間においそれと娘をやる父親がどこにいるんだ。


「いいんじゃないか? 理央くんは悪い子には見えないし、美海が女の子しか好きになれないのも知っているからね。どうだろう理央くん。うちに婿に……いや、お嫁さんに来るというのは」


 あっさり了承した! もうだめだこのお父さん! 一刻も早くなんとかしなければ!


 断りを入れようとしたとき、鍋敷きと大きめのお鍋をミトンをつけた手で入ってきたハンナさんに思考を阻まれる。そうだった、今は晩御飯を待っている最中だった。


 テーブルに置かれた鍋を覗きこむと、牛肉らしき肉と玉ねぎ、トマトペーストにほのかににんにくの香りがするおいしそうな煮込み料理がそこにはあった。これがドイツの料理かあ。おいしそうだ。……じゃない、結婚はお断りしなくちゃ。


「リオちゃんのためにたくさん作ったの。お昼食べてないって言ってたから。たくさんあるから遠慮なく食べてね。今食器を持ってくるわ」


 ああ、ハンナさん、僕を置いていかないで……。すぐ戻ってくるだろうけど、この脳内花畑な二人のところに残されると怖いよ。


「リオ、わたしと結婚してくれるの?」


「え。えーっと。……まだお互いをよく知らないし、結婚は男女がするべきっていうか……」


「リオは元男だから問題ないんじゃない?」


「うう。でも無理、ごめんなさい。美海ちゃんが僕を好きでいてくれるのは嬉しいけど、それは友情までってことで……」


「そう……。でもわたし、諦めないから」


 どうか諦めてください。友達なら大歓迎だけど、恋人ってなると正直ハードルが高いかな……。


 そんなことを考えてる間に取り分ける用のおたまと器、フォークとスプーンが配膳される。うう、お腹ぺこぺこだ。早く食べたい。


 ハンナさんが誠二郎さんの隣に座ると、誠二郎さんがみんなの顔を見て手を合わせた。


「いただきます」


 ハンナさんは両手を組んで神に祈るような仕草をし、美海ちゃんも同じことをしている。僕もお祈りしたほうがいいのかな?


 両手を組んで、目を閉じて神様にいただきますを心の中で言ってみる。返事は当然あるわけがなく、僕は目を開いた。誠二郎さんが最初に料理を取り分けている。ほろほろになった牛肉がおいしそうだ。


 ハンナさんと美海ちゃんは僕がお客さんだからという理由で先を譲ってくれた。お腹が空いていたので、お言葉に甘えて器に取り、スプーンで牛肉を取って一口。


 おいしい。トマトペーストの酸味と牛肉のうま味とコクがよくマッチしてる。香辛料もいい感じだ。なんていう料理なのかは知らないけど、これならいくらでも食べちゃいそう。


「リオ、おいしい?」


「うん、すっごくおいしい! ありがとうございます、ハンナさん」


「いいのよ。おいしいと言ってもらえて嬉しいわ。まだまだあるから、遠慮せずに食べてね」


「ありがとうございます」


 それから、僕たちは談笑しながら心ゆくまで料理を満喫した。この料理はグーラッシュというらしい。意味はわからない。腹八分目まで食べて満足した僕は、スープをスプーンで残さず飲んで手を止める。


「ごちそうさまでした。おいしかったです!」


「ふふ、どういたしまして。お風呂も沸かしてあるし、ブラジャーはないけど下着とパジャマとタオルは用意したからそれを使って。着ている下着は洗濯機に出してくれれば洗って返すから」


「一番風呂まで……。ありがとうございます、頭が上がりません」


「ミナミが日本に来て初めて連れてきたお友達だもの。おもてなししなきゃね」


 ウィンクをする人妻にどきっとしながら、僕はバッグを持ってからお風呂の場所を教えてもらってそそくさと脱衣所に入る。洗濯機の上に下着とタオルが置いてあった。浴室も浴槽も広くて、こんないいお風呂を一番乗りで使っていいことに恐れ多くなる。


 といっても、今はまだ残暑の季節。ちょっと汗をかいた僕は服を脱いで体を洗い、お風呂に浸かる。いい湯加減だ。疲れたし、このまま眠ってしまいそうで危ない。


 そのとき、脱衣所でごそごそと音がした。誰だろうと思っていると、ふいにお風呂のドアが開く。そこにいたのは、同じく服を脱いだ美海ちゃんの姿があった。タオルで体を巻いて隠してはいるが、一緒にお風呂に入るのなら無意味なのでは?


「リオ、一緒にお風呂入りましょ」


 僕は、僕はどうすればいいんだ!?

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