第2話 初心の窟

 身長も小さくなって歩幅も小さくなったからか到着に一時間もかかった。ダンジョンの入口はわかりやすく、木のドアが道に立っているのだ。後ろに回っても裏面が見えるだけでなにもない。


 僕はいつも通りダンジョンのドアを開ける。中に入ると、景色が一変して草原のど真ん中に空いた洞窟の目の前に立っていた。配信機器もダンジョンと現代を結ぶ特殊な技術が使われていて、昔はウン十万はくだらなかったが、最近は安くなったものだ。


 あーあー、と声を改めて確かめて、落ちこんでから配信をつける。すぐに友達たちが見てるらしき同接数三という数字が表示されて、コメントが打たれる。


『あれ、誰!? 理央の彼女!?』


「違うよ! 理央本人だよ!」


『嘘はつかないほうがいいよー。……でも、なんか理央の面影があるような……。が、ガチ?』


「だから本当だよ! 里奈に変な薬飲まされて女の子になっちゃったんだよ!」


 僕は涙目で訴える。すると沈黙を守っていた友達の一人がこんなコメントをする。


『里奈ちゃん天才だし、理央を女の子にしたいってずっと言ってたから本当かもな』


「里奈が……そんなことを……」


 僕はショックを受ける。かわいい妹が、元から女の子にするために動いていたなんて。兄は悲しすぎて本当に涙が出てきたよ。今はもう姉なんだけどね。


 とにかく、ショックなことがあっても配信の予約をしていたからにはやらなければならない。たゆたゆと揺れる胸が邪魔だが、これでブラジャーなしだったらと思うとぞっとする。


「こほん。今日来たのは初心の窟。ここのダンジョンボスは討伐済みなので、ダンジョンの探索してお宝が残ってないか探検します」


『おー。にしても、シャツが汗で張り付いてえろいな……』


「なっ、どこ見てるんだよぉ! 変態!」


 僕はとっさにおっぱいを両腕で隠す。いやらしい体になってしまった自覚はあるが、友達にそんな目で見られたくない。これが女の子の気持ちってやつなのか……。


 【剣錬成】でロングソードを空間から生み出した僕はそれを握ってダンジョンの中に入っていく。洞窟の中はひんやりしていて、かいていた汗が乾いてぴったりおっぱいに張り付いていたシャツもはがれていく。僕は内心ほっと一息ついた。


 それから洞窟内をゴブリンや毒ネズミなどを倒して進んでいき、開けられた宝箱を見つけては友達たちと雑談しながら楽しくダンジョンに潜っていた。宝は見つけられたらラッキーくらいで、男のころの僕が自己承認欲求を満たすために始めたことだ。


 友達との遊びのツールとしか考えていない僕からしたら、難しいダンジョンに挑んでお金を稼ぐのも憧れるけど、こういう安全なところできゃっきゃしてたほうがいくら死にはしないとしても気が楽。


 でも、今日の初心の窟はなんだか様子が変だなあ。モンスターたちがやけに殺気だっているというか、浅いところにいるのが気になった。初心の窟はとっくにボスモンスターが倒されて安全なはず。それなのにモンスターはぴりぴりしている。なにがあったんだろう。


 そんな弱いモンスターたちを倒しながら進んでいくと、まだ開いてない宝箱を発見した。僕の機嫌が一気によくなる。Eランクダンジョンだとしても、宝箱からはなにかしらいいものが出る。それをネットオークションにかければちょっとした小遣いにはなる。


「あっ、宝箱!」


『小遣い確定おめでとー』


「ありがとう! 中身なにかなー」


 僕はわくわくしながら宝箱に近づいて鍵がかかってないのを確認して開く。こんなEランクダンジョンにミミックなど存在しない。


 ぱか、と開けてみて中身を除くと、小石だけが入っていた。僕が不審に思っていると、洞窟が突然音を立てて揺れ始めた。


『おい、大丈夫か!?』


「なにこれ!? 一体なにが……」


 僕は、足元に嫌な予感がしてとっさに避けた。そこから土を砕く音を出しながら硬い甲殻に覆われたムカデのようなモンスターが頭上に抜けていく。避けていなかったら確実に食われていた。思わずぞっとしてしまう。


 ムカデのようなモンスターは素早く穴の中に消えていった。そして僕の周囲を値踏みするようにぐるぐる回っている音がする。


 さっきのは、ギャラハンだ。Sランクのモンスターで、僕も弱小配信者の配信をぼーっと見てたときに遭遇していたのを見たことがある。硬い甲殻は生半可な剣では通じず、魔法によって攻撃しないと攻撃が通らない。打撃も通るには通るが、魔法の比ではない。


 こんなEランクダンジョンにいったいどうして……。僕はロングソードを捨てて聖剣エクスカリバーを作る。神から賜れたこの剣の圧倒的火力なら、比較的柔らかい頭を狙えば勝てるかもしれない。


 コメントを見ている余裕はない。なにかみんな打っているのが視界の端に映るがそれどころではないんだ。許してほしい。


 土が崩れる音がして、僕の隙を完全に突いた形で横からギャラハンの頭が飛び出してくる。それがスローモーションのようになって見えた。ああ、僕食われるんだ……。女の子にされて、安全なはずのEランクダンジョンで初の敗北を喫する。最悪の一日だ。


 死んでたまるか。そう思った瞬間、自分でも驚くほど身軽に体が動いた。ギャラハンの突進を避けると素早くエクスカリバーを高速で移動するギャラハンの甲殻の隙間に刃を叩きこむ。


 さすがはエクスカリバー。切れ味も十分だ。ギャラハンのわずかな隙間を狙った一撃はその肉を切り裂き、緑の血があふれ出た。ギャアアア、とギャラハンが悲鳴を上げながら穴に潜っていく。


 どうしたんだろう。いつもならあたふたしてろくに戦うなんてできないのに。異様に頭が冴えて相手の行動を観察する余裕がある。剣を構え、次なる攻撃に構えるくらいには冷静だった。


 周囲の砕けた土が空中に浮かびつぶてになって襲いかかってくる。僕はそれを鮮やかな剣さばきで切り飛ばしていく。体がおかしい。女の子になったのに男のときより強くなっている。


 背後から飛び出してきたギャラハンに素早く振り返って剣を縦にし、ギャラハンがものすごい速さで突進してくるのを両断する。頭から左右に分かれて切り裂かれていくギャラハンの緑色の返り血を浴びながら、僕は勢いが収まるまで待った。


 頭を両断された瞬間からこと切れていたのだろう。どんどん勢いは弱くなり、ずる、ずる、と出てくるギャラハンの長い体がついに止まった。僕は全身緑色の血まみれで、やっと終わったと同時に手で鼻と口についた血を拭うとエクスカリバーを振って血を払う。


 自分でも何が起こったのかわからない。突然強くなった自分にも驚きだ。まさか、これも里奈の……。


「あちゃー、一足遅かったか」


「誰!?」


「警戒するなよ。同業者だ。初心の窟にS級モンスターが出たってんですっ飛んできたんだけど……。君みたいなかわいい女の子が剣一つでやっつけちゃうとはね。その剣からは魔力を感じるから、特別製みたいだけど」


 暗がりから出てきたのは、イケメンだった。金髪に黒い目をした憎たらしいほど均整の取れた体。身長も百八十センチはくだらないだろう。


 しゅうしゅうとギャラハンの体が溶けて消えていく。僕の足元にあったのは、指輪だった。


 ドロップか。いつもゴブリンとかしか倒してないから強力なモンスターのドロップは初めて見る。僕がそれを拾いあげると、脳裏に文章が浮かんだ。


『ギャラハンを討伐した証。硬い甲殻を持つギャラハンは土の中に潜伏して獲物を捕食する。これを倒したということは一人前以上の実力を持つにふさわしい。指輪を装備すると壁をすり抜けられるが、同時にダメージを受ける。諸刃の指輪』


 僕は脳裏に浮かんだ文章を読みながら指輪を眺めた。ギャラハンの甲殻から削り出したのだろう赤いかけらがはめられている。銀と赤がよく映えた逸品だ。


 そこで僕は思わず指輪を拾ってしまったことにはっとする。対するイケメンは気を悪くした様子はなく、ジーンズのポケットからハンカチを取り出して差し出してくれた。


「これ、よければ使って」


「あ、ありがとうございます」


 顔がぐちゃぐちゃだったから正直助かる。ギャラハンの緑の血をふき取った顔を見て、イケメンは少し頬を赤くした。


「その……かわいいね」


「え!? えーっと、これは、その」


「よければ連絡先とか」


「みんな、こういうときどうすればいいの!?」


 浮遊型の配信機材を指の動きでたぐりよせて友達たちに相談する。付属のコメント欄に見える帰ってきた答えといえば。


『俺たちの理央だからなあ。イケメンだからって譲れないよなあ?』


「え? ちょっと?」


『こんな美少女になったらお近づきになりたいよな』


『うんうん』


 みんな、どうしちゃったんだ。確かに僕は女の子になっちゃったけど、心はまだ男だ。イケメンだからといってもこんなナンパまがいのことはお断りである。


「みんな真面目に考えてよー!」


『あんた? JACKに色目使ってるの』


「え。えと、誰ですか」


『かわいこぶらないでよ。JACKの誘い受けるの!? 断るの!?』


 同接数を見ると、一気に三百人になっていた。さっきの百倍だ。JACKって、この人のことだろうか。それなら誤解だ。僕は速攻で否定する。


「僕にそんなつもりはないですよ! それに、じゃ、JACKさん? も本気で言ってるわけじゃないと思いますし」


「冗談でも本気でもよくない?」


「事がややこしくなるから黙っててください!」


 JACKさんに喝を入れると、どうにか誤解が解けたようで、同接数が減っていく。ほっとしていると、JACKさんが同じ浮遊型の配信機材を操作して配信を停止したのを見る。


「せっかくだから、二人で歩いて帰ろうか」


 父さん、母さん。助けて。それと里奈、許さないからな。

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