何もかも思い出して(KAC20246参加作品)

高峠美那

第1話

「ただいまぁ。佳奈恵かなえ、起きてるかい? お客様来てるから挨拶して…」


 玄関が開いたとたん、佳奈恵は大好きなあきらに抱きついた。

 

「おかえりなさい、あきらくん! とりあえず、お風呂にする? ご飯にする? それとも、あたしにする?」  


 可愛らしく大きな瞳をパチクリさせながら言われて、神宮寺じんぐうじあきらは固まる。


「…おまえねぇ、そんな言葉、誰に教わったの?」


「今日、幼稚園のお友達とオママゴトしてた時に、ユズちゃんが言ってた。好きな人が帰って来たら言うんだって教えてもらったもん!」


「…あっそ」


 神宮寺はどっと疲れを感じてため息を付く。

 刑事である神宮寺は、時間が不規則だ。こうして仕事の話をする為、後輩を連れて帰る事もあるのだが…。


「あれー。神宮寺さん、結婚してたんですか? こんな可愛いお子さんがいらしたなんて、僕初耳だなぁ」 


 冷やかすように笑っている後輩を睨むくらい許されるはずだ。目配せすれば、さすがにこの男も馬鹿ではない。


「いや、この子がさっき話た…の佳奈恵だ」


「ああ…」


「まったく、最近の幼稚園は何を教えてるんだか。昭和じゃあるまいし、今時、新婚夫婦だってそんな事いわないぞ」


「まあ、そうっすね。でも、良いじゃないですか? こんなに可愛い子に言われるんだから、神宮寺先輩は幸せですよ」

 

 神宮寺は面白がる後輩に一瞥すると、資料が入った鞄をおいて、佳奈恵かなえをいつものように抱き上げた。佳奈恵に目線を合わせると、言い聞かせるように、ゆっくりと話す。


「いいかい、佳奈恵。だいたいおまえは、意味が分かって言っているのか?」


「いみ?」


 きょとんと首をかしげる佳奈恵を見て、神宮寺の後ろにいた男が吹き出した。


「やだなぁ、先輩。六歳の子が意味がわかって言ってたら怖いでしょ?」


「おまえは黙っとけ!」 


 間髪入れずに後輩を叱り飛ばし、しまった…と思った時には遅かった。


 珍しく大きな声を出した神宮寺に、佳奈恵は肩をふるわせていた。気がついた神宮寺はバツが悪そうに顔をしかめる。


「まあ、とにかく…佳奈恵、そういう事は本当に好きな人ができたら言うんだ」


 そんな事を言われても、佳奈恵はただショックなだけだ。いつものように頭を撫でられても、ちっとも嬉しくない。

 

「なんで? カナ、あきらくん好きだもん!」


「ああ。だけど、それは佳奈恵が大きくなって、だれかのお嫁さんになった時に言うんだよ?」


「カナ、あきらくんのお嫁さんになるもん!」


 佳奈恵が一生懸命伝えれば伝えるほど、神宮寺は困っているように見える。


「んー、そうだな。それはすごく嬉しいんだけど、佳奈恵は…たぶん俺の嫁にはならないよ」


「なんで?」


「あ、いや。だいいち佳奈恵が大きくなる頃には、俺がいくつだと思う?」 


「そんなの関係ないもん。カナ、あきらくんのお嫁さんになりたい!」


 とうとう泣き出した佳奈恵に、神宮寺は深くため息をついた。そんな神宮寺に佳奈恵はますます不安になるのだ。


「ひっく、ひっく。あきらくんは、本当はカナが嫌いなんだ」


「ははは。俺も佳奈恵が大好きだよ。ただ…そうだなぁ。どうしようかぁ」


 今、全てを話しても、佳奈恵は理解できない。


「とりあえず…佳奈恵が大きくなるまで、その話は無しにしよう」


「…カナが、おっきくなるまで?」


「ああ。そうだ。佳奈恵が大きくなったら、色々なことを話そうか…」



 あれから十数年後。六歳で神宮寺に引き取られた佳奈恵は、今年 日大の法学部を卒業して、憧れの警察官になった。


 ……神宮寺と同じ道。


 昔は何も知らなかった。だが、大学に入るとき、神宮寺は約束通り、佳奈恵に両親のことを含め、何もかも話したのだ。


 あの…痛ましい事件に両親や自分が関わっていたなんて…。


 育ててもらった恩をどうやって返せばいいか…そう思っていた矢先に、神宮寺が凶悪犯を取り押さえる最中に腹を刺された。


 ――重体。

 命はとりとめたものの、意識を取り戻した時には、佳奈恵とすごした十数年はおろか、自分の事も全て忘れてしまっていたのだ。


 トントン。

 佳奈恵は病室のドアをノックした。


「晶くん。入るよ?」 


 開け放した窓から、柔らかな風と光を気持ちよさそうに浴びている神宮寺は、いつもとかわらない穏やかな笑顔で、ベットに横になっていた。


「やあ、いらっしゃい。佳奈恵さんだったね? 刑事さんになったって聞いたよ。おめでとう。これから忙しくなるでしょ? もう毎日見舞いに来なくても大丈夫だからね?」 


「…私が、来たくて来てるんだよ」

 

 むしろ、私の両親を死なせてしまったと思い続けて、義務みたいに気遣われるより、今の方がずっといい。


 それに、記憶のない自分だって毎日不安なはずなのだ。それなのに、相変わらず優しい彼に腹が立つ。


 医者が言うには、何かのキーワードでふとした瞬間に全てを思い出すこともあれば、結局何も思い出さないで終わることもあるらしい。


 キーワード…。この一年、色々試してはみたが、今だ神宮寺の記憶が戻る気配はない。


「大丈夫。絶対、晶くんの記憶は戻るって私、信じてるから。果物食べるでしょ?」 


 あえて明るく振る舞った佳奈恵は、持参した果物を見せた。


「とりあえず、みかんにする? リンゴにする? それともイチゴ?」


 …とりあえず?


 


             おわり







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何もかも思い出して(KAC20246参加作品) 高峠美那 @98seimei

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