第1話

夏の暑さが遠のき、冬の寒さが未だやってこない頃。

強い太陽の日差しを得て、十分にその枝葉を伸ばした木々の上を、滑るように紅が通っていく。

濃い緑にそれは良く映えた。

空海を渡る白鳥にも似たその紅はふっと緑の中に姿を消した。

何かの哀しみが胸に飛来したのだろうか。

否。

紅は、一人の男の元へ届いていた。

彼は、一際大きな樹の上で、その枝に身を委ねて転寝をしていた。


彼は、人間の男では無いようであった。

そもそも人の子であれば居られないような場所に在った。

頭に二本の角を頂き、口元には牙が覗いている。

物語に出てくる鬼のような姿ではあるが、果たして、彼が何者であるのか。

それは、彼自身も知るところではなく、頓着しない事柄である。

彼は、胸元に留まった紅色にそっと手を差し出した。

それは、ぽとりと彼の手の中に落ちた。

紅の光を放つそれは、小さな枝に付いた紅葉の姿を取った。

「ほお、」

彼はため息のような息を漏らしてそれを眺めた。

もう片方の手で、空を撫でる。

そこには小さな鳥の姿がうっすらと浮かんでいる。

その鳥もまた、輪郭が仄かに光の筋を帯び、全体は透けて見えない。

羽の色は木漏れ日を映して如何様にも変わり、その鳥が生命の輪を抜けたものであることを示している。

それでも彼は、かの鳥の労を労った。

あるいは、そうであるからこそ、というべきだろうか。

「北の山は既に緋の装いか」

ふむ、と何事かを想い、彼はそっと空に手を伸ばした。

彼の手の中に赤い実を付けた山査子の枝が表れる。

彼はその実を解くと掌に乗せ、鳥の前に出した。

鳥はそれを喜んで啄む。

鳥の姿が一回り大きくなり、尾羽が長く伸びた。

「すまぬが、お主の主にこれをな」

そう言って彼は萩の花を鳥に渡した。

鳥はそれを咥えて再び飛び上がる。

緑の海を越えて、それは主の、彼の古い友人の元へ届けられるだろう。

「さて、それでは酒の支度でもせねば」

先陣を切った以上は時を置かずして行かねばなるまい、と、彼は小さく笑った。

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