我々

灰崎千尋

ワレワレハ

 我々は、平和を愛している。


 我々は、地球に争いが起こるのをずっと見てきた。幾度となく見てきた。決して長くはない命がいくつも儚く散るのを、踏み躙られるのを見てきた。我々はその度に深く心を痛めた。

 我々は待った。我々はこの星との友好を求めていた。けれどもこの星の知的生命体は、一向に争いを止めない。絶えることがない。一個体が別の個体と接触するだけで諍いが起きる。それは彼らにとっても、大変不幸なことだろう。


 我々は、平和を愛している。


 我々は仕方なく、介入を試みた。自然に任せていては、いつまでも我々と彼らが手を取り合うことはできない。彼らの精神が我々と同等に進化するよう、我々が促すことにした。

 我々は念入りに調査をした上で、或る個体の精神を迎え入れた。彼は我々になった。すなわち彼の体は、我々の体になった。

 かつての彼は、極めて粗暴だった。誰に対しても心を閉ざし、何もかもに飢え、関われば傷付け、彼もまた傷付いた。彼は孤独だった。彼は何にも属していなかった。属することができなかった。しかしそれ故に、彼はこの星で一番に我々になった。彼はもはや孤独ではない。

 我々は彼だった体に入り、その地域に則って「ハジメ」と名乗った。それを不審に思う者は誰もいなかった。

 我々はハジメという人間を生きた。ハジメとして触れ合う全てに種を蒔いていった。友愛という種を。誰もが分かり合えるのだという種を。友愛を示せば返ってくる、その素地は皆にあるのだと、ハジメは振る舞ってみせた。

 誰とでもにこやかに接する。困っている人がいれば手を差し伸べる。良い行いをされたら礼を言う。諍いを見れば止める。小さな個体にとって身近なことだけに集中した。そうして誰かがハジメに意識を向けて少しでも動かされたなら、それだけで種は宿る。

 我々は言語で広く説くことはしなかった。我々が求めるのは自立的な進化であり、賛同であり、連帯だった。尊大な啓蒙であってはならない。この星の人間が真に目覚めるためには、小さな手助けさえあれば良い。我々はそう考えていたし、そう願っていた。

 我々の見通し通り、ハジメに連帯する者は増えていった。種はどこまでも伝播した。ハジメを中心にしたコミュニティが形成されていった。我々はそれを確認して、各地に二人目、三人目の「ハジメ」を置いた。我々の悲願は、間もなく達成されるはずだった。


 我々は、平和を愛している。


 一人目のハジメは、その時もまだ静かに、全てを愛しながら暮らしていた。周りがどれだけ乞おうとも、コミュニティのリーダーには決してならなかった。我々は対等で平等でなければならない。上下関係ができればまた争いが生まれてしまう。

 けれどもたった一度、ハジメは人々の前で壇上に上げられた。その様子は報道のネットワークで地球の隅々まで届けられた。それは我々にとっても、より多くの種を蒔くチャンスだった。我々は功を焦ったのだ。

 ハジメは、ハジメとして日々どのように生きているかを話した。それだけで我々がどんなに幸福であるかを話した。それは何の面白味もない、どこにでもある日記を読み上げるようなものだった。しかしそれに触れた人々は皆表情を和らげ、温かな涙を流した。本当に、もうすぐだったのだ。

 その時、一人猛然と駆け上がって来る者がいた。急なことに誰もそれを妨げることはできない。ハジメは、我々は、それを受け止めた。


「クソがよ」


 ぼそりとその声を聞き、憎悪が粘りついた瞳を見たのが、ハジメの最後だった。胸に深々とナイフが刺さり、ハジメの体は止まった。

 我々の望みは、遂に絶たれた。


 我々は、平和を愛している。


 種は芽吹いた。

 花が咲いた。


 それは我々が諦めた時のための、トリガーでもあった。我々が手助けをしてもなお人間が自力では平和を得られないとわかったとき、ハジメの蒔いた種が一斉に花開く。ハジメの体から抜け出した我々は、その花を全て迎え入れる。

 そうして全ての人間は、我々になる。

 

 我々はゆっくりと地球を巡った。まだ種を宿していない人間も残さずすくい上げながら。勿論、ハジメを刺した人間も。

 行く先々で、穏やかな顔で倒れ伏した体から色とりどりに輝く花が咲いていた。その多様な色が失われるのは惜しいが、これが我々にとって最も平和な道なのだ。

 花の咲いた人間の体は止まり、やがて腐りゆき、獣が食いもする。しかしそれが死ではない。精神は我々と一つになるのだから。

 我々が巡りはじめてからこの星が七周ほど回転した頃、我々はようやく全ての花を迎え入れることができた。


 我々は、平和を愛している。


 この日初めて、人間はとこしえの平和を手に入れたのだ。

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