第17話「黒熊侯爵、動き出す」

 ──その後、黒熊侯爵領こくゆうこうしゃくりょうでは──




「魔物が領内に侵入しただと!?」


 ここは、灰狼侯爵領はいろうこうしゃくりょうの南にある黒熊侯爵領。

 屋敷の応接間で、黒熊侯爵こくゆうこうしゃくゼネルス=ブラックベアは部下の報告を受けていた。


「しかも灰狼領はいろうりょうとの境界にある山からだと!? ばかな! そんなことがあるはずが……」

「侯爵さま?」

「……いや、なんでもない」


 黒熊侯爵ゼネルスは言葉をにごした。


 黒熊領と灰狼領との境界線には、山岳地帯がある。

 魔物が多く生息する場所だ。

 だが、魔物はほとんど黒熊侯爵領にはやって来ない。


 その理由は、王家より聞かされている。



『黒熊領の北に住む魔物は、灰狼侯爵領に押しつけることになっている』



 ──さらに、次の言葉も、歴代の黒熊侯爵に伝わっている。



『──黒熊侯爵領は、魔物の心配をする必要はない』

『──代わりに黒熊侯爵家は、灰狼領の管理を命じられている』

『──灰狼にいるのは捨てられた者たちだ。そんなもの、王家は目にしたくもない。王家の代理として、黒熊侯爵家が奴らの相手をする』



 それが代々、黒熊侯爵に引き継がれてきた役目だった


 黒熊候はそのための道具を与えられている。

不死兵イモータル』に命令するためのアイテムも、そのひとつだ。

 領地の境目と灰狼侯爵領にある『不死兵』は、そのアイテムを持つ者に従うように、王家によって設定されているのだ。


 そして、代々の黒熊侯爵家は、灰狼侯爵家を利用することで、さまざまな利益を得ている。

 灰狼領は厳しい土地だが、あの地でしか採れないものもある。

 だが、灰狼領の者は、許可がなければ領地を出られない。

 彼らが商売をする相手は、必ず、黒熊領の者になる。

 だから黒熊領の者は、灰狼領の商品を格安で手に入れることができるのだ。


 灰狼から兵士をやとったときもそうだった。

 魔物と戦い、鍛えられた灰狼の兵士は強い。

 傭兵ようへいとして使うにはちょうどいい。報酬ほうしゅうを約束すれば、乗ってくる者はいる。


 もちろん、約束通りの報酬を支払う必要はない。

 彼らは、いつか来る魔王との戦いで、使い捨てられるべき者たちだ。

 そんな連中との約束を守ってどうするというのか。

 使えるうちは使って、あとは灰狼領に追い返してしまえばいい。


(それでも5大侯爵家の中で、黒熊侯爵家は序列3位なのだ。もっと上を、上を目指さなければならぬ)


 ゼネルスは思わず、くちびるをかみしめる。


 他人を見下すのは楽しい。

 だが、他人に見下されるのは我慢できない。


 黒熊侯爵家は上をめざすべきなのだ。

 そのためにも──


(アリシア=グレイウルフを手に入れなければならぬ)


 彼女は灰狼の地に生まれた、絶世の美姫びきだ。

 銀色の髪は月を映したようになめらかで、白い肌は絹のように美しい。


 なにより特徴的なのは、彼女の瞳だ。

 ゼネルスが初めて出会ったとき、アリシアの瞳は、強い意志をたたえていた。

 灰狼の地に封じられながらも、絶望していなかった。


 そんな彼女のもとで、灰狼の民は意思をひとつにしている。

 黒熊侯爵家が、灰狼領から兵士を取りづらくなったのも、それが理由だろう。


 だからゼネルスはアリシア=グレイウルフを利用することを決めた。

 息子を灰狼に通わせ、アリシアに子を産ませる。

 生まれた子が男子なら、灰狼の次の領主に。

 生まれた子が女子ならば黒熊領に連れ帰り、政略結婚の道具とする。


 黒熊侯爵家は灰狼侯爵家を利用して、上を目指す。

 序列第1位の侯爵家にする。

 それが、黒熊候ゼネルスの目的だった。


 なのに──


「どうして、わが領地に魔物がやってくる? 一体、なにが起こっているのだ!?」


 ゼネルスは歯噛はがみみした。


「仕方あるまい。兵力を北の防御に回せ!」

「ははっ」

「急がせろ! 北の地には農地と牧草地が集中している。魔物が来ない場所だから……山深くまで活用していたのだが……」

「大至急、民を避難ひなんさせます!!」

「作物と家畜の回収も忘れるでないぞ!!」


 それからゼネルスは部下を呼び、旅の準備をするように命じた。


(……灰狼侯爵家との境目から魔物が現れたということは……あちらに変化があったと考えられる。灰狼候レイソン……いや、領地を動かしているのはアリシア=グレイウルフか。なにが起きているのか、この目で確かめる必要があるな)


 黒熊候ゼネルスは、心を決めた。

 灰狼領に向かい、灰狼候爵家の者に会うのだ、と。


 久しぶりにアリシア=グレイウルフに会い、彼女がどれほど美しく育ったか、確かめるのもいいだろう。

 灰狼領の者たちが余計なことをしていたそのときは……立場をわからせなければ。


 そんなことを思いながら、黒熊侯爵ゼネルスは部下に指示を出す。


「気は進まぬが……灰狼領に行き、事態を確認せねばならぬ。魔物の討伐が終わり次第、出発するぞ!!」


 そうして、黒熊侯爵ゼネルスは動き出したのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る