第9話「侯爵令嬢アリシア、父侯爵に報告をする」
──アリシア視点──
「……と、いうことがあったのです。お父さま」
ここは、
ベッドで身体を起こした父レイソンに、アリシアは今日起きたことを報告していた。
──異世界人のコーヤ=アヤガキが
──『
──コーヤ『
「コーヤさまは次々にすごいことをされたのです!」
アリシアは説明を続ける。
「コーヤさまは『
「すごい人なのだね。コーヤどのは」
「はい! コーヤさまと出会ってから……わたくしは、胸が
アリシアは部屋着の胸を押さえて、続ける。
「コーヤさまは荒れ地に埋まっていたマジックアイテムを見つけ出し、精霊王さまと精霊姫さま、その部下の精霊たちを解放されました。おとぎ話の精霊たちが、わたくしたちの味方についたのです。ああ……こんなことが、実際に起きるなんて……」
もちろん、レイソンにコーヤの秘密を語ることについて、本人の許可は得ている。
彼も能力のことを、レイソンには明かすつもりだったそうだ。
「お父さまの『首輪』も、コーヤさまに無効化していただきました」
アリシアは
娘の言葉にレイソンは反射的に、自分の首をなでた。
そこに『首輪』がないことに気づいて、レイソンは目を見開く。
「お父さまをびっくりさせないように、眠っている間に外していただいたのです。
「私のことはいいよ。アリシア」
娘の話をさえぎり、レイソンは言った。
「それより、お前の考えを聞かせておくれ」
「わたくしの考え、ですか?」
「お前はアヤガキさまのことを、どう思っているのだね?」
「おやさしい方だと思っております。そして、心から信じられるお方だと」
アリシアは熱くなる
「コーヤさまはわたくしを、対等の相手として見てくださったのです」
「それはすばらしいことだ」
「わたくしたち
『
本当ならコーヤは、アリシアにスキルのことを伝える必要などなかった。
命令して、従わせることもできたのだ。
コーヤは『
アリシアとレイソンの『首輪』に干渉して、逆らったら死ぬように設定もできる。
『首輪』を武器にしてアリシアを
あとは
コーヤはすぐにでも、
「なのにコーヤさまはそうしませんでした。それどころか『「首輪」をつけられている人が近くにいるのに、自分だけ「首輪」を外して自由になるのは落ち着かない』なんて、おっしゃって……」
アリシアは記憶をたどるように、目を閉じた。
「あのときのコーヤさまのお言葉は忘れません。コーヤさまは……わたくしのすべてをかけて、お仕えすべき方だと思っております」
コーヤは迷いもなく、アリシアの首輪を無効化した。
いずれ『王位継承権』のことがばれたとき、アリシアが怒るのが嫌だと言って。
(異世界の方が、そんなことを気になさるなんて)
コーヤはアリシアのことを、ひとりの人間として見てくれている。
だからアリシアは、彼を信じることを決めた。
コーヤが罪に問われたなら、一緒に命を取られてもかまわないと。
「それに……不思議なことがあったのです」
「ふむ。どのようなことだね?」
「コーヤさまに『首輪』をはめていただいたとき、わたくしの身体に……甘い、しびれるような感覚が走ったのです」
「…………ううむ」
「古い物語には『女性に首輪をつけて、逆らえば弱い雷の魔術を使う男性』がいましたけれど、コーヤさまはそういうお方でもないようです。いえ、わたくしが感じたしびれは、嫌なものではなかったのですけれど。むしろ心地よくて、なにかの扉が開いてしまいそうな……」
「アリシア」
「す、すみません。お父さま。変なことを言ってしまって……」
「構わないよ。お前の気持ちはよくわかった」
灰狼候レイソンは優しい目で、アリシアを見ていた。
「そういうことなら、私も覚悟を決める必要がありそうだ」
「覚悟とおっしゃいますと?」
「それは後で話すよ。それよりもお前のことだ」
「アリシア。お前は自分の心に従いなさい」
「心に? でもお父さま。わたくしは
「
レイソンはおだやかな表情で、
「お前は
「で、でも、わたくしの心のままになんて……」
「灰狼侯爵領を変えるには、その方がいいのだよ」
「……そうなのですか?」
「私はずっと、ランドフィア王家と
──自分だったら『
──領地を接する侯爵家──
──結果、灰狼侯爵領は変わらないままだっただろう。
そんなことを、レイソンは娘に語りかける。
「私は王家や他の侯爵家に支配されたまま、長い時を過ごしてきた。いつの間にか、それに慣れてしまっていたのだ。だが、お前とコーヤ=アヤガキどのなら、この地に良き変化をもたらしてくれるだろう」
「わたくしとコーヤさまが……ですか?」
「言わなかったかね。灰狼は昔、辺境の王だったことがあるのだよ」
「うかがっております。おとぎ話のひとつですね?」
「王だったころの灰狼家は、さまざまな種族と共存していたと言われている」
遠い目をして、レイソンは言った。
「その後、灰狼家は初代王アルカイン陛下に従うことを決め、王から
「過去のことです。父上」
「ああ、過去のことだ。だが、おぼえておいてほしいのだ」
そう言ってレイソンは、笑った。
「行きなさい、アリシア。心のまま、お前が選んだ方にお仕えするのだよ」
「は、はい。父上」
そうしてアリシアは、父の前から退出したのだった。
「気づいているかな。アリシア。この幸運はお前がつかみとったものなのだよ」
娘が去ったあとの部屋で、レイソン=グレイウルフはつぶやいた。
アリシアはコーヤ=アヤガキを信じた。
心のままに動いて、『首輪』と『
それはレイソンにはできなかったことだ。
コーヤ=アヤガキと出会ったのがレイソンだったら、対応は違っていた。
おそらくレイソンは『王家と他の侯爵家がどう思うか』を考えてしまっただろう。
迷ったあげく、コーヤ=アヤガキの提案を断っていたかもしれない。
「……私は、決めることができない人間だからな」
レイソンは机の引き出しから、一通の書状を取り出した。
黒熊侯爵家からの手紙だ。
古いものだ。送られてきたのは10年前。アリシアがまだ、5歳のころだった。
内容は
『灰狼侯爵家に男子が生まれない場合、公女アリシアに子を産ませるべし。
相手は、
公女アリシアの16歳の誕生日に、担当の者を現地に送る。その者を、公女アリシアと
これは灰狼侯爵家を残すための
第8代黒熊侯爵 ゼネルス=ブラックベア』
「……ふざけるな」
アリシアは今、14歳。期限はあと2年だ。
黒熊侯爵からの提案のことを、アリシアは知らない。
知る必要がないからだ。
黒熊侯爵家がアリシアの『相手』を送り込んできたら、レイソンはその者を追い返すか……場合によっては
もちろん、それは王家や黒熊候への
『首輪』が炎を
だが、それでいい。
娘を守れない父親に価値はないのだから。
レイソンが死ねば、灰狼侯爵家の生き残りはアリシアだけになる。
灰狼侯爵家が絶えることを、王家は望んでいない。
王家に逆らった者がどうなるのかの見せしめとして、存在し続けることを望んでいる。
それゆえに、王家はアリシアを死なせるようなことはできない。
無理にアリシアに子を産ませるのは、難しくなる。
彼女が自害すれば、その時点で
レイソンが描いていたのは、そんな未来だった。
彼自身の命と引き換えに、アリシアにほんの少しの自由をあげたかったのだ。
(私にできるのは、せいぜいその程度のことだ)
レイソンはずっと、アリシアを逃がすことを考えてきた。
だが、それは不可能に近い。
陸路は駄目だ。灰狼候を出たところには『
街道を通ろうとすればアリシアが殺される。
山は魔物の巣だ。通り抜けることはできない。
海路も無理だ。一年中荒れた海は、船を出すことさえできない。
なにより、領地を出たら『首輪』がアリシアを焼き殺してしまう。
打てる手はなにもなかった。
あるのは命を
侯爵であり、父である自分は、娘を救うこともできない。
その
季節の変わり目には、こうして病床についてしまうほどに。
だが──
「『首輪』は無効化された。『
アリシアが自由になったのなら、レイソンにもできることはある。
まずは
どうせ長く生きる気はないのだ。今、無理をせずにいつするのか。
まずは、精霊たちに会おう。
荒れ地が豊かな土地になるのなら、開拓の準備も必要だろう。
できるだけ灰狼候を良い環境にしてから、アリシアに引き継がなければ。
「すべての責任は私が取る」
レイソンは病んだ身体で立ち上がる。
椅子に座り、書状を書き始める。
それはアリシアと、彼女が選んだ相手に全権をゆだねることを示す、命令書だった。
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次回、第10話は、明日の夕方くらいに更新します。
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