第9話「侯爵令嬢アリシア、父侯爵に報告をする」

 ──アリシア視点──





「……と、いうことがあったのです。お父さま」


 ここは、侯爵家こうしゃくけの屋敷にある、領主の部屋。

 ベッドで身体を起こした父レイソンに、アリシアは今日起きたことを報告していた。


 ──異世界人のコーヤ=アヤガキが灰狼侯爵領はいろうこうしゃくりょうにやってきたこと。

 ──『王位継承権おういけいしょうけん』スキルのこと。

 ──コーヤ『不死兵イモータル』を味方につけたことと、アリシアの『首輪』を無効化してくれたこと。


「コーヤさまは次々にすごいことをされたのです!」


 アリシアは説明を続ける。


「コーヤさまは『不死兵イモータル』を『幻影兵士ファントム・ソルジャー』に変装させて、オーガをあっという間にやっつけてしまいました。しかも『首輪』を利用して、火炎魔法を演出してみせたのです」

「すごい人なのだね。コーヤどのは」

「はい! コーヤさまと出会ってから……わたくしは、胸が高鳴たかなって仕方がないのです」


 アリシアは部屋着の胸を押さえて、続ける。


「コーヤさまは荒れ地に埋まっていたマジックアイテムを見つけ出し、精霊王さまと精霊姫さま、その部下の精霊たちを解放されました。おとぎ話の精霊たちが、わたくしたちの味方についたのです。ああ……こんなことが、実際に起きるなんて……」


 もちろん、レイソンにコーヤの秘密を語ることについて、本人の許可は得ている。

 彼も能力のことを、レイソンには明かすつもりだったそうだ。


「お父さまの『首輪』も、コーヤさまに無効化していただきました」


 アリシアは興奮こうふんした口調で、続ける。

 娘の言葉にレイソンは反射的に、自分の首をなでた。

 そこに『首輪』がないことに気づいて、レイソンは目を見開く。


「お父さまをびっくりさせないように、眠っている間に外していただいたのです。事後承諾じごしょうだくになってしまって申し訳ありません。お父さまもできるだけ早く解放して差し上げたくて──」

「私のことはいいよ。アリシア」


 娘の話をさえぎり、レイソンは言った。


「それより、お前の考えを聞かせておくれ」

「わたくしの考え、ですか?」

「お前はアヤガキさまのことを、どう思っているのだね?」

「おやさしい方だと思っております。そして、心から信じられるお方だと」


 アリシアは熱くなるほおを押さえながら、


「コーヤさまはわたくしを、対等の相手として見てくださったのです」

「それはすばらしいことだ」

「わたくしたち灰狼侯爵家はいろうこうしゃくけは、王家や貴族から見下されてきました。魔王が復活したときには、まっさきに滅ぶべき貴族だと。なのにコーヤさまは、わたくしを仲間に……いえ、共犯者きょうはんしゃにしてくださいました。その上ご自分のことや、スキルのことまで教えてくださったのです」


王位継承権おういけいしょうけん』スキルを持つコーヤは、アリシアよりはるかに有利な立場にある。

 本当ならコーヤは、アリシアにスキルのことを伝える必要などなかった。

 命令して、従わせることもできたのだ。


 コーヤは『不死兵イモータル』を自由自在に操れる。

 アリシアとレイソンの『首輪』に干渉して、逆らったら死ぬように設定もできる。

『首輪』を武器にしてアリシアをあやつれば、コーヤは前に出ないで済む。


 あとはかげの支配者として君臨くんりんすればいい。

 コーヤはすぐにでも、灰狼侯爵家はいろうこうしゃくけを支配できるのだ。


「なのにコーヤさまはそうしませんでした。それどころか『「首輪」をつけられている人が近くにいるのに、自分だけ「首輪」を外して自由になるのは落ち着かない』なんて、おっしゃって……」


 アリシアは記憶をたどるように、目を閉じた。


「あのときのコーヤさまのお言葉は忘れません。コーヤさまは……わたくしのすべてをかけて、お仕えすべき方だと思っております」


 コーヤは迷いもなく、アリシアの首輪を無効化した。

 いずれ『王位継承権』のことがばれたとき、アリシアが怒るのが嫌だと言って。

 

(異世界の方が、そんなことを気になさるなんて)


 コーヤはアリシアのことを、ひとりの人間として見てくれている。

 没落令嬢ぼつらくれいじょうでも、捨てられた家の姫君でもなく、ひとりの少女として。


 だからアリシアは、彼を信じることを決めた。

 共犯者きょうはんしゃに──彼の絶対的な味方になると、心に決めたのだ。

 コーヤが罪に問われたなら、一緒に命を取られてもかまわないと。


「それに……不思議なことがあったのです」

「ふむ。どのようなことだね?」

「コーヤさまに『首輪』をはめていただいたとき、わたくしの身体に……甘い、しびれるような感覚が走ったのです」

「…………ううむ」

「古い物語には『女性に首輪をつけて、逆らえば弱い雷の魔術を使う男性』がいましたけれど、コーヤさまはそういうお方でもないようです。いえ、わたくしが感じたしびれは、嫌なものではなかったのですけれど。むしろ心地よくて、なにかの扉が開いてしまいそうな……」

「アリシア」

「す、すみません。お父さま。変なことを言ってしまって……」

「構わないよ。お前の気持ちはよくわかった」


 灰狼候レイソンは優しい目で、アリシアを見ていた。


「そういうことなら、私も覚悟を決める必要がありそうだ」

「覚悟とおっしゃいますと?」

「それは後で話すよ。それよりもお前のことだ」


 灰狼侯爵はいろうこうしゃくレイソンは、おだやかな笑顔を浮かべながら、アリシアを見ていた。


「アリシア。お前は自分の心に従いなさい」

「心に? でもお父さま。わたくしは侯爵家こうしゃくけの人間としての責任が……」

侯爵こうしゃくは私だよ。民と領地に責任を持つのは、私の役目なのだ」


 レイソンはおだやかな表情で、


「お前はおもいのままに生きなさい。アヤガキどのと一緒に行動したいならそうするといい。すべての責任は、侯爵である私が取るのだから」

「で、でも、わたくしの心のままになんて……」

「灰狼侯爵領を変えるには、その方がいいのだよ」

「……そうなのですか?」

「私はずっと、ランドフィア王家と黒熊侯爵家こくゆうこうしゃくけを恐れてきた。そんな私の考えに従っていては、変化をもたらすことはできないだろう」


 ──自分だったら『墓標ぼひょう』の封印を解くことを許可しなかった。

 ──領地を接する侯爵家──黒熊侯爵家こくゆうこうしゃくけに目を付けられることを恐れて、コーヤ=アヤガキを止めていた。

 ──結果、灰狼侯爵領は変わらないままだっただろう。


 そんなことを、レイソンは娘に語りかける。


「私は王家や他の侯爵家に支配されたまま、長い時を過ごしてきた。いつの間にか、それに慣れてしまっていたのだ。だが、お前とコーヤ=アヤガキどのなら、この地に良き変化をもたらしてくれるだろう」

「わたくしとコーヤさまが……ですか?」

「言わなかったかね。灰狼は昔、辺境の王だったことがあるのだよ」

「うかがっております。おとぎ話のひとつですね?」

「王だったころの灰狼家は、さまざまな種族と共存していたと言われている」


 遠い目をして、レイソンは言った。


「その後、灰狼家は初代王アルカイン陛下に従うことを決め、王からこう格下かくさげとなった。その後、反乱を疑われてこの地に追放された。もしかしたら王家は、かつて王を名乗っていた灰狼が許せなかったのかもしれぬ」

「過去のことです。父上」

「ああ、過去のことだ。だが、おぼえておいてほしいのだ」


 そう言ってレイソンは、笑った。


「行きなさい、アリシア。心のまま、お前が選んだ方にお仕えするのだよ」

「は、はい。父上」


 そうしてアリシアは、父の前から退出したのだった。







「気づいているかな。アリシア。この幸運はお前がつかみとったものなのだよ」


 娘が去ったあとの部屋で、レイソン=グレイウルフはつぶやいた。


 アリシアはコーヤ=アヤガキを信じた。

 心のままに動いて、『首輪』と『不死兵イモータル』をゆだねた。

 それはレイソンにはできなかったことだ。


 コーヤ=アヤガキと出会ったのがレイソンだったら、対応は違っていた。

 おそらくレイソンは『王家と他の侯爵家がどう思うか』を考えてしまっただろう。

 迷ったあげく、コーヤ=アヤガキの提案を断っていたかもしれない。


「……私は、決めることができない人間だからな」


 レイソンは机の引き出しから、一通の書状を取り出した。

 黒熊侯爵家からの手紙だ。

 古いものだ。送られてきたのは10年前。アリシアがまだ、5歳のころだった。


 内容は簡潔シンプルだ。



『灰狼侯爵家に男子が生まれない場合、公女アリシアに子を産ませるべし。

 相手は、黒熊侯爵こくゆうこうしゃくのゼネルスが選定する。

 公女アリシアの16歳の誕生日に、担当の者を現地に送る。その者を、公女アリシアとめあわせよ。

 これは灰狼侯爵家を残すための措置そちである。


 第8代黒熊侯爵 ゼネルス=ブラックベア』



「……ふざけるな」


 アリシアは今、14歳。期限はあと2年だ。

 黒熊侯爵からの提案のことを、アリシアは知らない。

 知る必要がないからだ。


 黒熊侯爵家がアリシアの『相手』を送り込んできたら、レイソンはその者を追い返すか……場合によってはり捨てるつもりでいる。

 もちろん、それは王家や黒熊候への叛逆はんぎゃくだ。

『首輪』が炎をき出し、レイソンをくすだろう。


 だが、それでいい。

 娘を守れない父親に価値はないのだから。


 レイソンが死ねば、灰狼侯爵家の生き残りはアリシアだけになる。

 灰狼侯爵家が絶えることを、王家は望んでいない。

 王家に逆らった者がどうなるのかの見せしめとして、存在し続けることを望んでいる。


 それゆえに、王家はアリシアを死なせるようなことはできない。

 無理にアリシアに子を産ませるのは、難しくなる。

 彼女が自害すれば、その時点で灰狼侯爵家はいろうこうしゃくけは終わるのだから。


 レイソンが描いていたのは、そんな未来だった。

 彼自身の命と引き換えに、アリシアにほんの少しの自由をあげたかったのだ。


(私にできるのは、せいぜいその程度のことだ)


 レイソンはずっと、アリシアを逃がすことを考えてきた。

 だが、それは不可能に近い。


 陸路は駄目だ。灰狼候を出たところには『不死兵イモータル』がいる。

 街道を通ろうとすればアリシアが殺される。


 山は魔物の巣だ。通り抜けることはできない。

 海路も無理だ。一年中荒れた海は、船を出すことさえできない。


 なにより、領地を出たら『首輪』がアリシアを焼き殺してしまう。

 打てる手はなにもなかった。

 あるのは命をけてアリシアを守るという覚悟だけだ。


 侯爵であり、父である自分は、娘を救うこともできない。

 その心労しんろうは、レイソンの身体を痛めつけてきた。

 季節の変わり目には、こうして病床についてしまうほどに。

 だが──


「『首輪』は無効化された。『不死兵イモータル』も味方についた。お前はもう、心のままに生きていいのだよ」


 アリシアが自由になったのなら、レイソンにもできることはある。

 まずは病床びょうしょうから起き上がり、動かなければ。

 どうせ長く生きる気はないのだ。今、無理をせずにいつするのか。


 まずは、精霊たちに会おう。

 荒れ地が豊かな土地になるのなら、開拓の準備も必要だろう。

 できるだけ灰狼候を良い環境にしてから、アリシアに引き継がなければ。


「すべての責任は私が取る」


 レイソンは病んだ身体で立ち上がる。

 椅子に座り、書状を書き始める。


 それはアリシアと、彼女が選んだ相手に全権をゆだねることを示す、命令書だった。



──────────────────────


 次回、第10話は、明日の夕方くらいに更新します。



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