「鳥の向く先」【KAC20246:トリあえず】

冬野ゆな

第1話

 それは、私がガロ砂漠のマーケットを旅していた時のこと。

 この地方特有の簡素で愛想のない干しレンガの建物群は、露天商たちによってものの見事に派手に飾りつけられていた。これこそマーケットの醍醐味だ。マーケットこそ干しレンガの愛想のない作りが活きる。左右からはみ出すほどの商品の合間を縫い、人々は求める品をめざして狭くなった通りを行き来する。あちこちから声がかかるのはほとんどが食糧や布、装飾品だ。商人たちは少しでも快適に見てもらおうと、建物の二階部分同士で鮮やかな布を渡し、照りつける太陽を防いでくれている。そうした気遣いをしながらも、ひとたび裏路地に脚を踏み入れれば戻ってこられないような危うさも孕んでいた。その危うさは表通りにも密やかににじみ出ているが、こちらから飛び込むような真似さえしなければいい。それに、声がけにいちいち反応していては、カモに見られるだけだ。

 それでも珍しい売り物というのはあるもので、私は店先に並んだ商品を冷やかしがてら眺めていた。ある店先では天井を埋めるほどにランプが吊り下げられ、そのひとつとして同じ形のものはなかった。人が二、三人は入りそうなずだ袋いっぱいに入れられているのは、見た事もない果物たち。店先どころか建物の二階から所狭しと垂れ下げられているのは、鮮やかな色が織り込まれた厚い絨毯。はたまたとある店先では、商人が人魚の詩を売るといいながら、見込みのある客を暗い奥へと誘導していた。目を逸らし、その方向からは足を遠ざける。

 さてなにか珍しいものはないかと思っていると、けたたましい声のする店があった。ぴぃぴぃ、ちゃっちゃっ、きゅいきゅい。この砂漠ではあまり聞かない声だ。目をやると、鳥かごがあちこちに並べられているようだった。

「さあさあ、こいつは遠く西の大地から仕入れた珍しい鳥だ。とても美しい声で鳴くよ」

 店先の店主は、鳥かごに入った色鮮やかな赤い鳥を見せて人を呼び込んでいる。あの鳥は目玉商品なのだろうか。

「他にも珍しい鳥たちが待ってるよ、どうぞ中を見ていってくれ」

 人々が立ち止まって赤い鳥が歌うのを眺めているので、私もつい足をとめて中へと入り込んだ。天幕の中で目が慣れると、そこにも鳥かごが所狭しと並べられている。迂闊に足を踏み入れたことに気付いてハッとしたが、私以外にも客はいるようで、なにも買わずに出て行く者もいた。小さく安堵し、再び目線を鳥かごに戻す。一羽だけで鳥かごに入っているようなものもいれば、小さなものが数匹、十数匹と固まって入っているかごもある。鳥たちはいちど鳴き始めると好き勝手な輪唱でさえない声でなきわめき、落ち着いて見るどころではなかった。他の客も同じようで、このうるささに嫌気がさして出ていってしまう者さえいた。果たしてこれで売れるのだろうかと思っていると、天幕の隅をじっと見つめている男がいるのに気付いた。

 男は店員を呼び止め、隅の四角いかごを指さして尋ねた。

「この鳥は?」

 私はついつい男の指す鳥かごを盗み見た。

 中にはどこかぐったりとしている細い鳥が居た。もう羽もボサボサで、元は黒かったのであろう色もところどころ抜けかかっている。他の鳥と違って鳴くこともせずじいっとしている。

 店員は揉み手をしながらも言った。

「ああ、これはもう年でしてね、もうすぐ処分するところなのです。それよりお客さん、他にも珍しい鳥がたくさんいるのでね、なにかお探しならお手伝いいたしやすが」

「いや……、これがいい」

「へえ、買い取ってくれるのならわたくしどもとしましても都合が良いのですが……本当にこちらでいいので?」

「ああ。これがいいんだ。死にかけくらいが」

「そうですか。ま、いざとなりゃあ食料くらいにはなるでしょうや」

 店員は上に置かれた鳥かごをどかし、一番下にいたその鳥かごを出してきた。そうして、これも処分品だからと古びて歪曲している鳥かごに移し替え、男へと渡した。たまにこうして変わった客もいるのだろう。店員は売れたことへの喜びで、男への疑問はないようだった。その代わりのように、私は男に興味を引かれていた。

 あんなものを買ってどうするのだろう。

 死にかけの鳥を……。

 男は鳥かごに布をかけると、そのままかごを持って店を出ていった。私は人混みにまぎれてそっと店を出ると、男の後を追うことにした。

 彼は雑踏のなかをずんずんと進んでいた。進み慣れたように歩いていくのに、私はといえば必死についていくしかなかった。男は背が高く、少しだけ目立ったが、それでもこの人混みのなかではついていくのがやっとだった。男はマーケットを東へとひたすら歩き、宿にも向かわないようだった。いったいどこへ行くのか、このあたりになると私も意地になって追いかけていた。

 やがて人混みを抜けると、マーケットを抜け、夕暮れの迫る街の外へと足を向けていた。

 砂漠は夕暮れに照らされて赤く染まっていた。向こうの方では既に夜の帳が落ちかけて、紫のヴェールが引かれようとしている。星々が淡くきらめいて、一日の終わりを告げようとしていた。男はそんな砂漠を歩いていく。だれもいない砂漠。私はその後を追うかどうか悩んだ。だが私が決断を下すまえに、不意に男が声を発した。

「どうかされましたか」

「えっ……」

 まさか自分に話しかけられているとは思わず、少しだけ周囲を見回す。

「わたしを追いかけてきたのでしょう。どうされましたかね」

 男はゆっくりとこちらを振り向いた。

 しまった。

 気付いていたのか。

「ああ、いや、そのう――その鳥を何に使うのだろうと思いまして。興味を引かれてこんなところまでついてきてしまったのです。そんな鳥を飼うのですか?」

「ははは。さすがに死にかけの鳥など飼う趣味はないよ」

「では……」

 私が問いかけようとして、男は地面に鳥かごをおろした。

「ここで、ひとつ運試しをしようと思ってね」

「運試しですか?」

「ああ。わたしはきみと同じ、旅人だ。けれども……」

 男は自分の手を小さくさすった。その手には皺が浮いていた。

 夕日に照らされる男の顔にも多くの皺が刻まれ、その年月を感じさせる。

「もうわたしの先は長くない。この旅路の終着点をどこにすべきか、年老いた鳥が倒れる先で決めようと思ったのだ」

「終着点を……」

 私はただ、大きく目を見開くことしかできなかった。

 戸惑いは言葉にならず、私はただ無言で彼が鳥かごを開けるのを見ているしかなかった。中でうずくまっている鳥の首を掴み、取り出す。わずかばかりにバタバタと翼を動かしたものの、もはやその翼も老いていた。

「見ていてくれるかい。街に倒れれば街で――、砂漠に向かって倒れればその頭の向かう先で……」

 私は――私は他人事ではない気がした。

 旅人は、自由だ。

 ゆえにその終着点も自由だ。進む足を止めたとき。

 自分の手で終わらせるのか、それともだれかの手によって終わらせられるのか。

 それを決めるのも自由だ。

「……わかりました」

 いずれ私にも来るのだろうか。

 旅の終わりを自分で決断するときが。

 男は首を掴んだ鳥を、やや乱雑に砂の上へと落とした。鳥はしばらくよろよろと砂の上を彷徨った。右に左に倒れそうになる様は、目が見えているかどうかさえ危うい。いったい鳥はどこを見ているのだろう。それともその茫洋とした目も、もう闇のなかを彷徨っているのか。ボサボサの翼を広げては閉じ、あるいは閉じられぬままに奇怪な怪物に成り果て、夜の砂漠に吹き始めた冷たい風が死神の鎌となってその首の向く先を断ち切ろうとしていた。

 いよいよ空の帳がおりようとしていた。紫色のヴェールがとうとう空を覆い尽くそうとしていた。

 星々のきらめき。冷たい風。そして光。死にかけの鳥。

 最後のともしび……。

 バサリと翼が広がった。

「あっ」

 夜迫る空に、黒い影が広がった。

 私達はなにも言わなかった。暗い夜空に、なおも暗い影が飛び立ったのだ。それは最後の力を振り絞るように、月に向かって飛んでいた。その影はあっという間に小さくなり、目もくらむような暗闇のなかに飛び立って小さくなっていった。もう私の目をもってしても、どこを飛んでいるのか知れなかった。たとえ砂漠の中に落ちたとしても……見つけることはできるだろうか。

「飛びましたね」

 私の声が静寂をやぶった。

「飛んだなぁ……」

 その声はどこか感慨深げに聞こえた。

「飛んだときは、どうするのです?」

「困ったな。決めていなかった」

 私は男の言葉に目を瞬かせることしかできなかった。

「それは、困りましたね」

「……じゃあ、とりあえず、決まっていない場所へ行くとしようか。トリだけにね」

 男はおどけたように微かに笑ったが、その目には命のきらめきが宿っていた。

「それなら、私は結果を確かに見届けましたよ」

 私はそう言って、にやりと笑い返した。

 二人でそれとなく笑ったあと、夜の風を避けるために宿へと戻ることを提案した。きびすを返してしばらく歩いたあと振り返ると、彼が立ち止まって振り返っているのが見えた。その視線の先には鳥の飛んでいった先に向けられている。

 夜空だけが広がっていた。

 どこへともなく広がって、つながっている空が……。

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