某月某日
まさおくん、まさおくんまさおくん。ねぇねぇ、機嫌を直しておくれよ。
まさおの寝転んでいる窓辺の床。その近くにぺたりと座って手を伸ばす。かわいらしいあんよ(としか表現できない慎ましい可愛らしさ)を触れば、まさおはそれを素早く引っ込める。ああん、ねぇ、ちょっとまさおくん。ごめんて。拗ねた横顔も可愛らしくてよ? ねぇってば。
ちょっとばかりお話を書くことに集中して、ちょっとばかり本を読むことに集中して、ちょっとばかり事務作業などしていたら、猫のまさおがすっかりと臍を曲げてしまいました。
もふもふとした被毛の塊が、陽を浴びながらすうすうと奔放に寝息をたてています。
実はこのふた月ほど、転職活動などしておりまして。と言っても今までの仕事は続けたまま、水面下でひっそりと。
ことの起こりは七月の夏季休暇中でした。
今の職場は十数年ほど勤めているのですが、ここ数年は慢性的に「離れたい」という気持ちを持っていまして。ふと気が向くと転職サイトを眺めては、待遇や条件などをぼんやり品定めし、今の職場と比較して「まぁ、まだマシか」とか、「いいなぁ、でも資格の持ち合わせがないなぁ」とかいう感想を抱いていたのです。
人間関係どうこうもなくは無いですし、給料が上がらな過ぎるという話もありますが、通勤時間が長い事が体力的にいよいよキツくなってきまして。
最初は自転車で25分の立地に住んでいたのです。それが結婚して転居したら電車で一時間に伸び、勤務先の移転があってからは電車とバスを乗り継いで一時間半。その間、本を読んだり文章を書いたりして過ごしては居ますが、仕事後に一時間半かけて帰宅してから家事をする体力を捻出するのがそろそろキツイ。せめてもうちょい通勤時間が短かければなぁ、と。
そしてついに、数年前に憧れの気持ちだけで勉強して取得した資格が活かせて、待遇が今よりも良くて、何より家から近くて自転車で十五分ほどで通えるという素晴らしい求人を発見してしまいまして。
まぁ、資格はあるけど経験もないし、歳だし、どうせ書類落ちでしょう、とぶちぶち言いながら必要事項を記入してエントリーボタンを押下。すると直ちに電話があり、あれよあれよと職場の見学、面接の日程調整などが現実のものとなって我が身に降りかかっていたのでした。
それで、どうなったか。
面接に伺った際のそちらの職場の方達は、親切で情熱のある、とても素敵な方々でした。業務内容も聞けば聞くほど自分の性格と合っていて、ぜひここで働きたいなぁという気持ちが募ったのですが……ですが。
私の「仕事」に対するスタンスって、基本的に「送りバント」なんですよね。
ヒットでもホームランでもなく、誰かと誰かの仕事を繋ぐためのもの。自分で派手なホームランを打たなくていいから、誰かの打順にきちんと繋がって、結果、点が入ればチームとしてそれで良し。それくらいのテンション感の人間が、あの情熱あふれる職場でやっていけるのか……。
えーと。採用の連絡が来ました。なんで?
お盆明けにお偉方がご出勤されたタイミングで相談し、退職交渉が始まりました。……が、人事関連の偉い人が休みだからという理由で話が保留されまくります。
「あの〜、早急に後任人事を決めて頂かないと引き継ぎがですね〜」
という私の声も虚しく。
「上司が残ってるんだからいいでしょ? 当面は元同僚ちゃんにサポートに入って貰って」
元同僚ちゃんは業務を離れて一年以上経つ上に、そもそも所属期間も「データ処理に苦手意識がある」で限られた業務しかしていなかったのですが。
有給消化に入る希望日程を聞かれました。ダメ元で「まるっと九月」と答えるとそのまま通ります。どうやら本当に引き継ぎ期間を考慮されていない模様。
そうかー。それってつまり、私のやってきた業務を「誰にでもすぐ出来る簡単楽ちんなお仕事」だと認識していますね? そりゃ給料も上がらないよね。そうなのかー。
時にエクセル関数を複数駆使し、時に気合いで乗り切るデータ処理。現場に入って力仕事したかと思えば、メールと電話で顧客や業者との折衝。ある時は営業さんの補佐をし、またある時は集計したデータを元に売り上げ予測を立て、そして相次ぐシステム改修、クセの強い上司……。そうかー。うん、ちょっとカチンときましたね。
「退職日、やっぱり少し延ばせますか? 残りの有給が五十日あるので、半分くらい消化出来たらと」
そこからは話が(伏せられたままで)とんとん拍子に進み、直属の上司に伝えられたのは一週間前、口外する許可が出たのは最終出勤日三日前の夕方。
上長による「こんな遅くなってすみません!」の土下座あり、同じタイミングで後任を告げられた元同僚ちゃんの「出来ない無理だ」と号泣しつつの訴えあり、なかなかの地獄絵図が繰り広げられました。ちなみに元同僚ちゃん、翌日はショックのあまりお休みでした。わぁ、大変。
抱えきれないほどのお菓子の詰め合わせと、紅茶と、花束代わりの日本酒を渡されて、無事に最終日の仕事を終えたのでした。
ねぇまさおくん、私は温厚な社員でしたよね。最終日もきちんと菓子折り置いてきたし、方々に「当面は上司がひとりで業務にあたりますので、お手数おかけしますが宜しく頼みます」と言って回ったし。あちこちで悲鳴があがってたけど、全部笑顔で済ませて余計な事は口にしなかったし。
だからね、まさおくん。労いを込めてお腹を撫でさせてくれないかなぁ? まさおくん? おーい、ねぇってばー。
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