第12話 登場、腹黒姫
「はぁ……」
王城へ続くこの階段を見るたびに、気が重くなる。
女王陛下は俺とアウラの不仲を心配し、週に一度は王城に行ってアウラと会うよう命じている。
かなりめんどうくさいが、言い換えるなら俺たちの不仲作戦がうまく進行しているとも言える。実際、グラセラからの暗殺者はまだ送られてきていない。
「このまま平穏に過ぎてくれればいいんだけど」
ゲーム本編が始まる前に、不要な問題が起こることは避けたい。
「ふぅ……」
すっかり春だな。
最近は足腰が鍛えられたのか、かつてのように倒れ込むことなく
聖騎士学校に入学する頃には、サイクロプスのような脚になっているのではないかと、今から少しだけ不安だったりする。
「あらあら、どちらに行かれるのですか?」
薔薇の蕾をつけ始めた庭園を横目に歩いていると、どこからか鈴のように耳触りのいい声が聞こえてきて、ふとそちらに顔を向けた。
漆黒のドレスに身を包んだ、艶やかな濡羽色の髪を持つ少女が、こちらに向かって微笑んでいた。
刹那、緊張が稲妻のように全身を貫き、俺は動けなくなっていた。
「あらあら、そんなに驚かれて、わたくしの顔に何か付いておりましたか?」
「あ、いや……」
驚くなという方が無理だ。
できればずっと会いたくないと思っていた第二王女殿下、グラセラ・ヘーゲルナッツが突如目の前に現れたのだ。
「その……薔薇のように美しかったので、つい驚いてしまいました」
「うふふ。お上手ですこと。……でも、こちらはまだ蕾ですわよ。開花は、来月頃かしら?」
「そ、そうなんですか……」
彼女に見られているだけで全身から滝のような汗が流れ落ちてくる。
前世で【終ノ空】をプレイしていた頃、一体何度この女に殺されたことか……。
グラセラ・ヘーゲルナッツ。
通称、腹黒姫。
現在は王位継承権第二位に降格し、第一王女から第二王女に変更されてしまったが、元々はベケス王国の次期女王と評される人物だった。
支配力、政治力、カリスマ性など、その才能はどれをとっても歴代トップクラスと評されており、王になるべくして生まれてきた天才と言われていた。
しかし、そんな完璧と思われた天才にも欠点があった。
それが判明したのは、彼女が初潮を迎えた10歳の春だった。
グラセラ・ヘーゲルナッツには、全くと言っていいほど武の才がなかったのだ。
武の才こそがすべてのベケス王国において、それは致命的だった。
かつて天才と持て囃されていた少女は一転して、歴代最も王にふさわしくない落ちこぼれと呼ばれるようになっていた。
その理由は彼女のレベル上限にあった。グラセラのレベル上限はわずか『10』であり、これは平民の平均上限と同じだった。一方、妹アウラのレベル上限は驚愕の『50』。まさに次期女王に相応しい才能を持ってると言えた。
「最近、毎週のようにやって来ていますわね」
くそっ。
やっぱりバレていたか。
考えてみれば、彼女もキスニンク城に住んでいるんだから、当然と言えば当然なんだよな。
アウラとの仲を怪しまれる前に、早めに不仲アピールをしておかなければ。
「こんなことを言っては不敬に思われるかもしれませんが、俺……本当は来たくないんです」
「あらあら、よろしいのですよ。だって貴方、あの蝸牛の相手をさせられているのでしょ? まあ、お可哀想に……」
――心中お察ししますわ。グラセラの言葉からは、彼女自身が俺を深く同情していることが伝わってきた。ちなみに彼女がいう蝸牛とは、引きこもりのアウラのことである。
「あっ、ちょっ!?」
突然グラセラが身を寄せてきたかと思ったら、俺の手を両手でギュッと握りしめて、自分の胸元に引き寄せた。
こんな美少女にそんなことをされたら、どんな男でも
実際、女性にまったく興味のない俺でも、一瞬息を呑んでしまった。それくらい彼女は魅力的だった。
「では、本日はわたくしとお茶会にいたしましょう」
「いや、でも……」
「あらあら……貴方は蝸牛と殻に籠もっている方がお好みなのかしら?」
腹黒姫が俺をじっと見つめる目が少し鋭くなった。
まさかとは思うが……俺とアウラの関係を疑っているのか?
「いえ、俺も男ですから、その……グラセラ殿下とお近づきになりたいんですけど……あっ! ごめんなさい!」
俺はできるだけいやらしい表情を作り、下心のある男を演じる。
アウラよりも、あなたの方が好みだと暗に伝えるのだ。
「あらあら、どうして謝るのですか?」
「!?」
こ、こいつ……自分の胸に俺の手をっ。
11歳とは思えない胸の膨らみに、女に一切興味がない俺もさすがにドギマギしてしまう。
「貴方の噂はかねがね伺っておりますわ。とっても大きいのですわよね?」
「な、なにがでしょうか?」
「あらあら、わたくしに言わせるおつもりなのですか? それとも、そういうのがお好きなのかしら?」
グラセラは11歳とは思えないほど妖艶な微笑を浮かべ、耳元にそっと顔を寄せてきた。
そして、囁くような声でこう言った。
「もちろん、貴方の立派な金玉の話ですわ」
「……!」
思わずゴクリと唾を飲み込んでしまった。
「うふふ。わたくし自慢の温室に、貴方を招待いたしますわ」
「いや、でも……その、陛下との約束が」
まずい。
このままでは魔女の巣穴に引きずり込まれてしまう。単純でお馬鹿なアウラとは違い、グラセラは危険過ぎる。
できれば彼女とは関わり合いたくない!
「あらあら、一日くらいよいではありませんか。それとも、蝸牛の相手はできて、わたくしとはお茶も一緒に飲めませんの?」
あかん。
目が全然笑っていない。
ここで断れば、間違いなく暗殺者を送り込まれる。
第二王女に転落したとはいえ、彼女の支持者はまだ存在する。特に彼女の父方の実家は厄介だ。何をしてくるかわかったものではない。
「……っ」
こうなれば、スケベでうつけなアレン・マイヤーを演じるしかない。
俺は一度呼吸を整えてから、にちゃっといやらしい笑みを浮かべる。
「い、行っちゃおうかな〜」
視線はゆっくりグラセラのわずかな膨らみに向ける。できるだけいやらしく、鼻の下を伸ばすように笑みを浮かべる。藤虎が胸の大きな女の子に向けていた、あのときの顔を思い出すんだ。
「あらあら、素直なお方ですこと。欲望に忠実な殿方は嫌いではございませんわよ」
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