第7話 舌先からはじまる恋と嘘

「はぁ、はぁ……よし!」


 目標にしていた100回の素振りを達成した後、俺はついに行きたかった書店に向かうことにした。


 村には書店がなかったので、自由に本屋に行ける喜びを噛みしめながら歩いている。以前は欲しい本があっても、乗り合い馬車に乗って3時間かけて街の本屋に行くしかなかった。


 実際には、欲しい本があっても買いに行くことはなかった。

 お金がなかったということもあるが、一番の理由はアイリスの趣味が俺と似ていたからだ。


 彼女の家には月に一度、商人がいろいろな物を売りに来ていた。商人はアイリスの好みをよく知っており、彼女は毎月新しい小説を手に入れていた。俺もその恩恵を受けていたというわけだ。


 しかし、俺は王都に引っ越してしまったので、もうアイリスの恩恵を受けることはできない。

 しかし、心配はない。

 ここは王都、ベケス王国一の書店がこの街にはある。


 お金の心配をする必要もない。


 大きな声では言えないが、俺には大きな金玉がある。

 金玉補助金というイカれた制度のおかげで、我が家の家計は安定している。必要なものは母からの援助で手に入れてられるので、この通り、一冊購入できるだけの資金はある。


「ん……なんだ、あれ?」


 本屋に向かう途中の路地裏で、頬被りをした奇妙な少女を発見する。

 一瞬、昨夜のシルビーを思い出したが、地面に座り込む少女はシルビーよりも幼く、むしろ俺と近い歳だと思った。何よりも身なりが整っていた。


 地面に座り込んでいなければ、どこから見ても貴族の令嬢にしか見えない。


 あれは……。


 彼女の前に置かれた品々が気になった。

 手拭いの上には、薄い本らしきものがずらりと並べられていて、手製の看板には、『一冊1000ギル』とだけ書かれていた。


 遠くからだったので、よく見えなかったが、何かしら絵が描かれているようだった。


「……少しくらいなら、いっか」


 本屋まではもう少し。でも、たまには寄り道もいいかもしれない。


「こ、これは!?」


 近づいて少女が売っていた本の表紙を目にした途端、俺の股間が『ざわ……ざわざわ』とわずかに疼いた。


 その書物には、筋肉質なゴリマッチョから細身のマッチョまで、さまざまな男性が、一糸まとわぬ姿で描かれていた。


 これは……間違いなく、男性同士の恋愛を扱った作品、通称BLと呼ばれるホモ本だ。


 な、なぜこんなものがエロゲの世界にあるのか……。


 考え込んでいるうちに、遠い記憶が蘇ってきた。


 そして、


 あ、あああああああああああああああっ!?


 思い出してしまった……。


 頬被りをしていても、青い髪と星のような瞳は隠せない。


 間違いない……こいつ伯爵令嬢、ミランダ・ダーウィンだ!



【終ノ空】には様々な女性キャラクターが登場するのだが、その中には特殊な趣味を持つ令嬢もいる。


 その中でも、ミランダ・ダーウィンは伯爵家の令嬢でありながら、生粋のBLオタク。自分で描いたBL漫画を、特殊なルートを使って世界中に売り出そうとする、本物の変態である。


 その上、彼女は後に【黒薔薇の会】という腐女子の集まりを立ち上げ、学園内で一大派閥を作り上げていく。


 でも、待て!

 ミランダ・ダーウィンは通常、三週目以降でなければ本編に登場しないキャラのはず……。

 というのも、彼女と接触するには、特定のキーアイテムであるBL本を入手する必要があるからだ。


 このBL本の入手難易度が、制作会社の設定ミスを疑ってしまうほど高い。

 なぜなら、ここはBL好きの女子に縁遠い男の楽園――エロゲの世界なのだ。


「……君、そっちの人でしょ?」

「!?」


 め、目が合ってしまった。

 というか、そっちの人とはどういう意味だ?


「本当は女の子にしか売ってあげないんだけど……いいわ。君には特別に売ってあげる。どれにする?」


 買うなんて一言も言っていないのだが……いや、冷静になって考えよう。

 女性ばかりのこの世界で、俺がおかずを手に入れるチャンスなんて滅多にない。学園に入ってしまえば尚更、女性に囲まれた生活だ。


 BL本……か。

 前世でも学生時代、家族に内緒でよく買っていたな。

 特に【舌先からはじまる恋と嘘】に登場するカオルが藤虎に似ていてドストライクだったんだよな。学生時代に何度もお世話になった名作を思い出してしまう。


「えーと、中見てもいいか?」

「構わないけど、数が多いわよ? 好きなジャンルは? 好みの男の子でもいいけど?」

「金髪碧眼で、顔は中性的な感じがいいかな。あと、ゴリゴリなのはNG。できれば細身なのがいい。髪は長めで……あ、でも長すぎるのは嫌かも。チャラそうなのって苦手なんだよな」

「金髪碧眼、中性的な顔立ち……まるで自分のことを言っているみたいね」

「え」


 言われてみると、確かにそうだな。

 アレン・マイヤーはエロゲの主人公とは思えないほど美形なんだよな。


「これなんてどう? 君好みの男の子を、詐欺師みたいな神父さまイケメンが神聖な教会で無茶苦茶に犯すの。初めは嫌だ、やめてよ! って嫌がっている少年(ノン気)なんだけど、次第に神父のテクニックに堕ちていくの。気付いた時にはもう神父のxxxを咥えて離さな――」

「ちょっ、ストップ!」


 ミランダの説明を聞いているだけで、股間が熱くなってしまう――じゃなくて、いくら人通りの少ない路地裏とはいえ、ミランダの声で今の内容はさすがに聞いていられない。

 あと、興奮すると声が大きくなっていくのも考えものだ。


「これからが良いところなのに。まあいいわ。で、どうするの?」

「じゃあ、その……」



 結局、ミランダに勧められて【神父さまの背徳感と罪の味】を買ってしまった。


「それとこれ、君にあげるわ」


 ミランダから【黒い薔薇】のピンバッジをもらった。薔薇の中には数字の『01』が刻まれている。


「なにこれ?」

「おまけみたいなものよ」

「そうなんだ」


 どこかで見たことあるような気がするんだけど……どこだったっけ? 思い出せない。


「いつもここで売ってるの?」

「今日はたまたまよ。王都に来る機会があったから、試しに開いてみたの」

「そうなんだ」


 本編がはじまる数年前だったから、たまたまミランダに会えたってことなのかな?



 ミランダと別れた後、俺は買ったばかりのBL本を抱えながら、ウキウキした気分で自宅の門をくぐり抜けた。


「あ!」


 本来の目的だった恋愛小説が買えなかったことに、ようやく気がついた。





「ま、いっか」

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