第23話 ふーちゃんイヤー




 まだ慣れていないとはいえ、まったく見知らぬ場所ではない。


 もしこの日この時がふーちゃんの家にお邪魔する初めてのタイミングだったとしたら、そりゃもう失神レベルで緊張していたことだろう。『両親がいない』というパワーは、それほどまでに凄まじいのだ。


 いや、本当に変なことは少しも考えてませんよ? だってふーちゃんに嫌われたくないもん。多少強引なほうがモテるという情報は持っているが、こういうのじゃない。そうじゃないんだ。


「じゃ、じゃあ、私の部屋でいい……?」


「ふーちゃんの部屋が可能なのであればふーちゃんの部屋がいいです!」


「そ、そう? じゃあそうしよ」


 ふーちゃんが買ってくれた青白クジラスリッパを装着してからそんな会話をしたのち、俺たちは二階へ上る。ふーちゃんの部屋に行って、今朝と同じようにシートクッションの上に座るよう促されたので、そちらに腰を下ろした。


 ふーちゃんはブレザーの上着をハンガーにかけ、シャツとスカートになってから入り口の扉に手を掛ける。


「飲み物持ってくるね――邁原くん、お茶でいい?」


「はい! お茶が良いです!」


 敬礼しつつ元気よく返事をすると、ふーちゃんは「なんで敬語なの?」と言って笑った。とてつもなく可愛い。もうこれは友達以上恋人未満といっても良いんじゃなかろうか。


「じゃあちょっとだけ待っててね」


「了解~」


 幸せに浸りながら、手を振ってふーちゃんを見送る。あぁ……なんという幸福。いっそのことこのまま時間が止まればいいの――、


「ふーちゃんストーップ!」


 扉が閉まる直前、俺は勢いよく立ち上がって声を掛けた。


 すると、すぐさまふーちゃんが部屋の隙間から顔を出して、「どうしたの?」と聞いてくる。びっくりさせてしまったようで、彼女の目はまんまるに見開かれていた。


「俺も一緒に行く」


 閉じかけていた扉を開いて、ふーちゃんの目を見つめながらそう言った。


「ふぇ? そ、そこまでしなくても大丈夫だよ? いつも通ってるから」


「うん、大丈夫だと思うけどさ、飲み物二つ持って階段上るって、いつもはやっていないイレギュラーなことだろ?」


「そ、それはそうだけど……」


 両手がふさがった状態で階段を上るというのは、危険なのだ。その当たり前に危険なことを、予知夢で死を宣告されている彼女が担うなんて、到底見過ごすことなどできない。


「あと一秒でも長く、一センチでも近くふーちゃんの傍にいたいから」


 そしてこれも本心。ちょっと気持ち悪いラインに達してしまってそうだけど、本当なのだから仕方がない。


「お手て繋いでのぼりおりしても俺は一向にかまわないんだぜ?」


「なっ、なに言ってるの~。また子供あつかいしてるし」


 ちょっとしたジョークにふーちゃんが顔を真っ赤にする。うん、ジョークですよ。あわよくばとか考えていたけれど、まぁ断られてもダメージがないぐらいには期待していない。


 というか、もしふーちゃんの手を握ったりしたら、溶けてしまいそうだし。


 ……ん? そういえば俺、保健室でふーちゃんの手を握ったな。真面目な話をしていたとはいえ、よく無事だったな俺。


「よし! レッツゴー! あ、リビングに入るのまずかったら、俺階段で待ってるよ」


 二階の廊下を歩きながらそう言うと、ふーちゃんは「別に大丈夫だよ」とはにかんだ。


「――あ、アレだよね……その、邁原くんの恋人になる人は、すごく甘やかされそうだよね」


「恋人ねぇ……正直、ふーちゃん以外好きになるビジョンが湧かないんだよな……あ、ごめん。悪気があるわけじゃなくて――」


「ふふっ、大丈夫だよ。でも、邁原くんはちゃんと他に好きな人見つけないと」


「やだね、断る」


「――っ、も、もぉ~」


 これだけ近くにいて、好きな気持ちが冷めるわけなんてないだろう。


 ふーちゃんも、自分があまり良くないことをしている自覚はもっていると思う。告白を断った相手と、これだけ一緒の時間を過ごしているのだから。これだけ近くにいるのだから。


「あのねふーちゃん、これは俺のひとりごととして聞いてほしいんだけど」


 ふーちゃんより先に階段を下りながら、後ろに彼女の存在を感じながら、声に出す。後ろから、小さく「うん」と聞こえてきた。


「俺、三月十五日――予知夢を乗り越えたら、もう一度ふーちゃんに告白するつもりなんだ」


「…………」


「俺はまだ、キミのことを諦めたわけじゃない。告白は一度して振られたけどさ、いまふーちゃんが恋愛できない状態だから断っているというのなら、一年近い猶予ができたと考えているぐらいだ。それまでに、俺はもっともっと、ふーちゃんにふさわしいような、優しくてカッコいい男になるつもりだよ」


 トントン、キシキシ、そんな音が踏面から聞こえてくる。逆に言えば、それぐらいしか音がない。代わりに、ふーちゃんが両手を俺の肩に乗せてきた。一滴だけ鼻血が伝ってきたので、すばやく舐めとって事なきを得る。


「……邁原くんは、もう十分すぎるぐらい――くて――こいいよ……」


 ぼそぼそと、後ろから声が聞こえる。ちょうど二人とも階段を降り切ったタイミングだった。振り返ると、うつむくふーちゃんの姿が目に入る。


「……やべぇ、俺の『ふーちゃんイヤー』が仕事サボりやがった――ごめん、いまなんて言ったの?」


 ふーちゃんの声を聞きのがすとは何をやってるんだ俺の耳。一番大事な仕事をないがしろにしてどうすんだ。ちぎるぞ貴様。


「な、なにも言ってない! というか、『ふーちゃんイヤー』ってなんなの?」


 うつむいたまま、ふーちゃんは地面に向かって言葉を吐く。


「『ふーちゃんイヤー』というのはだな、他の雑音を拾わずにふーちゃんから聞こえてくる音全ての優先度を極限にまで上げた耳のことだ。『ふーちゃんアイ』もあるぞ」


 改めて自分で言うと、かなり気持ち悪くないか? これでも『ふーちゃんノーズ』を言わなかっただけマシなはずなのだけど。


 ちなみに現在俺の『ふーちゃんノーズ』は血の臭いがキツすぎて機能不全に陥っている。ダメダメすぎる。


「…………わ、私だってあるもん」


「ある? 何が?」


「なななんでもないっ! は、はやくいこ」


 ふーちゃんはそう言って、顔を伏せたままリビングへ向かう。俺は彼女の後ろを歩きながら、首を傾げた。


 ある? 何があるんだ?


 まさか俺と同じように『邁原イヤー』や『邁原アイ』があったり――は、さすがに俺の希望的観測がすぎるというものか。




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