第21話 深淵をのぞくとき……
学校で授業を受けながら、今朝のことを考えていた。
ふーちゃんの両親のことや、彼女の部屋のこと――一緒に映画を見る未来のことを考えていたということもあるのだけど、それ以上に、彼女が『仲良しなんだよね?』と不安そうにしていたことが、気がかりだった。
記憶を呼び起こしてみると、一つだけ思い当たることがあった。
それは彼女が初めて俺たちと一緒に昼食をとったときのこと。
『裏表がなさそうで、安心する』
たしか彼女は食後に、そのようなことを俺に話してくれた。もしかしたらそれが、ふーちゃんが一人で行動するようになってしまった原因なのかもしれないな。
喋るようになればわかる――彼女はコミュニケーション能力が低いとは言えない。その証拠に、誠二や和斗、千田や雪花とも普通に話すことができていた。
多少声がつっかえることはあるけれど、会話の応酬に不自然な部分や、人に避けられるような部分はないのだ。だから、友達が『作れない』のではなく『作らなかった』という表現が正しいのだろう。
きっと本来は、俺が助力などせずとも簡単に友達が作れていたはずだ。ブランクがある分、難しかったのかもしれないが。
「…………はぁ」
トイレの鏡に映る自分を見て、ため息を吐く。
ふーちゃんが前を向いているのはとても喜ばしいことだと思う。しかしそれが、あの不幸な予知夢のお陰だと思うのが、嫌だった。
そりゃふーちゃんの祖母は、百パーセントの善意で彼女に言葉を伝えたのだろう。
だけど、それが死期だなんて……辛すぎるじゃないか。もちろん、そうならないように努力はするつもりだけども。
手を洗ってから、昼休みで騒がしい廊下に出る。教室に向かおうと一歩踏み出そうとしたところで、
「ま、邁原くん、大丈夫?」
死角から声を掛けられた。どうやら入り口のすぐそばの壁に寄りかかっていたらしい。
顔を向けなくとも、声ですぐにふーちゃんだとわかった。わかったのだが――どうしてここにいるのかはわからないし、なぜ心配されているのかもわからない。
「ん? 別になんともないよ? というかふーちゃんはどうしたの?」
とぼけて問いかける。嘘は吐きたくないが、馬鹿正直に『ふーちゃんの予知夢について悩んでいた』なんて言いたくないし。
首を傾げていると、ふーちゃんがむすっとした表情になる。
か、可愛い……けど、どうして俺は不満をぶつけられているのだろう。
わけがわからず動揺して、「どうして怒ってるの?」と怒っている人に一番言ってはいけなさそうなセリフを口にしてしまった。
「……し、深淵なの」
「? ご、ごめん、どういう意味?」
「わ、私ものぞいてるの!」
顔を赤くしつつ、誤魔化すように言うふーちゃん。
これはきちんと理解せねば、ふーちゃんマスター(自称)の名が廃るな。
「…………ふむ、なるほど」
普段は使わない頭を全力で使用。ふーちゃんパワーさえあればエネルギー摂取無しに永遠に稼働可能な俺の脳が頑張ってくれた。秒で理解した。
おそらく彼女は、ニーチェの『深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』という言葉を頭に思い浮かべているのだろう。
そして、そもそもの彼女が怒っている原因――こちらは俺が嘘を吐いたことがバレている可能性が高い。
つまり、俺がふーちゃんのことを見ているように、ふーちゃんもまた俺を見ている、だから、俺の嘘はバレバレだ――そう言いたかったのではないかと予想。
ただひとつ問題があるとすれば、あのニーチェの言葉って『ミイラ取りがミイラに~』みたいな話しで、『目があうってことは、あっちも私を見てたってことだよね!』のような意味じゃなかったと思うんだが。
まぁとりあえず――だ。
「ふーちゃん、そんなに俺のこと見てくれてたの?」
一番重要なのは、そこだろう。誤用とかは些末な問題である。あとでふーちゃんが恥をかかないようにそれとなく教えるつもりだけど、今じゃない。
「ちょ、ちょっとね……?」
「ちょっとでもすごく嬉しいんだけど!」
テンション上がるんですけどぉ! うっひょぉおおおおおおお!
「そ、そう?」
「うん! ――あっ、やべ、鼻血出てきた」
「も、もぉ~、大丈夫?」
ふーちゃんは呆れた様子で心配しつつ、制服のポケットからティッシュを取り出す。そこで、彼女は少し笑って自慢げな表情を浮かべた。
「私、邁原くん用にポケットティッシュ持ち歩くようにしたんだよ」
「マジ? すんません……俺が持ち歩けよって話だよな」
「ま、邁原くんは邁原くんで持ってたら? 私は私で持ち歩くから」
そう言ってニコリと笑ったふーちゃんは、新品の袋から数枚ティッシュを抜き出す。俺は片手で鼻を抑え、もう片方の手で受け取ろうとしたが――、
「……もう止まってる?」
ティッシュは俺の手を素通りし、俺の顔へ。
先ほど以上に顔を真っ赤にしたふーちゃんに、鼻の下を拭き取られてしまった。
当然、冷静ではいられない。
「…………おぉ、また鼻血出てきた。可愛いって罪なんだな……」
「ご、ごごごごごごめん――って、私可愛くないよぉ」
自分でも大胆な行動をした自覚はあったのか、ふーちゃんは泣きそうな顔になりながら、わたわたと慌てた様子で俺にティッシュを渡してきた。また拭き取ったらまた噴き出すことは彼女もわかってくれたのだろう。
俺、そろそろ貧血になるかもしれないな。
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