第19話 甘くラブラブな日常を楽しめばいい




「ち、ちがうの! 今のは、あの――走るのが好きって! ね? ね?」


 両親の視線をきっかけにして自分の失言に気付いたふーちゃんが、慌てた様子で声を掛けて来る。


 できるだけこの慌てふためいて可愛いふーちゃんを眺めていたいという欲と、彼女の意に沿った回答を口にしてこの場を納めてあげたいという欲がぶつかり、なんとか理性が後者を勝たせた。


「そうだな、オレ、ハシルノスキ!」


 ちょっと棒読みになってしまった。いや、これは演技が上手いとか下手とかいう話ではなく、目の前の可愛いふーちゃんに意識を割きすぎてしまった結果である。俺悪くない。


 誤魔化せたのかそうでないのかは不明だが、風斗さんと香織さんの二人は、「そうなんだ」と納得する様子を見せてくれた。ふーちゃんはほっと胸を撫でおろしていたけれど、いままでの俺の言動とかですでにバレている気がしなくもない。


 閑話休題。


 二人でお義父さまの出勤を見送って、それから少しだけ香織さんを含む三人で話す――かと思いきや、


「風香、せっかくだからお部屋にご案内したら? 邁原くんが来ていいように掃除いっぱいしてたんじゃないの?」


「ちちちちち違うからぁあああ」


 ……。

 …………ふむ。


 ふーちゃんマスター(自称)である俺の見立てでは、今の彼女の言葉は虚偽の発言である。つまり、『違わない』ということであり、香織さんの発言が正ということ。


 ふーちゃんが俺を自室に連れてくる前提で、掃除を頑張っていたということになるのだ。


「邁原くん!? ま、また鼻血が!」


「仕方ないね」


「仕方なくないよ!? お、お母さんティッシュ! ティッシュ!」


 血が流れている俺以上に慌てているふーちゃん。優しい性格だなぁ。まぁ少しずつ俺の身体も最近の状況に慣れてきたのか、血の流れる量も少なくなってきていた。


 人間、進化する生き物なのである。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 さて、ジャージ姿のふーちゃんに続き、俺は鼻にティッシュを詰め込んで階段を上った。二階にあがるころには完全に収まっていたので、丸めてポケットに収納――しようとしたら、ふーちゃんが回収してくれた。


「ちょ、ちょっとだけ待っててね。い、いちおうチェックしたいから」


「おう、何年でも待つよ」


「ち、遅刻しちゃうよ! もぉ~」


 年単位でここにいたら遅刻どころの騒ぎじゃないけどな。


 俺の冗談?にツッコミを入れてから、薄く開いたドアの隙間からふーちゃんが部屋に入り込む。ほんの十秒ほど待つと、ドアが開かれた。


「ど、どうぞ」


 いよいよか――そう思うと、体に緊張が走った。こんなに緊張したのはいったいいつぶりだろうか。いや、案外最近だな。ふーちゃんへの告白が、たぶん人生最大の緊張だったし。あれと比べたらいくらかマシかもしれない。


 それでも緊張度九十九パーセントが九十五パーセントになったような違いだから、心臓が張り切ってしまうことには変わりはないのだが。


 ふーちゃんがゆっくり開いてくれたドアの向こうには、ベッド、学習机、本棚、楕円のテーブルなどなど――一般的な一人部屋にありそうな家具が置かれていた。


 目に入る色はまちまちだが、全体的に薄い色調――パステルカラーでまとめられていた。真っ先に目に入ったカーテンと掛け布団は、薄いピンク色である。


「名残惜しい……」


「ま、まだ部屋に入ってもないよ?」


 いやそうなんだけどさ。もう学校行きたくねぇってなっちゃうよ。この光景からしばらく目を逸らしたくないって思っちゃうよ。写真に収めるのはライン越えになりそうなので、網膜に焼き付けることに集中しよう。


 今が放課後だったなら、もう少し余裕はあったのかもしれないけれど、現実は早朝。あと二、三十分もすれば俺たちは学校へ向かわなければならない。


 俺の存在でふーちゃん部屋が汚れてしまわないかビクビクしながら、部屋に入室。ふーちゃんは丸いシートクッションを手で示して、「どうぞ」と言ってきた。俺ほどではないが、ふーちゃんも緊張しているみたいだ。


「えへへ――じ、実は友達が私の部屋に入るの、初めてなの。小学校のころとかは、友達の家に行ったりしていたし」


「へぇ、そうだったんだ」


 ふーむ……ふーちゃんは友達が少ない――というかまともな話し相手を俺は見たことがないのだけど、少なくとも、小学生の時点ではそうではなかったらしい。


 まぁ、そのことを聞いてもいいかは、もう少し仲が良くなってから判断したほうがよさそうだ。嫌なことを、無理やり掘り返すことはないだろうし。


 過去も大事だけど、一番は今だ。


 ふーちゃんが聞いた『祖母のもとに行く』という予知夢のおかげで、新たな友人ができた――なんてことは思いたくないが……本当に嫌なきっかけではあるが、プラスに働いていることはたしかなのだろう。


「ね、ねぇ、邁原くん」


 ベッドに腰掛け、抱きしめた枕で顔の下半分を隠しながら、ふーちゃんが言う。


「……ごめんなさい」


 なぜか謝られた。朝から俺の血が少なくなってしまったことに関してだろうか――なんてことを一瞬考えたけど、どうやらそれは俺の勘違いだったらしい。


「――月村くんも、伊川くんも、千田さんも、雪花さんも……でも一番は邁原くんに、申し訳ないなって思うの。せっかく仲良くなってくれたのに、わ、私は……」


 瞳を潤ませながら、彼女は言葉を紡ぐ。俺は黙って、彼女の言葉を待った。

 言いたいことはあるけれど、一度彼女が話したい言葉を聞いてからだ。


「ほ、本当はね『恋人を作らない』のと同じように、『友達を作らない』べきだと思うの。でも、寂しくて、怖くて――邁原くんといると、楽しくて、嬉しくて、ぽかぽかして――」


 俺は一度だけ、「うん」と相槌を打った。


「私のわがままに付き合わせて、ごめんなさい。わがままに付き合ってくれて、ありがと」


 目じりにたまった涙をぬぐって、彼女は枕に顔を押し付けた。今の状態で俺と目を合わせるのは少々ハードルが高いらしい。


「いいんだよ、俺はふーちゃんが好きなんだから。もっと好きなだけわがままを言ってくれ――というか、こんなのはわがままですらないからな」


「……そうかな」


「そうだよ。それにさ、何度だっていうけど、ふーちゃんは絶対に、俺の命に代えても死なせない。これから気を付けることは必要かもしれないけど、怯えることはないよ。それに、ふーちゃんのおばあちゃんはなんて言ってた?」


 彼女は『命に代えても』の部分で俺をとがめるような視線を向けてきたが、声には出さなかった。この視線パワーで理解しろということだろうか。


「……おばあちゃんは、『死に怯えず、一日一日を噛みしめて生きなさい』って言ってた……」


「だろ? だからふーちゃんは怖がらずに、 難しく考えずに、俺と甘くラブラブな日常を楽しめばいいんだよ」


「うん――って違うよ!? わ、私、邁原くんの告白、頑張って断ったから違うもん! 付き合ってないもん!」


「あははっ、ふーちゃん顔真っ赤だぜ?」


「も、もぉ~…………バカ。邁原くんのバカ」


 赤面したふーちゃんはそう言いながら、抱えた枕で俺の背をポスっと軽く叩く。


 空気を和らげるために言った本心は、幸いふーちゃんを怒らせることはなかったようだ。いや、口では『バカ』って言われてるんですけどね?

 




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