第16話 お、お義父さま




 母の日のプレゼントは購入した。誠二の誕生日プレゼントのイヤホンも購入できた。


 これで当初の目的は完遂したわけだが、ここで夕夏が甘えるような猫撫で声で「ちょっとだけお店を見てもいい?」と聞いてきた。


 母の日のプレゼントを見たいというのも本音だったんだろうが、こっちもこっちで本命だったんだろう。こうなることはわかっていたから、別にいいのだけど。


 というわけで、先手を打つことに。


「三千円までだぞ。今月の風呂洗い、俺の分をやるのが条件だ」


「ほんとに!? わかった! トイレ掃除も変わる!」


「お、おぉ……殊勝な態度だな」


「もう今月三分の一は終わってるからね~。それに、お兄ちゃんが頑張って稼いだお金をただで貰おうとは思わないよ」


 なるほど、日割り的に計算したのか。


 まぁ金額の計算はいいとして、夕夏のその発言が素直に兄として嬉しかった。発言というか、考え方というか。俺の頑張りを認めてくれたというか。


 いつも何か家事を条件にしていたけど、夕夏は夕夏でそんなことを考えていたんだなぁ。


 五千円ぐらいまでなら出してやろうか――そう思いながら、何を買おうかと妄想を膨らませている夕夏を見る。実に楽しそうな顔をしていた。


 普段からあまり兄らしいことはしていないし、たまにはこういう機会があってもいいかもなぁ。


 ふーちゃんが男の人と歩いていたという現実から目を逸らすように、俺はそんなことを考えていた。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「……まい、ばらくん……?」


 兄が妹に向ける、その温かく柔らかい表情を遠目で見ていた者がいた。しかしその者の目には、二人の様子の仲睦まじい様子は兄妹として認識できていなかった。


「…………きっと、そっちのほうが幸せだよね」


 涙をこらえるように握った手には、雑貨屋のロゴが入った紙袋が握られている。その袋からは、先ほど買ったばかりのスリッパが顔を覗かせていた。青と白の配色で、小さくクジラの絵がワンポイントとしてデザインされてある、どちらかというと『可愛い』部類に入りそうなスリッパが。


 そのスリッパの色合いは、偶然か、はたまた意図的なのか――邁原勇進が所属していた舞宮中サッカー部のユニフォームと、よく似ていた。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 母の日のプレゼントは、カーネーションと母さんの好きなメーカーの少しお高いチョコ。父さんは父さんで、ワインを買っていた。値段は言っていなかったけど、たぶん高いやつだ。母さんが喜びと同時に『大丈夫なの?』と心配していたぐらいだし。


 まぁそれはいいとして。


 母の日はそれはそれで大事なイベントではあるけれど、今の俺にとってはふーちゃんの方が問題である。ショッピングモールで、男の人と楽しそうに話していたふーちゃんのことが、気になって仕方がない。考えないようにとは思っていても、その時点で考えてしまっているのだからどうしようもない。


 俺に対してもあんな風に笑顔で話してくれることはあったけど、学校で他のクラスメイトに対してあの表情をしたのを俺は見たことがない。もしかしたら俺の知らないところでそんな表情をしていたのかもしれないが、数が少ないことは確かだ。


 ふーちゃんが気を許せる相手なのだろう。想いを寄せている人なのだろう。

 俺はこれから、いったいどんな風にふーちゃんと接すればいいのだろうか。



「結局……連絡できなかったな」


 月曜日の朝になっても、俺は悩むだけで行動に移すことはできなかった。


 いちおう、昨日も一昨日もふーちゃんと連絡は取っているのだ。安否の確認が主なものだから『おはよう』と『おやすみ』の挨拶だけ。他の話題は一切出していないし、やり取りはその一往復だけである。


「いつも通り、いつも通り」


 そう呟きながら、ふーちゃんの家に向かう。


 七時数分前に彼女の家にたどり着いたら、そこで少しだけ待っていれば彼女が出て来る。なんだかその一、二分の間が永遠のようにも感じたし、瞬きする間のようにも思えた。


「お、おはよう邁原くん」


 玄関から、ふーちゃんが出てきた。ランニング仕様のジャージ姿で、手櫛で髪を整えながら俺の元へ歩いてくる。少しだけ、申し訳なさそうに眉が曲がっていた。


 その些細な変化も、手に取るようにわかってしまう。まだ彼女を好きになってからの期間は短いが、その変化がわかるぐらいには、俺はずっとふーちゃんを見てきたから。


 もしかしたら、俺に罪悪感でも抱いているのだろうか。

 他の男性を好きでいながら、俺がこうして迎えに来ていることに対して。


「おはよう、ふーちゃん」


 挨拶を返すと、彼女は頷きながら俺の近くまで歩いてくる。顔が良く見えるところまでくると、やはりふーちゃんは可愛いなと思ってしまった。好きだなと思ってしまった。


 だからなのか、俺の決意はすぐに固まった。

 息をゆっくり吐いて、吸って。


「ふーちゃん、ごめんね。ふーちゃんがたとえ誰のことを好きだったとしても、俺の想いは変えられない。そう思うんだけど、俺はキミの幸せを優先したいんだ。だからふーちゃんが恋をしているなら、応援する。だけど、俺が君を好きでいることも、許してほしいんだ」


 言い終わってから、思わず下唇を噛んだ。


 本当は、俺がふーちゃんを幸せにしたかった。だけど、この天使のようなふーちゃんに、俺のスペックが追いついていないことは重々承知しているのだ。


 だけどそれでも、悔しいという想いは消えない。プチっとした感触のあとに、口の中に血の味が広がっていく。


「? ……? え? どういうこと?」


 ふーちゃんは首を傾げていた。ぽかんと口を半開きにして。

 ……? 本当に何もわかっていないという顔だな。誤魔化しているという雰囲気はない。


「昨日さ、妹と母の日の買い物に出てたんだけど、そこでふーちゃんが男の人といるのを見ちゃったんだよ。本当に、たまたまだったんだ」


 悪気はなかった――そうわかってもらえるように、説明する。


「い、妹さんだったの!?」


 ふーちゃんは驚きの声を上げると、俺に一歩近づいて――手を俺の胸に触れさせながら見上げてくる。唇からだけじゃなく鼻からも血が出てきた。脳内が『可愛い』一色に塗りつぶされてしまう。


 というか、今の言い方だと……もしかしてふーちゃんも俺たちに気付いていた……?


「じ、実は、私もその日、お父さんとお出掛けしてて……」


 ?

 ……?

 …………?


「え? あの人、ふーちゃんの、お、お義父さま、なの?」


 いやたしかに顔は見えてなかったけど……マジですか?

 



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