第13話 ゆーくん




「ま、邁原くん! 一緒に帰ろ!」


 嬉しすぎるお誘いに、俺は抵抗することもできず膝から崩れ落ちてしまった。右手で目元を覆い、左手で心臓辺りの肉を掴む。


 激しく胸を打つ鼓動が、あばら骨を砕いてしまいそうだ。視界にもぱちぱちと光が明滅している。もう、ダメだ……。


「ど、どうしたの!? 大丈夫!?」


「嬉しすぎてダメかもしれない」


「えぇ!? な、なんで!?」


 俺の死因、嬉死――っていかんいかん。俺はふーちゃんを予知夢から救うという重要な使命があるのに、こんなところで旅立つわけにはいかない。落ち着け、落ち着け。


「何やってんだか……ほら、そこ邪魔になってるぜ勇進」


「誠二か……頼む、あと三時間待ってくれ」


「俺部活行けないじゃん!」


 お前の部活に行くための経路は一つしかねぇのかよ。いくらでも通り道はあるだろ。そう心の中でツッコみをしていると、少しだけ心臓が落ち着きを取り戻してくれた。


 ゆっくりと息を吐いてから立ち上がり、誠二の肩をポンと叩く。


「お前がアホで良かった。サンキューな」


「褒めてないよなぁ! 悪意しかねぇよなぁ!」


 憤慨している誠二は放置することにして、和斗に「あとはよろしく」と手を上げておく。了解というジェスチャーとスマイルがすぐに返ってきた。


「取り乱してごめん、帰ろうか」


「う、うん。月村くんたちとのお話はいいの? 私、廊下で待ってるよ?」


 ふーちゃんは少しだけ背伸びをして、心配そうに俺の背後に視線を送っている。相変わらず優しい性格だなぁ。


「へーきへーき。それよりも今日は何の日か覚えてるか?」


「も、もちろんだよ!」


 そう、今日はふーちゃんと一緒にパン屋に行って買い食いをする予定なのだ。


 もしかしたら彼女が今日俺に声を掛けてきたのは、そのことが楽しみでいてもたってもいられなかった――なんてことも理由のひとつかもしれない。


 だとしたら可愛すぎる。そして一緒に過ごせることが、嬉しすぎる。




「あれで付き合ってないとかありえんの?」


「まぁ色々あるんじゃない? ま、僕は勇進と新田さんが楽しそうだし、なんでもいいと思うけど」


 俺とふーちゃんが教室を出たあとにそんな会話がなされていたらしいが、それを知るのはまだまだ先の話である。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 周囲の危険に気を配りながら、下校。


 神経を使うことはたしかだが、その疲労もふーちゃんと一緒にいるという幸福感に軽く消滅させられている。すなわち、幸せしかない。


「あ、そういえばふーちゃん」


「うん? どうしたの?」


「もしよかったら、連絡先とか教えてもらえたりする?」


 できるだけ平静を装って。緊張を『彼女を守るため』という理由で押しつぶして、聞いてみる。すると彼女は即座に胸ポケットからスマートフォンを取り出した。そして、両手でそれを大事そうに持って、こちらに一歩近づく。


「ほ、ほんとに? いいの!?」


 それはこっちのセリフだと思うんだが……ツッコむのも空気が変な感じになりそうだったので「もちろん」と返しておいた。


 ふーちゃんにQRコードの表示の仕方を教えて、俺がそれを読み込む。すんなりとチャットアプリのフレンド登録は完了した。それに加え、電話番号もお互いのものを交換した。


「おぉ……ふーちゃんの名前が俺のスマホに」


 風香という二文字が俺のスマホで輝いている――ように見える。


「そ、そんなに価値あるものじゃないよ……あ、登録はふーちゃんって名前にするの?」


 照れ臭そうに自分の価値を否定した彼女は、興味ありげにそんな質問をする。

 あだ名で呼ばれたことを喜んでいたようだし、気になるのかな。


「そのつもりだけど……嫌だったりする?」


 念のため、聞いてみる。すると、ふーちゃんはすぐに顔を横に振った。


「わ、私も変えてみようかな……ゆ、ゆーくんとか?」


 えへへ……と笑いを付け加え、顔を真っ赤に染め上げながらふーちゃんがそんなことを言う。


 もうまぢむり……鼻血出た。


「ま、邁原くん!? 血が――血が出てるよ!?」


「問題ない、致命傷だ」


 鼻を覆った手から血が流れ落ちているが、何も問題はない。天にも昇る心地だ。


「致命傷はダメだよ!?」


「そうかな?」


「そうだよ! あわわ、は、ハンカチ、いやティッシュ?」


「あわわふーちゃん可愛い」


「なななな何言ってるの!? もう!」


 なんだかふーちゃんより俺のほうが危なくない? そんなことを思いながら、急いでバッグを漁ってくれているふーちゃんを眺めるのだった。




「本当に大丈夫? 明日にしなくてもいい?」


「へーきへーき。初めてってわけじゃないし」


「そうなの? ――あ、そういえば一年のときの授業中にも、邁原くん鼻血出ちゃってたね」


「そうそう、それそれ。よく覚えてるね」


 そうなのだ。俺は一年の現代文の授業の時、ふーちゃんが髪を耳に掛ける仕草をした時にも同じように鼻血を噴き出したことがある。そのときはティッシュを鼻に詰め込んで事なきを得た。


 幸い、今回の鼻血はわりとすぐにおさまったので、そのままパン屋へ直行。


 ふーちゃんによると件のパン屋さんは夜の八時までやっているようだし、まだまだ時間も余裕がある。俺、ふーちゃんと、買い食いしたい。


「おすすめはやっぱりカレーパン?」


「う、うん。邁原くんの口にもあうといいな――私ね、昨日の夜お母さんにね、カレーパン食べてくるから、夜ご飯少な目にしてねって言ってきたよ」


「おお、用意周到だ。素晴らしい」


「えへへ……そうかな?」


「うんうん。さすがふーちゃんだ」


「……むー、ちょっとバカにしてる?」


「してないよ! ふーちゃんを全肯定してるだけだから!」


「それもどうなのかなぁ?」


 腕を組んで、再び「むー」とうなるふーちゃん。とてつもなく可愛い。

 だが、ふと彼女の顔が暗くなる。寂しそう――という感じだろうか。


 彼女がいま、何を考えているのか、手に取るようにわかる。彼女の立場になったら、それはすぐにわかることだったから。


「大丈夫、絶対にふーちゃんは死んだりしないから。絶対に、俺が守るから」




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