第7話 また明日
普段何気なく歩いている道も――見方を変えるだけで、意識を変えるだけで、こんなにも世界は細かく作られていたのかと感心する。
歩道のアスファルトのひび割れ、電信柱に張り付けてある住所の看板、何か生物が出入りでもしたかのような穴――普段目を向けない場所を注視すると、なかなかに面白い。
今日に関しては、一度も通ったことのない道も歩いているから、なおさら新鮮ではあるのだけど――ってダメだダメだ! 何を暢気に観察しているんだ。ふーちゃんを守ることに注力せねば。
「あ、あのね、ここのパン屋さんね、すごく美味しいんだよ。知ってた?」
「いや、初めて見たな――今度買って食べてみよう。今日は休みみたいだし」
ふーちゃんが指を差す先には、丸太の模様が目を引く『みんなのパン』という看板がある。メロンパンやらカレーパンやら、ポップな雰囲気の絵も描かれてあった。正面の入り口には、木製の『本日定休日』と書かれたプレートがぶら下がっている。
大通り沿いではあるが、この辺りは洋服店やら雑貨屋やら、個人のお店が多いらしい。ラーメン屋もあった。
「水曜日が定休日なんだって」
「なるほどね。ちなみにふーちゃんのおすすめは?」
そう聞くと、彼女はビクッと身体をふるわせてから立ち止まり、おそるおそると言った様子で俺を見上げる。俺も同時に立ち止まって、彼女に目を向けた。変なことは聞いてないつもりだけど……どうしたんだろう?
「か、カレーパンが好きなの」
「へぇ~! 俺も好きだし、ぜひとも食べてみたいな。でも、ふーちゃんはどうしてそんな反応してるんだ?」
「だ、だって、カレーパンって、なんとなく女の子らしくないかなって……」
落ち着きなく手をすり合わせながら、ふーちゃんはちらちらと俺を見る。
「いやいや、そんなことないだろう。じゃあ今度の放課後さ、一緒にカレーパンを買って公園とかで食べようぜ」
俺がそう言うと、ふーちゃんはカッと目を見開く。そしてわくわくという気持ちを存分に表情に乗せて、口を開いた。
「か、買い食いだ! わ、私、したことない!」
「そっかそっか! じゃあさっそくだけど、明日にでもどうだ? 善は急げともいうし」
彼女は素早く首肯した。
もしかしたら『明後日死ぬかもしれないし』なんてことを考えているのかもしれないなぁ。今日ももしかしたら、『一度ぐらい男子と下校してみたかった』なんて思いがあるのかもしれないし。
電信柱に止まるカラスに『こっちに来るなよ』と視線で威圧しながら、俺はそんなことを考えるのだった。
ふーちゃんの家は、大通りから少しだけ住宅街のほうへ歩いたところにあるらしい。周りには綺麗な一軒家が立ち並び、途中にはアパートもいくつかあった。
彼女が言うには、この辺りは開発が進んでからそこまで時間が経っていないらしい。とはいっても、二十年以上ほどは経っているらしいが。
古めかしい家屋はなく、家の周りも道路わきも、緑が多く見える街並みである。
近くには陸上競技場もあり、その隣にはサッカーコートや公園もある。俺がまだサッカーをしていた中学時代、ここで他校と練習試合があったのをうっすらと覚えていた。
「い、いつもね、ここ――ここの自販機を使ってるの」
幅二メートルほどの歩道をゆっくりと歩いていると、ふーちゃんが白色の自販機を指さして立ち止まる。なんだかおもちゃを紹介する子供が脳裏によぎった。可愛い。
「ふーちゃんはどれが好きなの? カフェオレ?」
そう言って百二十円の細長い缶を指さすと、ふーちゃんは俺の顔を見上げて目をぱちくり。
「な、なんでわかったの?」
「だってふーちゃん、学校の自販機でいつもカフェオレ買ってるよな? あぁ、いや、自販機までストーカーしてたわけじゃないぞ? ふーちゃん、教室でたまに飲んでるからさ」
「それもそっか――えへへ、邁原くん、本当に私のことすごく見てくれてるんだね――ちょ、ちょっと恥ずかしいかも」
おおう……めちゃくちゃ可愛い――可愛いけど、申し訳ない気持ちもある。
「嫌な気持ちになったりする?」
これで、ほんの少しでも彼女が嫌がるそぶりを見せたりしたら、潔く我慢しよう。俺の目の保養のために彼女が嫌な気分を味わうなんて最悪だし。
そう思ったけど、彼女はふるふると首を横に振る。そして止めていた足を動かしてから、ゆっくりと口を開いた。
「わ、私変なのかもしれないけど、邁原くんだと、えへへ――嬉しい」
足元に目を向けながら、彼女はぽつぽつと照れ臭そうに言った。はい天使。
しかも『邁原くんだと』と言ったところがかなりの重要ポイントである。つまりこれはアレだ。俺に対するふーちゃんの好感度が、少なくとも平均以上はある可能性が高いということだろう。
スキップしそうになる足を殴って落ち着かせ、一度周囲を警戒するために見渡しから、歩き出す。そしてそれから間もなくして、ふーちゃんの家にたどり着いた。
表札にはしっかりと『新田』の文字がある。
彼女は門扉の前で立ち止まり、こちらを振り返ると頭を下げた。
「ありがと、邁原くん……すごく楽しかったです! 駅までちょっと遠回りさせちゃってごめんね。何かでお返しができたらいいんだけど……」
両手合計十本の指を突き合わせつつ、ややうつむき気味――そして上目遣いのふーちゃんが言う。もうその仕草を見ることができただけで俺にとっては十分すぎるし、そもそもこの場所まで一緒にこられたのだから、どちらかというと俺が彼女に何かをしてあげたい気分だ。
だけど、そうやって『俺にも何かさせてくれ』なんて言えば平行線になりそうなので「気にするなよ」と笑って答えることにした。そして、さらに言葉を付け足す。
「学校でも行ったけどさ、世界一好きな人と下校できるなんて、俺にとっては最高のご褒美なんだよ。それに、ふーちゃんを送り届けることで俺も安心できるから、お互い様ってことにしておこうぜ」
「そ、そうなのかなぁ」
「そうなんだよ」
そうやって断言すると、ふーちゃんはもう一度「ありがと」と言った。目を細くして、くしゃりとした笑みを浮かべた。失神しそうなぐらい可愛かった。
「じゃ、じゃあ気を付けて帰ってね」
「おう、また明日な――ばいばいふーちゃん」
名残惜しいが、ずっとこの場で話をするわけにもいかないので、俺は手を振りながら踵を返す。ふーちゃんも俺と同じように手を振って「ばいばい、邁原くん」と言ってくれた。
その後に彼女が付け足したか細い「また明日」という言葉は、きっと俺に伝えたかったのではなく、祈りのようなものなのだろう。
俺は神様ではないが、その祈りはしかと聞き届けたぞ。
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