第8話 心のうちは




 家に帰ってから、家族そろっていつも通り夕食を食べた。風呂に入ってしばし団欒の時間を過ごしたのち、少し前に二階の自室に向かった夕夏の部屋に向かう。


 ノックしながら「いまいいか?」と呼びかけると、「どしたの~? 入っていいよ~?」とのんびりした声が返ってきた。


 扉を開けると、パジャマ姿の夕夏がデスクチェアの上に正座してくるくる回っていた。机にはノートや教科書が広げてあるし、どうやら勉強していたらしい。邪魔してしまったか。すまん。


「悪いな、ちょっと聞きたいことがあってさ」


「え? スリーサイズ?」


 ピタリと動きを止めた夕夏は、三半規管をやられたのかふらふらと頭を揺らしながら言う。そして自分の体を隠すように身を抱いた。


「そんなもん知ってどうすんだよ……」


「あはっ、冗談冗談、それでなに?」


 ケラケラと笑った夕夏は、正座していた足を崩してから足をプラプラとさせる。


「もし明日死ぬって言われたら、何したい?」


 俺がそう聞くと、夕夏はキョトンと目をまん丸に見開く。少し遅れて「は?」という心からの疑問の声が漏れだした。


「え? お兄ちゃん死ぬの? 何言ってんの?」


「俺のほうこそ『何言ってんの』だよ。別に俺は死ぬつもりなんて毛頭ない――ただ、ちょっと考えてみただけだから」


「そういうこと考えてるだけでちょっと怖いんだけど……え? 本当にそんな馬鹿なこと考えてないよね?」


 違うと言っているのに、夕夏は真面目な表情で問いただしてくる。心配してくれているのだろうけど、本当に無用な心配だ。まぁこうして部屋にまで押しかけて聞いてきたのだから、疑問に思われてしまうのも仕方がないかもしれないが。


 俺は死なない、もちろん、ふーちゃんも死なせない。

 だけど、ふーちゃんが日々を充実させたいと言うのなら、それを後押ししてあげたいし。


「今日学校で誠二たちとそういう話になっただけだよ、本当に死ぬつもりなんてないから」


 そう言うと、彼女は「ふーん」といぶかし気な視線を向けたのち、「まぁいいけど」と口にする。


「明日死ぬならかぁ……あんまり考えたことなかったな。おいしい物いっぱい食べるとか?」


「なるほど、他には?」


「両親に感謝の気持ちを伝えるとか……もちろんお兄ちゃんにも――恩返しとか、まだできてないし」


「別に恩返しするような恩は俺からもらってないだろ」


 肩を竦めながらそう言うと、お返しにジト目をもらった。


「だって去年バイトいっぱいしてくれてたじゃん」


「それはそうだけどさ、ほとんど俺のふところに入ってるぞあの金は」


 父親が再就職するまでの間は、ほとんど家に入れていたけど。まぁそれも結局、俺の元に戻ってきてしまったが。


「きっかけは違うじゃん。だってアレ、どう考えても私の学費稼ごうとしてたじゃん」


「夕夏のためじゃないって。ほら、高校生は色々と金がいるもんなんだよ」


 まぁ実際、夕夏の言う通りなのだけども。

 そして、俺が少しアホだっただけなのだけども。




 俺が高校に入学する直前――父さんがリストラにあった。


 家には貯金があったし、奨学金という手段も当然あったのだけど、夕夏が『私高校いけないの?』と泣いたのを見て、何もせずにはいられなかったのだ。


 父さんも母さんも『心配ない』と言ってくれていたけど、このまま父さんが仕事にありつけなければ、本当にマズいんじゃないだろうかと当時の俺は思ったのだ。だから、バイトをすることにした。


 がむしゃらに働いて、がむしゃらに稼いで――父さんが再就職をしてからもしばらくは、『いつリストラに遭うかわからない』といった恐怖から逃れるために、働きまくった。


 今となってはいい社会勉強になったと思うし、貯金も数十万円できたから良かったと思う。もともと、俺はあまり浪費するほうじゃなかったしな。


 そしてなにより、バイトでクタクタになったおかげで、ふーちゃんが俺に声を掛けてくれたのだから。




 夕夏は「お兄ちゃんがそう言うなら、いまは納得しとく」と全然納得してなさそうに言ったのち、再度考え始める。


 そして何か思いついたように目を開き、ちょっと照れ臭そうに頬を掻いた。


「あとはアレじゃない? 好きな人がいたら、告白するとか」


「告白か……」


 ふーちゃんとは逆の考えだな。ふーちゃんは自分が死ぬことを予見して『恋人は作りたくない』という発想になった。でも、夕夏は想いを伝えたいと。


 いちおう、詳しく聞いてみよう。


「相手も夕夏のことが好きだったらどうするんだ? 両想いになって、片方だけ死ぬんだぞ?」


 そう言うと、彼女は首をひねりながら眉を寄せる。


「んー……でもさ、相手に何も知ってもらえないのって寂しいじゃん――あー……でも、これは私のわがままだもんなぁ。相手のことを考えたら、伝えないほうがいいのかも?」


 どうやら深くまで考えていなかっただけで、結論はふーちゃんと同じようなものになりそうだ。


 なるほどね、と口にする俺を見てから、夕夏は蕩けたような――乙女のような表情を浮かべる。腹をポリポリ掻いていたやつとは思えない、女子の顔だ。


「でもさぁ~、そういうのって素敵だよね。恋は自分本位だけど、愛は思いやりがあってこそじゃん? もしそれが――伝えないって選択肢を選ぶことができたら、本当にすごく相手のことが好きだからなんだろうね。大切に思えてるってことなんだろうね」


 それはどうだろう……ただ『思いやりのある優しい人だから』ってこともあるんだろうけど、たしかに、夕夏の言うようなこともありうるか。


 ふーちゃんが保健室で言った、『死ぬことがわかってる恋人なんて、邁原くんに申し訳ない』という言葉を思い出しながら、彼女はどっちなんだろうなぁ――なんてことを思った。


 どちらにせよ、優しいことには変わりはないな。



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