第6話 一緒に帰ろうぜ
それからしばらくして、保健室の教師が帰ってきたので俺はベッドで大人しく寝ることにした。
カーテンの隙間から教師がチラリとこちらをのぞき、「大丈夫そう?」と容体を確認してきたので「だいぶよくなってきました」と答える。ふーちゃんも似たような言葉を返していた。
ひとまず一限目はまるまるサボることにした。その間にこれからのことを考えておく必要がある。
もうひとつだけ些細な理由を付け加えさせてもらえるのであれば、カーテンを隔てているとはいえ、隣にふーちゃんが寝ているというこの状況を堪能すべきだろう――そう思わずにはいられなかったからだ。
まぁそれはいいとして。
俺とふーちゃんは一限目の終わりのチャイムを聞いて、二人同時にカーテンを開けた。目が合うと、彼女は顔を赤くして視線を逸らす。非常に可愛い。
俺たちは教師に『もう大丈夫』ということを伝えてから教室に戻った。
いちおう、変な勘繰りをされたらふーちゃんに申し訳ないと思ったので、俺はトイレに寄って、尿意もない状態で便器の前に立ち、何もせずに出て来るという意味のない行動を取った。
時間調整という理由があるといえばあるのだが、それなら鏡でも見ていたほうがマシだったなぁと廊下を歩きながら顎に手を当てる。
友人たちからの『大丈夫?』という問いには、『へーきへーき』と答えようとしたのだけど、それよりも先に相手が『大丈夫そうだな』と笑いながら結論を出した。
せめて俺に答える隙をあたえてくれ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ふーちゃん、一緒に帰ろうぜ」
その日の終礼後、俺は通学バッグを肩に掛けようとしているふーちゃんに声を掛けた。
その言葉に、周囲がピクリと反応しているのが見える。
一番びっくりしていたのは、部活に行こうとしていた誠二と和斗だろう。『お前、振られた次の日に何やってんだ』とでも言いたいのだろうか。
そして当事者であるふーちゃんも、いつもの『ばいばい』という言葉ではないことに驚いている様子だった。
「え? う、うん、いいの?」
廊下の端に移動して、ふーちゃんが俺を上目遣いで見ながら聞いてくる。いますぐに抱きしめたい衝動にかられたが、我慢した。犯罪者になるつもりはない。
だって、まさか『いいの?』なんて返事が来るとは思わなかったんだよ。その言い方だと、まるでふーちゃんが俺と一緒に帰りたかったかのようじゃないか。
ともかく、一緒に帰宅することに関して悪い印象はなさそうだな……こんなことなら、もっと早くに提案すればよかった。それこそ、高校一年のうちに。
「もちろん。迷惑じゃなければ、ぜひ」
「――も、もうっ」
恥ずかしかったのか、ふーちゃんは顔をうつむかせてから俺の横腹をポスっと叩く。そして俺を見上げてから、チラリと近くにいた俺の友人二人に目を向けた。
「…………え? どゆこと?」
視線を受けた誠二が、困惑したような表情で俺とふーちゃんを見る。
こいつの頭の中では『え? お前振られたんだよな? なんで仲良くなってるの?』みたいなことを考えていると予想。数学の意味不明な問題にぶつかったとき、誠二はこういう表情をする。つまり理解が追いついていない時。
そしてイケメンさわやか和斗はというと、
「じゃあ僕らは部活があるから、二人とも気を付けて帰ってね――ほら、誠二行くよ」
「お、おぉ……」
和斗に手を引かれ、誠二が困惑顔のままよろよろと歩き出す。
少し離れたところで、和斗がアイコンタクトを取ってきたので、片手で『すまん、助かる』とジェスチャーを送る。いずれは追求されるだろうけど、言えることと言えないことがあるからなぁ……うまく説明する方法も、考えておかないと。
まぁいまはそれよりも、目の前のふーちゃんだ。
この場にとどまっていても注目を集めるばかりなので、ふーちゃんを促して昇降口に向かいながら話をする。
「ふーちゃんって
「う、うん。歩いて十五分ぐらいかな……? ま、邁原くんは、
「お、おぉ……ふーちゃんが俺のことを知ってくれてる……めちゃくちゃ嬉しいんだが」
「え、えっとそれは――あっ、そう、自己紹介で言ってたもん」
いやそうは言ってもさ……自己紹介って一年の時の話だぞ? 二年ではそんな機会なかったし。
よくそんな昔のことを覚えているもんだなぁ。俺は非常に情けないことに、彼女が一年のころどんな自己紹介をしていたのかまったく記憶がない。他の人の自己紹介を聞こうとも思っていなかったからなぁ。
そんな風に当たり障りのない――具体的に言うと、『遺書』関係の話題にならないようにしながら、靴箱でローファーに履き替えてから、校門を出る。
さて、問題はここからなんだよな。
車道キープは当然。通り過ぎる車、自転車、歩行者の様相、道路の状況、街の状況――視界に映るすべてを危険視して、彼女を無事に家まで送り届けることが、今の俺にできる最大限である。
いちおう学校でもそれなりに気を配っていたが、ここからの危険度はぐっと増す。
本当はふーちゃんの家に乗り込んで二十四時間安全を確保したいところだけど、そこまですれば彼女の日常を壊してしまうことになるので、あくまでさりげなく。
下校中の他の生徒と少し距離が取れたところで、俺は少し声のトーンを落として声を掛ける。
「知っての通り、俺はふーちゃんが世界一大好きだから、可能な限り一緒の時間を過ごしたいんだ。というわけで家まで一緒に行っていい?」
自分で『これはライン越えだろうなぁ』と思いながら、問いかける。
だけど、ふーちゃんが家に辿りつく寸前に交通事故に遭う可能性はゼロではないんだ。それを『限りなく低い確率』だと判断してしまって、手遅れになってからでは遅いのだ。
手を合わせて、『なんとかお願いします』という想いを込める。
顔も耳も真っ赤にしたふーちゃんは、俺の顔を見上げてからぷくっと可愛らしく頬を膨らませる。
「邁原くん、嘘ついてる」
「嘘じゃない! 俺は本当に、ふーちゃんが世界で一番好きなんだ!」
おっと、少し声が大きかった。ふーちゃんがわたわたと慌てた様子で『シー』と声を抑えるようにジェスチャーをしている。あたりを見渡して、ほっと胸をなでおろした。
「そ、そうじゃなくて。そ、その、邁原くんが私なんかのことを、その――あの、世界で一番って言ってくれるのは――すごく真剣だったから、疑ってないんだけど――ほら、保健室で『ふーちゃんを守るために動く』って言ってくれたから……」
しりすぼみになりながら、ふーちゃんはそう言った。
あぁ、つまり誤魔化せなかったわけだ。『守るため』と言ってしまえばふーちゃんが遠慮してしまいそうだから避けるように言ったのだけど……まぁバレてしまったら仕方がない。
あまり、ふーちゃんに嘘はつきたくないし。
「もちろん、その気持ちもある。でも、これはどちらか片方が主ってわけじゃないんだ。ふーちゃんを守りたい気持ちも、ふーちゃんと一緒の時間を過ごしたいという気持ちも、本心だから」
「そ、そうなの?」
「そうだよ。ふーちゃんも世界で一番好きな人ができたら、もっと喋りたいとか、一緒にいたいとか――そういう気持ちになったりするかもしれないぞ?」
「世界で一番、好きな人……」
復唱するようにぼそっとそう言った彼女は、ぼんやりと俺の顔を見上げる。目が合うと、目を見開いてから『ボンッ』という効果音がなりそうなほど、急激に顔を紅潮させた。
え……もしかして、ふーちゃんって好きな人いるの?
まさかその人のことを想像して、顔を真っ赤に?
いやいや待て待て、その相手が俺である可能性も残っているじゃないか。
なにしろ、彼女は『誰とも恋人にならない』ということにしているのだから。たとえ俺の告白を断っていたとしても、意中の相手が俺である可能性はゼロじゃないはず。どうかそうであってくださいお願いします神様。
顔の赤みを消すように顔をぷるぷると横に振ったふーちゃんは、ゆっくりと息を吐いてから、歩き出す。横についていくと、彼女は俺に目を向けた。
「じゃ、じゃあ邁原くん、私と家まで一緒に帰ってくれますか?」
「もちろん! ふーちゃんさえよければ、これから毎日、卒業までずっと!」
予言の誕生日なんて超えて見せる――そんな思いを込めて言うと、彼女は一瞬呆然としたような表情を浮かべてから、クスクスと口に手を当てて笑いはじめた。天使かよ。
そしてしばらく笑ったふーちゃんは、蚊の鳴くような小さな声で「ありがと、すごく嬉しい」と口にするのだった。
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