第4話 ふーちゃんを追跡、ぐへへへへ
頭をすっきりさせるためトイレで顔を洗ってから、教室に向かった。
校内にも登校してきた生徒たちがちらほらと増え始め、部活の朝練を終えた人も増えてきている。
俺もその流れに乗りつつ二年三組の教室に入ってみるが、そこにふーちゃんの姿はない。どうやら、教室ではないどこかに行ったらしい。
誠二も和斗の姿もなく、親しい人はまだ登校してきていなかった。
「……さすがにトイレとかには行けないからな」
隠れる場所として、一番に思いついたのは女子トイレ。俺から身を隠すのであれば、絶好の隠れ家だろう。さすがに、そこに突撃する勇気はない。
まぁ、ホームルームが始まるまでには戻ってくるだろう。きっと、どこかに喋りかけるチャンスはあるはずだ。その機会を、逃さないようにしなければ。
しかし、俺の考えは甘く、
「新田さんは体調が悪いようで、保健室で休んでいます」
担任が出席確認の時に、そんなことを言い始めた。いや、彼女の席が空席であることから察しはついていたのだけど――不幸中の幸い、帰宅はしていないようだ。
だったら、いくらでもやりようはある。
「先生、俺も気分が悪いんで保健室で休ませてもらいます」
朝礼を終え、教室の外に出た担任教師――相沢先生を捕まえて、俺はそう進言した。
まだ二十半ばであろう我がクラスの担任は、ぽかんとした表情をしたのちに、目を細める。
「本当に~? 邁原くん、元気そう――でもないわね。大丈夫?」
身体は元気、精神的に元気じゃない。
誠二や和斗も『調子が悪そう』と言われたが、そんなにわかりやすかっただろうか。
夕夏といい、みんな察しが良すぎるだろう。俺なんて、ふーちゃん以外の体調なんてそう簡単に気付けないぞ。
まぁ友人二人に関しては、俺がふーちゃんに告白して振られたことを伝えているので、それ関係で落ち込んでいると思っていそうだが。いや、落ち込んでいるのはたしかだけども。
「大丈夫っす。寝たら治ると思うんで」
「そう? じゃあ一応、私が保健室まで付き添うわね。職員室の近くだし」
「あー……はい。じゃあそれでお願いします」
変に断っても面倒な勘繰りをされそうなので、素直に先生の言葉に従っておいた。普段はおっとりした雰囲気だけど、生徒想いの優しい教師なのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ぐへへへへ、もう逃がさねぇぞ嬢ちゃん……」
「…………」
「に、新田さん? 起きてるのはわかってるよ? さすがに何の反応もないとすごく恥ずかしいんだけど……」
「あ、あぅ……ごめんなさい」
「こちらこそふざけてすんませんでした」
保健室の先生が席を外した隙に、俺は仕切りのカーテンをめくってふーちゃんに声を掛けた。変な発言をしたのは、彼女との間に生まれてしまった溝を少しでも埋めるため。
布団を両手でつかんで口元まで持ち上げた彼女は、目だけを動かして隣のベッドに腰掛けた俺を見る。
「ま、邁原くんも体調が悪いの……?」
「全然。むしろぴんぴんしてるよ。俺はただ、ふーちゃんと話をしにきただけなんだ」
「ま、またふーちゃんって……」
「………………話してくれる気はない?」
「……ふーちゃんって」
やべぇ。話が進まねぇ。いや悪いのは俺なんですけどね?
彼女を勝手に下の名前――しかもあだ名で呼んでいるのだから、ツッコまれても仕方がないだろう。そして、俺はその追及を避けようとしているのだから。
まぁ、こんなことで恥ずかしがってる場合じゃないよな。彼女の命が関わってるんだ。腹をくくろう。
「ふーちゃんのことを好きになってから、ずっと心の中でそう呼んでいたんだ。もちろん、キミが嫌なら治すけど。心の中でも、新田さんって呼ぶように努力する」
そう言うと、彼女は首を小さく横に振った。それから少しだけ布団を上に持ち上げて、「嫌じゃないよ」と恥ずかしそうに言った。
「び、びっくりしただけだから。あだ名なんて始めてだから、どちらかというと――う、嬉しい」
「本当に? これからもふーちゃんって呼んでいいの?」
「う、うん。ありがと――えへへ」
「お礼を言うのはこっちのほうなんだけどなぁ」
「そうかな?」
「そうだよ」
そんなやり取りを終えると、彼女は目を細めて小さく笑った。めちゃくちゃ可愛くて死にそうだった。いやいや、遺書を抱えている彼女を前にして『死』なんて言葉を思い浮かべるのは不謹慎すぎるだろ。寿命が延びたということにしよう。
「これのこと、聞きたいんだよね」
ふー、と息を吐いた彼女は、胸ポケットから茶封筒を取り出しながら、俺にそう声を掛けた。『遺書』と書かれた文字を、俺に見えるようにして。
「そうだな……他人の物だったらここまでしないが、筆跡がどう見てもふーちゃんのものだし、さすがに見過ごせない」
「ひ、筆跡で? よくわかったね?」
「そりゃ世界一好きな人だからな。すぐにわかったよ」
目を真っすぐに見つめながらそう言うと、彼女はわかりやすく顔を真っ赤にして「は、恥ずかしいからあまり見ないで」と布団にもぐってしまった。可愛すぎかよこんちくしょう!
まぁ『キモイ』とか『ストーカー』とか言われるようなレベルかもしれないけれど、別に彼女のプライバシーを知ろうとしたりはしていないし、たぶんセーフ。たぶん。
あとは彼女が嫌がってそうにないから、大丈夫だろう。そう思いたい。
「……誰にも言わない?」
「おう、どんな拷問を受けたって、言わない」
「そ、そこまでされたら言ったほうがいいよ。邁原くんが辛いと、私も辛いよ」
あぁ、やっぱり彼女は女神か。優しさで俺の心が浄化されていくのを感じる。
持っていた茶封筒を胸ポケットにしまったふーちゃんは、天井を見上げて一度深呼吸をする。そして、俺と目を合わせてから「あのね」と切り出した。
「私ね――いつ、どこで、どんな風になのかはわからないんだけど、死んじゃうみたいなの」
次の、誕生日が来るまでに――。
彼女はそう言ってから、寂しそうに笑った。
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