第3話 俺はふーちゃんが好きなんだ
気が付いたら家だった。
きちんと校門からローファー履いて出て、駅までの道を歩き、電車に揺られ、家まで歩くという経路はたどったのだけど、その間のことがすっぱり頭から抜けていた。
もしかしたら周囲には知り合いがいたかもしれないけれど、まったく意識ができなかった。ずっと、ふーちゃんのことばかり考えていた。
あの茶封筒はふーちゃんの物ではない――そう信じたいところだけど、ボールペンで書かれた『遺書』という文字は、見覚えのあるふーちゃんの文字だった。
封筒の中には紙が入っている感触があったけれど、プライバシーの観点からも、俺の精神的にも、中を確認しようとは到底思えなかった。
振られて落ち込んでいる場合なんかじゃない。俺は考えなければならない。
彼女にバレないように茶封筒を返すことはできるだろう。だけど、俺の大好きな人が死を身近に感じているのであれば、黙っていることなどできるはずもない。
「おかえり~……? なんかお兄ちゃん顔色悪くない?」
帰宅して、階段を上って自分の部屋に行こうとすると、廊下で妹の
彼女は帰宅してから時間が立っているらしく、すでに制服から部屋着に着替えている。半ズボンと薄手のTシャツで、夕夏と同じクラスの男子とかが見たら喜びそうだなぁなんてことを思った。腹をポリポリ掻く姿はどうかと思うが。
「んー? 別にへーきへーき」
そう答えると、彼女はいぶかし気な視線を向けながら「ふーん」と腕組みをする。なんとなく疑ってそうだけど、追及する気はないようだ。興味がないだけかもしれないが。
「まぁ無理だけはしないようにね。また一年前みたいにバイトめちゃくちゃ入れて、それでやつれちゃったりしたら……ほら、みんな心配するし」
俺の記憶だと、一番気にかけてくれていたのは夕夏だった気もするが……まぁ、みんな心配してくれたのには違いないか。
「別にやつれるってレベルでもなかっただろ」
あれはただバイト先の人間関係とかクレーマーとかがきつかっただけの話。業務自体はそんなにきつくなかったし。
まぁそれはいいとして。
「母さんは買い物?」
話をそらすために質問をした。
「本当に大丈夫?」
おう……会話が成り立たない。そんなに顔に出てしまっていただろうか。
ショックの大きさは人生最大であることはたしかなのだけど、年齢を重ねた影響か、ある程度なら感情を内側にとどめておくことができるようになっていた。
あくまで、『ある程度なら』だけど。
「夕夏は人の心配より自分のことだろ? 栄文入りたいんじゃなかったのか?」
夕夏も俺が通っている栄文高校を志望しているようなのだが、模試の判定だとC判定。安全圏だとは言えない状況らしい。
「ふへっ」と誤魔化すような笑いかたをした夕夏は、自分の部屋へと後ずさっていく。
「わ、私は大器熟成型だから大丈夫だもん!」
「……熟成すんのかよ。それを言うなら大器晩成だろ」
思わずツッコんでしまったが、彼女は俺がしゃべっている間に部屋に逃げ込んでしまった。夕食のときにもう一回ぐらいいじってやろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ふーちゃんが落とした遺書に関して。
もちろん中は見ていないのだけれど、『明日にでも死んでしまう』ということは考えなかった。少なくとも、彼女自身に死ぬ意思がないことはなんとなく予想できていた。
というのも、彼女がもしすぐにでも死ぬつもりだっだとすれば、体育祭の実行委員の話なんて持ち出したりするわけがないと思ったからである。
かといって、のんびりしていいわけでもない。
だから俺は、翌日の朝――、
「おはよう、新田さん」
「――っ!? ま、邁原くん!?」
昨日彼女が遺書を落とした――屋上へつながる最上階の踊り場で朝早くから待ち伏せをしていた。そしてそこで数十分待つと、予想通り新田さんがその場を訪れた。
「……これを、探してたんだよな」
そう言いながら、ブレザーの胸ポケットから茶封筒を取り出す。
彼女は俺の手の中にある封筒を見て、両手で胸を押さえてから息を呑んだ。なんだか追いつめているようで申し訳ないのだけど、俺は彼女を責めるつもりなんて一切ないんだ。
ただ、俺は知りたいだけ。彼女の力になりたいだけなのだ。
「中は見てない。だけど、表は見た」
そう言いながら、一歩近づいてふーちゃんの手元に封筒を差し出す。彼女はビクビクした様子で封筒を受け取ると、一秒でも早く俺の視界から隠すように、素早く胸ポケットにしまった。
「……お願いだ、ふーちゃん。なぜ君がこんなものを持っているのか、教えてほしい。俺はふーちゃんが好きなんだ。だから、力になりたいんだよ」
真剣に、彼女の胸に俺の気持ちが届いて欲しいと祈りながら、彼女の目を見て話す。
しかしながら、ふーちゃんの反応は俺が想像したものとはかけ離れていた。
「……ふーちゃん? ふ、ふーちゃんって、もしかして私のこと?」
「……今の無しでお願いします。新田さん」
変なところでミスをしてしまった。かなりシリアスな話をしている最中だというのに。
キョトンとした表情を浮かべていたふーちゃんだが、俺の『ふーちゃん』呼びに羞恥心を刺激されてしまったらしく、顔をほんのり赤く変化させた。もともと肌が白いから、とてもわかりやすい。
「重い病気だったりするのか? それとも、なにか辛いことがあったりするのか?」
話を真面目な方向へ戻す。内容が内容だ、笑えるようなことではない。
彼女は首を横に振って、俺の発言を否定した。その素直な反応から、俺はそれが真実であると判断した。
病気でもなく、辛いこともない。
だとすれば、遺書なんてものが必要になることはないと思うのだが……めちゃくちゃポジティブな発想をするとすれば、演劇の小道具とか? でも、ふーちゃんは帰宅部だしなぁ。
「ご、ごめんなさい邁原くん。コレのことは、忘れて」
彼女は勢いよく頭を下げると、俺から逃げるように階段を下っていく。今度は封筒が落ちないように、しっかりと胸元を抑えていた。
わからない。
死ぬつもりもなければ死ぬ予定もないのに、なぜ遺書が必要になるのか。
「……殺害予告とか?」
いや、さすがにそのレベルの重さを抱えているのであれば、あんなに平常に振舞えることはないだろう――ないと思いたい。
「やっぱり、わからないな」
だけど、放っておけない。ふーちゃんには余計なお世話だと思われるかもしれないが、無視できるようなものでもないだろう。
誰も知らないかもしれないのだ――あの遺書の存在を、俺しか知らないかもしれないのだ。
世界で一番大好きな人を放っておくことなんて、俺にはできそうにない。
振られておきながら一体お前は何を言っているんだ。
余計なお世話なんじゃないか。
迷惑になるんじゃないか。
単なる自己満足じゃないのか。
……ああ、いいさ。
本人に嫌われたってかまわない。
周りにどう思われたってかまわない。
鼻で笑われようと、指を差されようとも受け入れよう。
彼女が死ぬ気だというならば――俺は死ぬ気で彼女を救うまでだ。
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