第2話 遺書
掃除時間が終わろうとしていた頃に、俺はふーちゃんに声を掛けて、放課後に少しだけ話す時間を確保することに成功した。善は急げである。
場所は屋上へつながる扉の前。
安全上の理由で施錠されているから外には出られないけど、人が寄り付かないスペースとして生徒は四畳ほどのスペースを時々活用している。告白や恋愛相談で使われることが多いようだ。
ふーちゃんはどうやら、俺が呼び出したのは体育祭の実行委員関連の話だと勘違いしていたようだけど、『そうじゃない、告白するつもりなんだ』と言えるはずもないので、その勘違いをそのまま利用させてもらうことにした。
世界で一番好きなふーちゃんに嘘を吐くのは大変心が痛んだが、きちんと後で説明するから許してほしい。
いきなりすぎる展開だけど、告白のシミュレーションだけならこれまでにもう数万回はこなしているから、きっと大丈夫。きっと。
放課後、二人で人目を避けながら目的地まで歩いてくると、ふーちゃんはとりあえずと言った感じで屋上につながる扉のドアノブに手を伸ばした。
「い、いちおうね? 空いてるかなぁって」
しかし、施錠されているので当然扉はガチャガチャと音を立てるだけ。ふーちゃんとしても試すだけ試してみたって感じなのだろう。好奇心旺盛なところもまた可愛い。
彼女は俺に向き直ると、照れ臭そうに前髪をつまんで引っ張った。
いまから想いを伝えると思うと、心臓が制服を突き破ってしまいそうだ。自分が失神しないか心配である。
ふー……深呼吸深呼吸。落ち着け。
「……もしかしたら、新田さんは憶えてないかもしれないけど」
まず俺は、そう切り出した。彼女は不思議そうにコテンと首を横に倒す。
「去年の春にさ、新田さんは俺に『大丈夫? 保健室行く?』って声を掛けてくれたんだ」
その時のふーちゃんの顔を、今でも鮮明に思い返すことができる。彼女は不安そうに眉を寄せて、机に頬を付けている俺をジッと見ていたんだよな。
「憶えてるよ? あ、朝だったよね? ホームルーム前の」
ふーちゃんはその時の記憶を呼び起こすように、人差し指を唇にあててから斜め上を見る。ただ、なぜ俺がこんな話を始めたのかは理解していない様子だ。
俺が彼女を好きになったのは、そのなんてことのない一言がきっかけだった。
でも、それはあくまできっかけ。
なにしろその時の俺は、彼女の名前はおろか、同じクラスだったことさえ知らなかったのだ。それぐらい、家庭の状況や自分のことで精いっぱいだった。
「あれさ、本当に嬉しかったんだ」
声を掛けられた時も救われた気分になったのだけど、この感謝の気持ちが恋心に変わったのは、それから少し経ってからのことだった。
「きっと、新田さんにとって、俺に声を掛けるのはすごく勇気がいることだったと思う」
教室で見る彼女は、いつも一人で本を読んでいた。
誰かが声を掛けても、口を開かず頷いたりするだけ。行事の際は極力目立たないようにしており、彼女が自分から誰かに声を掛ける姿なんて、一度たりとも見ることはなかった。
だからこそ、心配して声を掛けてくれたふーちゃんの言葉が、胸にじわりと染みこんでいったのだ。
「だから余計に、嬉しかったんだ」
他の人に疲労を感づかれても『へーきへーき』と言えば納得してくれていたけど、ふーちゃんには俺の強がりがバレてしまっていたらしい。
いったいなぜ、人と繋がりを持とうとしない彼女が、俺の些細な変化に気付けたのかはわからないけど――ともかく、俺はその日を境にふーちゃんから目が離せなくなった。
そして、好きになっていった。
優しくて、可愛くて、人を避けるけど、人を嫌いになれない彼女を――好きになった。
「俺は、新田さんが好きです――世界で一番好きです! こんな俺で良ければ、恋人になってください! 全力で、新田さんを幸せにします!」
俺の話を気恥ずかしそうに聞いていた彼女は、その言葉で目を見開いた。
その初めて見る表情を脳裏に焼き付けてから、俺は頭を下げてふーちゃんの前に手を伸ばす。
「……えっ、えっ?」
困惑したような声が、頭上から振ってくる。
そりゃそうだろう。実行委員関連の話と思っていたら、告白されているのだし。驚かせてしまって本当に申し訳ない。
十秒、二十秒と経っても、俺の手はしっとりとした空気に触れるばかり。
和斗や誠二は『付き合えると思う』と言ってくれたから、その言葉を信じたいところだが――、
「あ、あの……邁原くん」
三十秒ほどが経過して、ふーちゃんがおずおずと声を掛けてきた。俺は手を伸ばしたまま――視線を床に向けたまま、「うん」と返事をする。
次の言葉が、きっと告白の返事なのだろう。そう思うと、体が震えた。
「…………ご、ごめんなさい。わ、私、恋人には、なれません」
…………『ごめんなさい』って言葉は、『ごめんなさい』って意味だよな。いや、何を意味のわからないことを考えているんだ俺は。
それはつまり……疑いようもなく、振られたということなのだろう。いやそりゃそうか、『恋人にはなれません』とはっきりと言っているのだから。
泣きそう。というか死にそう。
「そっかー……俺のほうこそ、急にこんな話をしてごめん」
心の中で自分の心臓を握りしめながらも、表情には出さない。
ふーちゃんに罪悪感は覚えてほしくないのだ。俺の告白のせいで、気落ちしてほしくない。
だって俺は彼女の悲しむ姿が見たくて、告白をしたわけじゃないんだから。
二人で笑いあえたらいいなと、幸せを願ってのものなんだから。
「あっ、実行委員はちゃんとやるから安心して。新田さんが嫌じゃなければ――だけど」
苦笑いを笑顔に変えようと奮闘しつつ俺がそう言うと、彼女はぶんぶんと首を横に振って、「嫌なんかじゃない」といつもより強めの口調で返答してくれた。
心はボロボロだけど、朽ち果ててしまいそうだけど、ほんの少しだけ癒えた気がした。
「あ、あのね、私、邁原くんのことが嫌いなわけじゃないの。それだけは、ずっと――ずっと覚えていてほしくて。だ、誰とも、恋人になろうと思わないだけなの」
慌てたように早口で喋るふーちゃんは、これまた俺が初めて見る姿だった。
そして彼女は、言葉の最後に「一生」とかすれたような声で付け足した。
「……え? 一生って――それはどうして?」
そんな悲しいことを言わないでくれよ――そんな想いを込めて問いかけると、彼女はビクッと身体を震わせた。
そして、勢いよく俺に向かって頭を下げてから、逃げるように階段を下りていく。
あまりこの話題に触れてほしくなかったのか……でも、一生誰とも恋人にならないって、十代のうちにそんなこと決めてしまわなくてもいいのに。
そんなことを思いながら、遠ざかっていく彼女の背を眺める。
全身から力が抜けたように感じて、俺は壁にもたれかかるようにして座り込んだ。
「あー……振られた……」
結果を口にすることで、現実を受け入れようとする。
夢であってほしいと思うが、制服越しに感じる床の冷たさも、肌をなでる空気の温度も、何もかもがリアルすぎる。まぎれもない現実だ。
脳が上手く働かない。振られたというショックが大きすぎて、まともなことが考えられない。どうすれば回復するのかも、よくわからない。
だけど、『好き嫌い』というベクトルとは違う部分が原因で断られた感じだったから、まだ希望はあるのだろう。たぶん。嫌いじゃないって言ってくれたし。
そんな思考を続けながら虚空を見つめていると、地面に置いた手に何かが触れた。
視線を向けると、そこには細長い茶封筒があった。口は閉じられておらず、開きっぱなしの綺麗な茶封筒が。
「なんだこれ……? こんなのなかったはずだけど」
俺はふーちゃんとこの場所に来る前に、きちんと下見をしにやって来ていた。誰かいないかとか、ゴミが落ちていないかとか。この場所にはたまにペットボトルやパンの袋が放置されているし。
「ふーちゃんが落としたのか」
きっと、俺に向けて頭を下げた時に落としてしまったのだろう。制服の胸ポケットに入れていると、わりと飛び出すときがあるからなぁ。
そう思いながら、茶封筒を手に取って表を見てみる。中身を見なければセーフだろうということで。
自分の目を疑った。目をこすり、閉じて、再度開いた。
「……な、なんで……」
しかし何度見ても、封筒に書かれた文字は変わらない。
『遺書』という二文字は、何度見ても『遺書』のままだった。
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