示談屋Ⅵ

 地下墓地を出ても、さほど明るさは変わらなかった。

「はぁ……ふぅ……」

「いいぞ、呼吸を忘れるな」

 宵闇に包まれたラングトンの路地を、俺は真っ直ぐ歩いていた。

「痛い……痛いよ……」

「気のせいだ。忘れろ……大した怪我じゃねえよ」

 いつか、誰かにもそうしたように、俺は語気に笑みすら交えながらそう言った。

 怪我や痛みに慣れていない人間にとって、恐怖心こそが最大の敵だ。

 両目を失ったことがあるこの女だって、実際のところ、まだ十六の子供に過ぎない。

「あんた、やっぱり大したやつだよ。自分よりも何倍も体の大きい男を突き飛ばすんだからな」

「……へへ……」

「それに、大したお人よしだぜ。まだ会って二日も経ってない俺のようなチンピラをかばうなんてな」

「べ、別に……ボクは高潔な人間じゃないよ……」

 薄く目を開けたまま、イルミナは答えた。

「どうしても……どうしても師匠の作った魔法義眼を……回収したいんだ……部品泥棒と戦うためには……どうしても君の力が必要だから……」

「…………」

 力なくそう呟いた義眼職人に対して、俺は思わず沈黙した。

「……なぜそこまでして師匠の義眼とやらに拘るんだ? 師匠はもう死んだんだろ。あんたが命をかける意味なんて、どこにもねえはずだ」

「……必要なんだ」

 そう呟いたイルミナは、俺のコートの胸元を両手で握り込んだ。

「ボクがボクであるために……人生を取り戻して……もう一度……自由に生きるために……」

「……!」

 その言葉を訊いた時だった。

 まるで心臓の中心から発生した吹雪が身体じゅうの血管の中を暴れまわるような衝撃に襲われる。

 ふいに顔面にビンタを食らったような、寝ているときに頭から氷水を掛けられたような……とにかく、義眼職人の震える手から、その執念が俺のコートを伝って伝わって来た。

 この感覚を、俺は知っている。

 ちょうど、戦場で敵と向かい合った時の感覚だ。

 その爛々と光る目から、泡を吹いた口角から、皺の寄った鼻の付け根から……殺意だとか、命への執着だとか、生々しく巨大な情念がこちらにも伝播してくる。

 その熱量に浮かされて、俺たちは殺し合い、生き残り、そして抜け殻になった。

 それに匹敵するような激情が、この今にも消え去りそうな弱々しい意識の少女から伝わって来る。

「恥も外聞もないことは承知だよ……だけど……お願いだよヴィンセント……部品泥棒から……金色の義眼を取り返してほしい……」

「……気散じに、下らねえ話をしてやるよ」

 思わず、俺はそんなことを口走っていた。

「『英雄』になりたくて、あんたくらいの歳の時に田舎を飛び出したんだ」

 イルミナは、俺の言葉に小さく頷きを返す。

「羊を追いまわして毛を刈るだけの人生は勘弁被る。そう言って、自分だけのための小さい玉座が欲しくて軍に入ったのさ。魔法の腕さえあればのし上がれると思ったんだ。実際はそんなこともお偉方はお見通しで、俺みたいなやつは絞れるだけ絞って使い捨てさ。名誉だ英雄だなんて眩しい言葉に、俺のようなバカなハエはすぐに群がった」

「…………」

「結果、このザマだ。今さら田舎にも帰れねえし、町には自動車なんてもんが走り出して、青い血の使いどころなんてありゃしねえよ」

 玉のような汗を浮かべて小さく喘ぐ義眼職人に、俺ははっきりと告げる。

「だが、気付いたぜ……牙を抜かれてたってことによ……何かのせいにするのは簡単だが、逆恨みでも噛みつくことを忘れちゃいけねえや」

 回りくどくなったな……と、俺は話を続ける。

「いいぜ。あんたの代わりに、部品泥棒をぶちのめして義眼を取り戻してやる。あんたのためじゃなく、俺が俺であるために」

「……恩に着るよ」

 そうこうしているうちに、俺はスラム街へ辿り着いていた。

 据えた匂いが漂う街の一角、過剰な施錠のされた鉄の扉の前で、俺は立ち止まる。

「俺に借りのある闇医者がいる。今からあんたをそこに預ける。やつから紅茶を勧められても絶対に飲むな。睡眠薬を盛られて臓器を抜かれてお釈迦だ。困ったら俺の名前を出せ。そうすれば野郎はあんたをプリンセスのように扱うはずだ。いいな?」

「……わかった」

「よし」

 言うや否や、俺は鉄扉をブーツで蹴りつけた。



 ロイヤルホールの外に立っていた警備員は、俺より小柄だった。

「サイズが合わねえな」

 『借りた』制服を身に纏って、俺は堂々とホールの関係者出入り口から侵入していた。

 身も蓋もないことを言えば、俺はデカくて目立ちすぎる。

 かなりの人数の警備員が配置されているようだが、責任者に見つかれば正体がバレるだろう。

 とはいえ、片っ端から警備員をぶちのめすわけにもいかない。

 俺にはもっとスマートな策がある。

 人知れずホールの隅に移動すると、俺はポケットの中から小さな瓶を取り出した。

 『クロロホルム』と記載された瓶には無色透明の液体が入っている。ナイスフェロー医院へ訪問したときに、人目を盗んで拝借した物品だ。モルヒネと迷ったが、こちらにしたのは正解だった。

 俺は右手に短杖を握ると、ゆっくりとトリガーを引いた。

 杖の先からは霧のようになった俺の血が吹き出して、やがてそよ風へと変じてその色を失った。

 瓶を開けて液体を床に向けて垂らすと、薬品は静かに風に乗ってホールの奥まで漂っていく。

「我ながら天才的なアイデアだぜ」

 推理小説のように、クロロホルムをかがせてすぐに人を昏倒させるような真似はできないが、長時間をかけて少しずつ嗅がせてやれば効果を発揮する。

 舞台裏まで響く歌姫の声に耳を傾けながら、俺はその時を待っていた。



 場所を変えつつ同じことを繰り返すこと、おおよそ十分ほどだろうか。

 見た限りは舞台係も含めたすべての人間が、床に横たわっていた。

「だらしないこって……」

 スノウ=ホワイトの公演は、クライマックスを迎えていた。

 生でその声を聴くのはこれが初めてだが、偽物だと知っていてもその歌声に破綻はないように思えた。

 俺のような無教養な人間には芸術のことなど一つも理解できないが、舞台袖から盗み見る限り、ホールを埋め尽くす金持ち連中にも真贋の見極めはできていないようだった。

 すぐそこにいる人間が、これまで三度もやり合った部品泥棒とはにわかに信じがたい。そこに立っているのは、すべてのスポットライトを一身に集めた紛うことなき大スターだ。

 本当にあいつがギデオンなのか? いや……あの地下墓地で見たものがなによりの証拠だ。間違いない。

「……」

 柄にもなく緊張している自分に気が付いて、俺は一人苦笑した。

(バカが……プロだっただろうが……)

 何かを託されてここへ来ているつもりか?

 思い上がるな……俺はなにも背負わないクズで、だからここまで生き残ってこられたんだ。

 右手で腰のホルスターに触れると、相棒は確かにそこにあった。

 歌姫の発した最後の一音、その残響が完全に消えたと同時に、俺は舞台のカーテンを閉めるべく舞台袖のレバーを回し始めた。

 割れんばかりの拍手の中、舞台上にたった一人で立っているスノウ=ホワイトは、ただ深々と頭を下げていた。

 簡単だ。近づいて、二、三発ぶち込んで、殺さない程度にシメてから義眼をいただく。

 地下墓地のことは、俺にとっちゃどうでもいい話だ。

 完全にカーテンが降りきっても、スノウ=ホワイトは頭を下げたままだった。

 舞台上は、舞台袖よりも暑い。スポットライトや、スノウ=ホワイト自身の熱気によるものだろう。

 頭を下げたままの歌姫も、傍まで近づいた俺に気が付いたらしい。

 表情をピクリとも変えずに、彼女は体を起こした。

「カーテンコールは諦めるんだな」

「……警備の人間は?」

「あんたの歌が眠いんだとよ」

「それは残念だ……練習不足だったかな」

 杖を抜いたのは向こうが先だった。

 ギャリリリリッ!

 拳大の氷の塊が飛び込んでくるのをすべて迎撃した俺はギデオンの足を打ち抜こうと短杖を構え直したが、向こうもそれは承知らしい。

 深紅のケープを大きく広げると、自らの姿を隠すようにそれを放り投げた。

 カーテンの向こう、客席からは未だに万雷の拍手が鳴り響いている。

 氷の塊を壁のように生成しながら、ギデオンは舞台袖の方へと消えていく。

 どうやら簡単にはいかないらしい。


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