外科医Ⅳ

 病院の周辺まで駆け戻った時、近くの通りが騒然としているのに気が付いた。

 死体を抱えているところを見られるわけにはいかないので遠くから様子を見ていると、どうやら当の病院が人に囲まれているらしい。

「……どうなっているんだ」

 一刻を争う状況だが、まさか人を押しのけて通るわけにもいかないので、私は遠回りして病院の裏口から入ることにした。

 裏口のカギを閉めることも忘れて病院の中を進んでいくと、蒼白になった父が手術室の近くに立っていた。

 ひどく汗をかいており、髪も乱れている。

「……おお! ギデオン! 今までどこにいたんだ!? ……なんだその娘は!?」

「なんの騒ぎです?」

「スノウ=ホワイトが舞台上で倒れたのだ!」

 サテンのチェスターコートを羽織ったまま、父は錯乱した様子でそう答えた。

「それがどうしてうちの病院の周りに人が集まるんです?」

「わたしがこの病院に運ばせたのだ」

「なんですって!?」

 思わず声を荒げた私に、父はしどろもどろになりながらわけを話し始めた。

「そもそも、他の病院では治せない病気でいたんだ。お前ならなんとかできると思ってな……」

「彼女がここで死んだとなれば、うちの病院はおしまいです!」

「お、お前は医者じゃないか……」

「あなただって医者でしょうッ!」

 怒鳴り声を上げてから、私は我に返った。

 違う、今は言い争っている場合はではない。

「……スノウ=ホワイトよりも前に、私にはやることがあります」

「その抱えている娘か? 一体誰だね?」

「花売りの娘です。路地裏で倒れていました」

 父は目を白黒させた。自分が何を言おうとしているのか、まったく理解できていない様子だった。

「とにかく、スノウ=ホワイトを優先して治療してくれ……満員のホールが彼女を待っているんだ!」

「……ッ!」

 私はそれ以上父と言葉を交わすことなく、ロザリアを抱えたまま手術室へ駆け込んだ。



 死体が二つ、並んでいた。

 ずたずたに切り刻まれて、無残にも血に塗れた死体と、まるで眠りについたかのように美しいままの死体。

 命の終着は皆平等に訪れるものだが、目の前の光景が公平なものだとは断じて言えない。

 病院を囲む人だかりからは、悲鳴のような怒号が鳴り響いている。

 二つの死体の前に立ち、私は静かに自分の呼吸音を聞いていた。

 死してなお、人間は平等にはいさせてもらえない。今眼前にあるのは、そんな救いようのない事実だけだ。

 ふと、手術室に小さな花瓶が置いてあるのが目についた。

 ブルーベルの小さな花が、場違いに挿されている。

『変わらぬ心』

 ブルーベルの花言葉。

 芸術品のようなスノウ=ホワイトの死に顔を前にして、悪魔のような考えが湧き上がる。

「……復讐と言いましたね」

 呟いても、スノウ=ホワイトはなにも答えない。

 彼女はただそこに、完全な美しさを保ったまま横たわっている。

「その『復讐』……私が引き継がせてもらいますよ」

 誰も返事などしなかったが、私は確かに、私の中に潜んでいた悪魔が首肯したのを聞いた。

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