示談屋Ⅴ

「カルテだ……」

「カルテ?」

「医者が書く……患者の診療記録書さ」

 気味の悪い地下墓地には、部品泥棒の野郎が集めた体のパーツ以外にも、本棚がいくつも置いてあった。

「こんな場所でもお勉強ってのは驚いたな。お医者サンの顔色がみんな悪いのも納得だぜ」

「……」

 イルミナのほうを見やると、彼女はそのカルテとやらに夢中になっているようだった。

 どうやら部品泥棒はこの場所にはいないらしいし、俺にとっては拍子抜けだった。

 することもないので壁に並べられたパーツを一つずつ眺めていると、一つだけ気になるものが目についた。

 それは、他のパーツと同じように瓶に納められた人間の脳だった。

「……脳味噌?」

 部品泥棒は、確か美しい女性の最も美しい部位を盗んでいくのではないか?

 その噂通り、他の瓶に詰められたものはどれも綺麗なものばかりだ。まあ……目玉一つの美しさを審査するのは難しいだろうが……

 ともかく、少なくともほかのパーツは外観を評価できる代物であるのに対して、脳だけは違う。頭蓋骨の中に納まっているものであり、外に露出しているのだとすれば大事だ。

 そもそも、パーツは盗んでも人は殺さないという噂の部品泥棒だが(これも、フェイギンを殺したことが事実なら嘘になるが……)、脳味噌を抜き取られて生きている人間がいるのか?

 訳が分からず脳みその前で立ち止まっていると、イルミナが驚嘆の声を上げた。

「これ……スノウ=ホワイトのカルテだ」

「スノウ=ホワイト? 歌姫か?」

「うん、間違いなさそうだよ」

 ぺらぺらと紙をめくる音と共に、イルミナの声にも興奮が宿る。

「彼女……難病のようだ。何人もの医者が匙を投げるような大病で、このカルテが書かれた時点でもう余命は一年を切るような状況だったみたい」

「……そんなんで歌えんのか?」

「病気の治療は諦めて……残り短い人生を歌に捧げることにしたと、そう書いてある」

「健気なこった……」

「いや、違うんだヴィンセント。このカルテはおかしい」

 イルミナ緊迫した雰囲気でそう言った。

「おかしい? なにが?」

「このカルテ……書かれたのが三年前だ」

 俺も思わず脳から目を離すと、ランタンの下でカルテに目を走らすイルミナに身体を向けた。

「……余命の見当を間違えたってわけじゃなさそうだな」

「昼間に新聞でも見た。三年前のラングトン公演で、スノウ=ホワイトは開演直後に倒れている。そのままラングトン公演は中止になったはずだよ」

「……ここ三年でスノウ=ホワイトは世界を回っているはずだ。まだ生きてんのは間違いないぜ」

「ボクだって、パレードで彼女の姿を見たよ」

「なら、三年前にぶっ倒れた後に手術が大成功したのか?」

「……そう信じられない理由が、ここにはありすぎる」

 他人の部品を自由自在に切り出して、パーツを個別に保存できる技術を持った医者。

 そいつが自由にできるパーツは果たして他人のものだけなのか?

 三年前に見つかった不自然な死体。

重病を患いながら世界を回り続ける歌姫。

今なお地下に並べられる新鮮な体のパーツ。

俺とイルミナは、同じ結論に辿り着いていた。

「……三年前、この病院で死んだのは『ギデオン・ナイスフェロー』じゃない」

「今夜、ロイヤルホールで歌うのも『スノウ=ホワイト』じゃねえな」

 イルミナはカルテを閉じると、それをハーフパンツの後ろに挟んだ。

「……行こう。今なら彼女――彼がどこにいるかは明確だ。そこで決着をつけよう」

 パンッ!

 唐突に響いた破裂音は、俺の放った風魔法によるものだ。

「照らせッ!」

 イルミナに叫ぶと、彼女は素早くランタンを階段の方へ掲げた。

「……ッ!?」

 息を飲む音をかき消したのは、人にして人ならざる呻き声。

「そりゃ、バラバラにできんなら、逆にこういうこともできるよな……!」

 地上へ続く唯一の階段を塞ぐように現れたのは、大量の死体をつなぎ合わせた青白い怪物だった。

 肉団子のような丸い体に、無数の手足や眼球が無理やりくっつけられている。ひどく腐臭を放つそれは、どこかナマコに似ていた。

 この闇の中だから気が付かなかったが、そんな化け物が地下墓地の奥からぞろぞろと湧き出ている。

「き、気付かなかった……地下墓地に死体があるのは当たり前だと思って、すべての棺穴を調べていなかった……!」

「反省してる場合かよ!」

 空気弾を撃ち込んでやるが、化け物どもの動きは止まらない。

 青白い皮膚が風にたわむばかりで、空いた穴からは青黒い血が時折吹き出す。

「無理やり生かされてるんじゃ、こんなもん効かねえか……!」

 パニックになりかけているイルミナを背後に押しやって、俺は杖のトリガーについている針で親指の腹を深く傷つけた。ちまちまと血を装填している場合ではない。

「風穴開けるだけが芸じゃないんだぜ?」

 トリガーに指を通して回転させてから、俺は引き金を強く引いた。

 バシュンッ!

 と先ほどよりも大きな発射音と共に飛び出した俺の血は、怪物の体の奥深くまで貫くと同時に無数の風の刃となり奴の体を内部からずたずたに引き裂いた。

 とても人間相手に撃てる魔法じゃないが、化け物相手なら気にしなくてもいいだろう。

 怪物はたまらず悶え苦しむ様子を見せると、その身から突き出した腕や足を激しく暴れさせた。

 だが、反応はそれにとどまる。

 地面に散らばった手足は、それ自体が個別に動き出して俺たちへ迫って来ていた。

 斬撃弾を打てば打つほど、状況は悪化するばかりだろう。

「こ、こんなもの……生み出していいわけがない!」

 幾分か冷静さを取り戻したイルミナが、背後で声を震わせていた。

「倫理のお説教はここを出てからだ!」

 どうやら怪物どもにも意志はあるようで、壁に納められている部品を守っているようだった。

「いっそ部品を全部ぶっ潰しちまえばいいのか?」

「だめだ! そんなことをしたら何が起こるか分からない!」

 そうこうしている間にも、骨がきしむような音を立てながら醜悪な肉塊はこちらに近づいて来ている。

「それに……部品は元の持ち主たちに返されるべきだ。ここで壊してしまうわけには――危ないッ!」

 鬼気迫るイルミナの声と共に、俺は勢いよく突き飛ばされた。

「うわぁあっ!」

 体勢を整えながら目を向けた先では、死角から飛び出した化け物にイルミナが吹き飛ばされているところだった。

 彼女の軽い体は石造りの壁に叩きつけられて、そのまま力なく地面に倒れ込んだ。

「…………」

 急激に冷静さを取り戻していく自分に気が付く。いや、これでも遅すぎるくらいだ。

 この後の戦いに備えて血を節約しようなどとは考えなくていい。目の前の危機にのみ全力で対処する。それこそが戦場での鉄則だ。

 際限なく杖へ血を装填しながら、近寄る怪物たちを逐一細切れにしていく。死なないにしても、動けないようにすればいいだけだ。


 おおよそ二、三分が経っただろうか。カタコンベの湿った床にはなおも蠢く無数の肉片が散乱していたが、ひとまずの安全性は確保できたようだった。

「おい。大丈夫か」

 ぐったりと壁にもたれかかったままの義眼職人に近付くと、俺は身を屈めてその様子をよく観察した。

 もともと色白だった顔がいよいよ土色になっている。ひどく汗をかいているのは痛みのせいだろう。

「立てそうか?」

「はぁ……はぁ……む、むりかも……」

「そうか……ちょっと触るぞ」

 浅い呼吸を繰り返して上下する胸の下あたり、そこに掌を軽く当てると、イルミナ

はびくりと体を跳ね上げた。

「ぁあぐっ! ……うぅっ……」

「……肋骨か。折れちゃいねえにしても、ヒビは入ってるかもしれねえな」

 どのみち自分で歩くようなことはできないだろう。

 俺はイルミナの背中と足の下に腕を差し込むと、そのままその体を抱え上げた。

「そのまま、呼吸は小さく繰り返せ、いいな。あまり肺を膨らませると骨に刺さるかもしれん」

 小さく頷いたイルミナを抱えたまま、俺は早足に地上へ向かう階段へと足を進めた。

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