示談屋Ⅳ

 覚えていた通りの場所に、ナイスフェロー医院はあった。

 病院にしては随分と派手な構えで、こんなラングトン一等地の大通りにどっかりと居座っている。俺のような人間が病気にかかろうと診てもらえるような場所ではないのは明らかだ。

 噂には聞いていたが、金持ちや貴族相手の『治療』ばかりをしているのは本当のようだった。

「ただ、なんとなく前に見たのとは雰囲気が違うような気がするな……」

「病院というよりも高級サロンに見えるけど」

「実際、中でやってることは普通の治療じゃないらしい。金の余った貴族の血を、若い処女の血と入れ替えるとか、古い臓器を新しい臓器と入れ替えるとか、顔のパーツを入れ替えるとか……まあ、そういう商売だ。そう考えると、部品泥棒の正体が医者だってのは筋が通ってるな。これまで予想もしなかったのがバカバカしいぜ」

「なるほど……こんな一等地でやっていけるわけだ」

「もともとは古い教会だったはずだ。一等地の土地を遊ばせておくわけにもいかないってんで、教会は潰してファンシーな病院になったってわけだ。ただ、最後に見たときはもっと派手な見た目だった気がするんだがな……」

 と、雑談をしている場合ではない。

 これからギデオン・ナイスフェローとやらの情報を聞き出さなくてはならない。真っ直ぐ入って真っ直ぐ聞いたんじゃ怪しまれて終わりだ。

 ここへきて示談屋として経験が生きるとは思いもしなかったが、怪我の功名だろう。

「いいか、俺たちは今から借金取りとしてあの病院に入る。それで、ギデオン『じゃない』やつが出てきたらそいつと話す。家族だったら尚更いい。俺はギデオンに大金を貸していると説明して、そいつに焦燥感を植え付けるわけだ。こうなりゃ少し凄んでやるだけでほしい情報はなんでも手に入る。抵当としてそのメスを預かっていると言えば証拠になるだろう。今から俺が社長、あんたが助手だ」

「……そんなことしていいのかな?」

「今更ビビるなよ。ほら、行くぞ助手」

 渋るイルミナを引き連れて、俺は医院の豪奢な扉を開いた。



「あの、ご予約は……」

「いや、今日は治療に来たわけじゃない」

 受付の女にそう言ってやると、彼女は一目で俺がいつもの客と違うことに気が付いたのだろう。慌てた様子で奥に引っ込んでいった。

 横でイルミナが不安そうにもじもじしていたので、肘でつついて真っ直ぐ立たせる。こいつ、もともと泥棒だったのにどうして尻込みしてやがるんだ?

 そんなことを考えていると、受付の奥から女に連れられて太った男が出てきた。

 いかにも金満家という風体の男だった、どことなく虚栄心よりも不安を感じさせる表情だ。

 太っている割にはやつれているように見えるその男は受付の女を下がらせて、俺とイルミナを交互に見た。

「当院になにか御用でしょうか……ご予約がなければ本日の診療は難しいのですが……」

「だから、俺たちは客じゃねえよ。なんだ、あんたここの責任者?」

「自分は院長のジェイコブ・ナイスフェローですが……」

 ビンゴだ。

 同じ苗字の中年男が出てきたということは、こいつはギデオンとやらの親父だろう。

「助手。例のブツだ」

 左手をイルミナへ差し出すと、イルミナが慌てはじめた。

「は、はい! 社長!」

 手渡された白い布を開いて、中のメスを取り出すと俺はジェイコブにそれを突き出した。

「こいつに見覚えはねえか」

 驚いた顔をした途端、弱みに付け込んで色々と聞き出してやる。

 勝利を確信して様子をうかがっていると、中年男が目を見開いた。

 あ、と思う間もなくジェイコブは俺からメスを奪い取ると、それを胸に抱いて泣き始めた。

 もはや慟哭と表現しても差し支えないその泣きっぷりに俺も面食らっていると、横のイルミナが小声で囁きながら俺を肘でつついてきた。

「ちょっと……やりすぎだってヴィンセント……!」

「いや、俺もここまでの反応は想定外だが……」

 病院中に響く慟哭の声に、俺たちのやりとりはかき消されていた。こうなればもう脅すどうこうの話ではない。

「これは……これは私の死んだ息子のメスです……」

 嗚咽交じりながらはっきりとそう答えたジェイコブに、俺もイルミナもただ目を合わせて戸惑いを共有するしかないのだった。



 丁寧に別室に通された俺とイルミナは、テーブルを挟んで座るジェイコブが落ち着くのを五分ほど待った。

 脅迫して情報を引き出そうとしていた俺としてはここからどうしていいのかまったく分からないが、もはや出たとこ勝負で進めるしかないだろう。

「あの……」

 と雰囲気に耐え兼ねたイルミナが声をかけると、ジェイコブは思い切り鼻をかんでから途切れ途切れに話し始めた。

「取り乱してしまい……申し訳ございません……このメスは、私の息子、ギデオンが医科試験に合格した際に贈った特注のメスなのです……」

「お亡くなりになったとお伺いしましたが……」

「ええ……三年前、ギデオンは突然この世を去りました……」

「それは……ご愁傷さまです……」

 ジェイコブにつられてますますしんみりとした雰囲気になるイルミナに呆れた気持ちでいながら、俺はジェイコブに質問を投げかけた。

「自分たちは息子さんに多額の金を貸していましてね、その担保としてそのメスを預かっていたんです。本当に息子さんが死んだのか、証拠もないんじゃ帰れませんな」

 横でイルミナが信じられない冷酷無比なものを見るかのような目で俺を見つめていたが、俺はそれを無視した。

「ウッ……息子はまさにこの医院で死んだのです……その時、警察に撮られた写真は今でも持っています……」

 俺たちを部屋に通すまでの間に、要件を察知して準備したのだろう。ジェイコブは一枚の写真をテーブルの上へ出した。

「なにぶんショッキングな写真ですから、あまり直視できないかもしれませんが……」

 写真に目を向けると、確かにひどい有様だった。

 褐色の肌の男が床にうつぶせになっており、その頭は床に落とした花瓶のように無残に砕けて、青い鮮血が床にぶちまけられている。これで生きている奴はいないだろう。

「……失礼ですが、息子さんと肌の色が違うようですな? 本当にご実子なので?」

 そう聞くと横のイルミナが信じられない差別主義者を見るかのような目で俺を睨んだが、俺はそれも無視した。

「彼はヒンディア移民の孤児で、ほんの赤子の時に私が引き取ったのです」

 ジェイコブは涙ながらにそう答えて、深い後悔をにじませるように自らの眉間を抑えた。

「思えば、私が息子を追い詰めたのです……どんな人間にも分け隔てなく医学の恩恵を分け与えるべきだと教え、育ててきたのに……その教えを誰よりも裏切ったのはこの私なのです……この医院も、今の患者との関係を少しずつ清算した後はすぐ畳むつもりです……」

 ここまでのことを言われては、さすがの俺もそれ以上の追及はできなかった。

「息子がお借りしたお金はすべて私が返済いたします。まだ蓄えもありますから、いくらでもお申し付けください……」

「いや、なんだ……その……」

 答えあぐねていると、テーブルの下でイルミナが俺を蹴って来た。

「まあ……そうだな……あんたはよくやってるよ、先生。息子さんも天国で笑ってると思うぜ……うん……だからそんなに自分を卑下するなって」

 俺とイルミナはゆっくりと立ち上がって、個室の出口へ向かった。

「金はいいや……うん……死んじまったならしょうがねえ」

「そういうわけには――」

「いや、いいって! いいって! お元気で!」

 食い下がろうとするジェイコブから逃げるように、俺とイルミナは病院を飛び出した。

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