示談屋Ⅲ

 二日ぶりに事務所の方へ行ってみると、さすがに建物が封鎖されていた。

 見たところ警察は一人もいなさそうだったが、無理もない。今日はスノウ=ホワイトの公演だ。示談屋が一人死んだ程度のことに構っていられないだろう。

 とはいえ、もう一度事務所にもぐりこんでなにか痕跡を探るような真似はできなさそうだった。

 面倒だが、フェイギンが誰から恨みを買っていたか、情報を足で稼ぐほかなさそうだ。

 やつが示談屋の前に高利貸しをやっていたのは知っている。債務者どもの誰かがその時のことを恨んでフェイギンを殺したのだとすれば面倒だ。誰が金を借りていたかなど見当もつかない。

 幸い、示談屋稼業で情報の集め方は心得ている。

 ロングマン夫妻の家を訪ねる前にも、あの奥さんの職場まで足を運んで上司の男をぶん殴って情報を掴み取ったものだ。

ただ、今回はそんなに乱暴なことをする必要はない。

口が集まる場所に情報は集まる。口が緩むところなら尚更いい。

男の口が大勢集まって、かつ男どもの口が緩む場所と言えば一つしかない。



半分が地下に埋まっているそのバーは、この辺のクズどもが夜な夜な集まる掃き溜めの社交場だ。

ここにいるだけでラングトンの路地裏の事情はすべて手に入ると言ってもいい。

 図書館で書類の山とにらめっこしているであろうイルミナには悪いが、俺は昼間から酒を煽りながら気楽に情報収集といこう。

 クズの飲酒に昼夜など関係ないから、当然この辺のバーはいつでも扉を開いている。俺たちにとっては教会のようなものだ。

 ドアを開けると、神父……ではなくバーテンダーがつまらなさそうにグラスを磨いていた。

 俺に気が付いたバーテンダーは、亡霊を見たかのように目を見開く。

「い、生きてたのか……ヴィンセント……」

「どっこい生きてるぜ」

 客なんてほとんど俺しかいなかった。近くで警察の気配があればすぐこうだ。

 カウンターの前にどっかりと座ってやると、俺はポケットから札を掴んでカウンターの上に放った。

「ブランデーだ。いいやつを出せよ? いつもの安酒じゃなくてよ」

 余計気味悪そうに俺を眺めた後、バーテンのオールバックの親父は棚の奥の方からましなブランデーを引っ張り出した。

「面倒な金じゃないだろうな。トラブルは勘弁だよ」

「金に面倒もクソもあるかよ。貧乏酒場のくせに金を選べる立場でもねえだろ」

 汚いものに触るように金を回収すると、バーテンはグラスを俺に差し出した。

「それに……もうその金を欲しがる奴はいねえから安心しろよ」

「フェイギンの金か」

「おうよ」

「……あんたが殺したんじゃねえだろうな」

「殺してやりたかったが、残念ながら俺じゃない」

「まあ、そうだよな……あんたはちまちま解剖するほど気が長い男じゃない」

 またグラスを磨きはじめながら、バーテンはカウンターの端に置いてあった新聞を俺に放った。

 手繰り寄せてみると、一面にはでかでかとスノウ=ホワイトの写真が掲載されている。

「倉庫の死体、あっちはあんただろ。歌姫さまのおかげでギャングも警察もだんまりだ」

「……俺じゃねえよ」

「どっちだっていいけどよ。ここもいつベラトニックの縄張りになるか分からないんだ。余計なことして店で戦争起こすなよ」

「うるせえバーテンだな。あんたの店じゃねえだろ」

 ブランデーを煽ってから、俺は自分で酒を注ぎ始めた。構うもんか。店ごと買えるぐらいの金があるんだ。

「フェイギンを殺した野郎、ありゃただもんじゃないぜ。俺はちょうど現場に居合わせちまった」

「……本当か?」

「ああ、顔も見られちまったし、俺が襲われるのも時間の問題だ」

 そう言ってやると、バーテンの顔がみるみる曇りだした。

 復讐や殺人は伝染病のように広がっていく。執拗な犯人ほど、情報を根絶しようと死体を増やしたがる。

 そんな殺人鬼の情報を聞かされるということは、すなわち導火線に火のついた爆弾を手渡されるのと同じことだ。

「……あんた、ロクな死に方しないよ」

「悪く思うなよマスター。あんたが知ってることを洗いざらい教えてくれりゃあ、俺が直々に奴を片付けてやるよ」

 俺の言葉に心底うんざりした様子でため息をつくと、バーテンはグラスを置いて声を潜めた。

「……フェイギンが元は高利貸しだっての知ってるな?」

「知ってるぜ」

「なら、あいつが三人兄弟だってのも知ってるか?」

「……そいつは初耳だな」

 そうなるとそいつらの親の顔が見てみたいものだが……

「フェイギンは末っ子だ。上に二人兄貴がいるんだが、昔は三人そろってラングトンで金貸しをやっていた。溝にはまった野良犬を囲んで殴るような真似を平然としやがるクズ中のクズだ」

「マスターの罵詈雑言を聞きながら飲む酒はうまいね」

「なにがあったかは知らねえが、二年くらい前に一番上の兄がウェネキアへ行って自分の金貸し屋を開いた。向こうの方が景気がいいらしい。フェイギンともう一人の兄はラングトンで金貸しを続けていたんだが、去年のはじめてにフェイギンが金貸しをやめた。あんたがあの示談屋に入る前の話だ」

「兄貴と喧嘩でもしたのか?」

「いや、ウェネキアに行っていた一番上の兄貴が死んだらしい」

「死んだ?」

「……ちょうどフェイギンがやられたように、全身の内臓をほじくり出されて殺されたらしい」

「……なに?」

「そうだよ。フェイギンと同じ殺され方だ」

「高利貸しの兄貴が殺されたから、自分も同じ目に遭うと思って金貸し稼業から足を洗ったってわけか」

 あの豚が事務所から離れたがらない理由は、どうやら金庫の番をしたいだけではないようだ。

 そうなれば、次に狙われる奴は考えなくても分かる。

「フェイギンのもう一人の兄貴ってのはどこにいるんだ?」

「今でもラングトンさ。弟と違ってずっと高利貸しを続けていたんだが、兄弟が二人とも惨殺されたとなっちゃ、さすがに効いたんだろう。昨日から家に閉じこもっているらしい」

「……」

 残ったブランデーを飲み干すと、俺はグラスをカウンターに戻した。

「そいつがどこに住んでんのか教えてくれ」

「あんたが知らないはずがないんだがね」

 意味ありげにバーテンが口にした住所を聞いて、俺はバーを飛び出した。



「引っ越さねえとな……」

 足早に家まで戻りながら、俺はしきりにホルスターの中の杖を触れて確認していた。

 仮に部品泥棒が現れたとして、前回のような無様な戦いはできない。

 特に、この杖を失うことは絶対にできない。仮にまた体を動かせなくなった場合、四肢を差し出した方がまだましだ。

 行きの五倍の時間もかかったような気がする帰りだが、俺はフラットの前まで戻って来た。

 いつの間にか、辺りはすっかり暗くなっていた。イルミナもそろそろ戻っている頃だろう。

 住み慣れたフラットがまるで戦場だ。いや……もとより住みよい場所ではないか……

 とにかく、フェイギンの兄――サイクスとか言ったか。そいつは俺の真上に住んでいたらしい。

 道理で家が臭いし体の調子も悪いわけだ。

 俺がタコ殴りにした上でフラットの屋上に括りつけてやれば部品泥棒のほうも探さずに済むだろうが、そうもいくまい。

 部品泥棒との再戦にあたり、気を付けなくてはならない点は大きく二つだ。

 まず、絶対に目を合わせないこと。

 そして、間違ってそいつの義眼を破壊しないこと。

 油断のできない相手であるのにもかかわらず、こちらは手加減をしなくてはならない。警察でもないから殺してしまっても問題はないが、義眼を壊してはまずい。イルミナとの約束も守ってやる気があるというのもあるが、あいつが言うような危険な義眼だった場合、破壊した途端に大爆発なんてこともあり得る。

「……」

 とりあえずサイクスがまだ生きているかだけでも確認したいが……

 足音を立てないようにフラットの階段を上がっていく。

 敵に会ってから杖を抜いているんじゃ間に合わない。俺はホルスターから短杖を抜いてトリガーに指をかけていた。

 サイクスの部屋はすぐそこだ。

「……」

 なんとなく嫌な予感がして、俺はサイクスの部屋の扉のノブをゆっくりと捻った。


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