義眼職人Ⅲ
目が覚めると、ボクはどうやらベッドの上に寝かされているようだった。
ヴィンセントが椅子の上から移してくれたのだろうか? 粗暴な人間だと思ったけど、根は優しいのかもしれない。
体を起こすと、部屋の隅から野太くて短い悲鳴が聞こえた。
あ、そうだ……今は義眼を嵌めていないんだった……
「ごめんよヴィンセント。そこにある行李鞄を渡してくれないかな」
数秒後にベッドの上に放られた行李鞄に触れて確認すると、ボクはいつもの手順で鞄のロックを外し、中から義眼を二つ取り出した。
いつも通り両目に嵌めれば問題なく視界がクリアになる。
何回か瞬きをして視界を整えていると、椅子の上で気味の悪そうな顔をしたヴィンセントがボクを見下ろしていた。手には煙草を摘まんでいる。
「……器用な奴だぜ」
「ふふ、世界を感じるのに使うのは目だけじゃないからね」
う~んとボクはその場で伸びをする。
「ベッドを譲ってもらったようで申し訳ないね。昨晩はよく眠れたかい?」
「……おうよ」
歯切れの悪いヴィンセントだった。あまり眠れなかったのかな?
「さて、今日は別々に行動というわけだけど、お互いこの部屋を拠点としよう」
「はいはい。夕方には戻ってこられるだろうよ」
相変わらず大あくびをしてから、ヴィンセントは渋々といった様子で椅子から立ち上がた。
★
いよいよ今日はスノウ=ホワイトの公演日ということもあって、ラングトンの町は浮かれきっている。
大図書館へ向かう間、やけに歩道に人だかりができていた。
周囲の会話を聞くに、どうやらスノウ=ホワイトのパレードが実施されるらしい。
パレードをしたところで、家を買うより高いと言われるチケットは五年先まで売り切れている。この人だかりの中で実際に歌姫の歌劇を観覧できる人間はゼロだと断言できる。
だからこそ彼女の姿を一目見ようとここに集まっているのかもしれないけど……
なんとか人ごみを抜けようとしても、慣れていないラングトンの道でボクは立ち往生してしまった、
あれよあれよいう間に人に取り囲まれてしまい、ボクはすっかり群衆の真っただ中に埋もれてしまった。
「あ、ちょ……ちょっと……あわわ……」
小柄なのが災いして、巨大な群衆の流れに逆らえない。
なんとか人がいない方へ動けないかともぞもぞしていると、ボクは人だかりの隙間から顔を出すことに成功した。
どうやら道路沿いの最前列に飛び出したらしい。なんだかずるいことをしたような気もするが、皆スノウ=ホワイトが来るであろう方向を眺めるのに必死でボクを糾弾する者はいない。
早く図書館に行きたいのに……
落ち着かない気持ちでいると、やがて通りのずっと向こうから歓声が聞こえてきた。どうやらすぐそこまでスノウ=ホワイトは来ているらしい。
歓声が段々と大きくなるにつれて、通りの向こうから黒い車がゆっくりと現れた。
上空を飛んでいた警備隊の箒も先行してこちらへ飛んでくる。賑やかでもあり物々しい雰囲気だ。
これだけの厳戒態勢であれば、どれだけベラトニックファミリーがいきり立っていようともそれほど目立った動きはできまい。ボクとヴィンセントにとっては有利な状況だ。
歓声はますます大きくなって、感覚が過敏なボクにとっては不快な状況だ。
耳を塞いでやりすごしていると、ついにパレード車がここまでやって来た。
ゆっくりと走行する車は屋根が取り払われていて、高い位置にあるその座席の中心には圧倒的なオーラを放つ歌姫の姿があった。
噂に違わぬ絶世の美女だ。その細い体からどうやってホール中に響き渡たる大音声を放っているのかはまったく見当もつかない。
三年前には公演中に倒れたという噂だったけど、笑顔で群衆に手を振る仕草は実に健康そうだった。
スノウ=ホワイトがボクの目の前を通過したその時、ボクは微かに柑橘系の香水の匂いを捉えた。
遠ざかる彼女の背中は、ひしめく群集に遮られてすぐに見えなくなった。
★
さすがというかなんというか、大図書館にはすべての主要な新聞社の過去数十年分に及ぶ新聞が保管されていた。ラングトンに来た目的の一つがこれだったから、目論見通りにいって良かった。
地方の新聞まで探すのは骨が折れそうだが、ヴィンセントを危険な目に遭わせている以上、ボクだって手は抜けない。
どっさりと新聞を積み上げていると気が遠くなりそうだ。それでも夕方までにはなにかしらの答えを見つけ出さなくてはならない。
「……よし」
と小さく呟いて、ボクは新聞を広げだした。
この量の新聞を一部ずつ読んでいては半年かかっても手がかりなんて見つかるわけもない。
だからといって方法がないわけではない。
人もまばらな地下書庫。大きなテーブルに新聞を目いっぱい広げてから、ボクは脚立を抱えてテーブルの傍へ置いた。
その最上段へ昇ると、大きなテーブルを見下ろす形になる。
数十枚の新聞紙をすべて視界に収めた状態で、ボクはそっと魔法仕掛けの右目を手で覆った。瞬きをしながら左目に意識を集中すると、機械仕掛けの義眼が動き出す。
常人には不可能な速度で紙面から紙面へと視線を飛ばす左目からは、整理された情報が脳に流れ込んでくる。
脳への負担は言わずもがな、だけど、今はそれを気にしている場合ではない。
薄暗い書庫には、ボクの左目が駆動する音だけが響いていた。
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