義眼職人Ⅱ

「うひゃあ、これは……荒れているね」

「文句を言うなら叩き出すぞ」

「ごめん、ごめん」

 酒と煙草とカビの匂いで充満した部屋は、まるで空き巣に入られていたかのように荒れ果てていた。衣服もゴミも散乱しているし、窓ガラスは割れたままに木の板を乱暴に打ち付けられている。まだ新しそうな酒瓶が転がっている様子から、昨晩は相当荒れたようだ。

 驚異的な戦闘力でクアゾ率いるギャングの集団を打ち倒したヴィンセントは、驚くべきことに部品泥棒とつい昨日交戦したらしい。

 あの倉庫に留まっていてはベラトニックファミリーに見つかってしまう。クアゾを失い、部品泥棒捕獲作戦にも大きな支障が出ているとはいえ、部品泥棒捜索の手を緩めるとは考えにくい。

 ボクとヴィンセントは捕まっていた女性たちをスラム街から逃がすと、日が傾く中、そそくさとヴィンセントのフラットへもぐりこんだのだった。

 日当たりの悪いヴィンセントの部屋は、すっかり日暮れの様相だ。

「泊っているホテルに男の人を連れ込むわけにもいかなくてね」

 ヴィンセントは帽子をその辺に放り捨てると、ゴミや服が積みあがっていたベッドや椅子を乱暴に払いのけた。

 一層散らかった部屋で長い手足を器用に折りたたみながら、ヴィンセントはベッドの上に収まった。

彼が顎で椅子を指し示すので、ボクは足が欠けてがたつく椅子の上に腰かけた。

 なんとかバランスを取ってヴィンセントの方へ目を向けると、彼はベッドの下に転がっていたトマトの缶詰を手にしていたところだった。

 着たままのチェスターコートから折り畳みナイフを取り出すと、彼はそれをブスリと缶の蓋に突き立てる。

 あっという間に蓋を開けたヴィンセントは、そのまま缶の淵に口を付けてジュルジュルとトマトを啜り始めた。

 なにも言えずにその様子を眺めていると、疲れ切った様子のヴィンセントが手の甲で口元を拭う。

「……何を食っても味がしねえ。金があったって、高い店に行って旨いふりをするだけだ」

 どこか虚しそうにそう言った彼は、もう一つトマト缶を拾うとボクに差し出した。

「あんたも食うか? 丸一日何も食ってねえんだろ」

「え、遠慮しておこうかな……」

「そうかよ」

 未開封の缶を放り捨てると、ヴィンセントは開けた缶の底に残ったトマトを口に流し込んだ。

「それにしたって、一人で連中のアジトに乗り込んだって? 大したガキだぜ……」

「ガキじゃないよ! こう見えても十六歳なんだよ」

「ガキじゃねえか」

 『食事』を終えたらしいヴィンセントは、続いてベッドの下からスコッチの瓶を引っ張り出すと、コルクを歯で引き抜いて中身をがぶがぶと煽りだした。途端に工業用アルコールのようなきつい匂いが漂い出す。

「で、なんだったか……そうだ、部品泥棒だ。あんた、義眼職人だって?」

「そう、ボクは義眼職人のイルミナ。〈イルミナ〉というのは屋号のようなものさ」

「ふぅん……」

 水でも飲むかのように安酒を腹に納めていくヴィンセントの様子には閉口するほかないが、ボクは自分の身の上話に集中することにした。

「先代の〈イルミナ〉、すなわちボクの師匠は、いわゆる狂人でね。義眼を作ること以外の事象とは隔絶された人間だった。受けている仕事だってまともなものではなくて、暗殺者だったり、政府の要人だったり、決して口外できないような『特注品』ばかりを作っていたのさ」

「……全部過去形だな」

「師匠はつい半年前に死んだんだ。おそらく他殺だ」

 満足したのか、ヴィンセントは酒瓶を床に置いてボクに視線を向けた。

 『死』というキーワードは、彼に興味を持たせるに十分だったようだ。

「師匠が作っていた義眼は、すべて特殊な作用を持つ危険な義眼だ。後継者であるボクですらその機能のすべてを把握できていないほどのね……そんな危険な義眼を師匠が作り続けていた理由はただ一つ。『究極の魔法義眼』を作るためだった、らしい」

「究極の? 魔法義眼なんて見えりゃいいじゃねえか」

「その言葉に素直に頷くことはできないけど……とにかく、師匠が常に固執していた究極の魔法義眼は、師匠が製作したという痕跡だけを残して、そのすべてが工房から散逸していた。完成したがゆえに殺されたのか? あるいは、完成前に何者かに殺害されたのか? 究極の魔法義眼が完成していたとして、それが師匠の意図しない形で世に放たれていたとしたら、悪意を持つ人間に利用されて大変なことになるかもしれない」

 ボクのその説明を聞いているのかいないのか、ヴィンセントはぼんやりとボクを眺めていた。

「師匠の遺品を整理していると、どうやら八つの特別な義眼――〈天窓の八義眼〉を何年もかけて制作していたらしいんだ。これまでの作品からはかけ離れた強力な魔法義眼で、師匠にとって、それまでの作品はその八つの義眼を作り上げるための試作品にすぎないらしい。師匠の技術の粋をつぎ込んだそれは、師匠を殺害した何者かによって工房から持ち出されてしまった」

「その八つの義眼が『究極の魔法義眼』なのか?」

「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。八つすべて合わせて意味があるかもしれないし、そのうちの一つが師匠の究極の目標だったのかもしれない」

「はっきりしねえなあ」

 と言って、ヴィンセントは大あくびをした。

「ボクとしてはもう少し真剣に話を聞いてほしいんだけども……」

「聞いてる、聞いてるぜ。その義眼を持ってんのが部品泥棒の野郎だってんだろ」

「おそらくね。金色の義眼で、目が合った他人の体の動きを止めるという特徴は、ボクが工房で見つけた痕跡と一致するんだ」

「それが究極の義眼だとして……なんでそんなけったいなモンが女体のパーツ集めが趣味の変態の手に渡ってんだ?」

「それは……わからない。義眼の本来の持ち主ではないかもしれないし、あるいは師匠になにか意図があって部品泥棒のために特注したのかもしれない」

「『かもしれない』ばかりじゃねえか」

「……そうだね」

「それに、胡散臭いな。初対面の俺なんかにべらべらしゃべっていい内容じゃねえだろ」

 ぎろりとヴィンセントと睨まれたボクは、ただ力なく肩を落とすしかない。

「……半年もかけて、ボクはまだ八つの内の一つだって所在を掴めていない。ここまで部品泥棒まで近づけたのは初めてなんだ。師匠の制作物がこれ以上世間で大きな事件を引き起こすことを防ぐためには、猫の手だって借りたいさ」

「猫の手とは失礼な奴だな」

「そういう意味じゃないよ……とにかく、君の腕は言うまでもなく信用しているし、君がボクの話を聞いてどうこうするとも思わない」

「……根拠のない信用は危険だぜ?」

「信用はその本人ではなく、その周囲の人間を見て判断すべきなのさ」

「あん?」

「エレノアから君の話は少し聞いているよ。元軍人なんだってね」

「……」

 エレノアとヴィンセントがどんな関係だったかはよく知らないけど、ヴィンセントがあの倉庫に姿を現したのは、エレノアと彼女の妹を救うためだったということは確かだ。

「ともかく、君は部品泥棒に一度襲われていることから、再度襲われる可能性も高い。ボクとの協力が必要なのは君も変わらないんじゃないのかな?」

「……まあな」

 器用なことに不機嫌そうに笑って見せると、ヴィンセントは顔を掌で擦った。

「わかった、協力してやる。手足になってやってもいい。その代わり、あんたは知ってる情報を全部教えてくれ」

 ああ、あと、これは言っておかなきゃならねえな。とヴィンセントは左手の指で顎の下を掻いた。

「俺はもう軍人じゃねえ。示談屋をやってたんだが、それも昨日で廃業した」

「廃業?」

「ボスが部品泥棒に殺されたんだよ」

「……示談屋のボスというのは、綺麗な女性なのかい?」

「そんなわけがあるかよ。この世でもっとも醜悪な男だ」

「それは……部品泥棒の犯行の特徴とは違うね」

「噂じゃ殺しはやらないらしいが、その情報は更新したほうがいいぜ。ありゃ徹底的だったからな」

 ヴィンセントはその時のことを思い出したようで、青白い眉間に皺を寄せた。

「腹を掻っ捌いて内臓の一つ一つを取り出して並べてやがった」

「……」

 部品泥棒の犯行と言えば、夜の闇に紛れて美女を襲い、痛みを感じる間もなくその身で最も美しい部品を盗み取ってしまうというものだ。

 被害者たちが覚えていることといえば黒いフードと、そして一度目が合えば『目が離せなくなる』という奇妙な金色の目。

 芸術的ともいえるほどの手際だと言ってもいい。決して惨殺死体を作り上げることが目的だとは思えないけど……

「でも、黒いフードに金色の目は確かだったんだよね?」

「間違いない。黒いフードに柑橘系の香水の匂い、それであの金色の目だ。目が合った瞬間金縛りみてえに体が動かなくなった」

「……欲しかった内臓があったとか?」

「フェイギンの内臓に綺麗なもんなんて一つもねえよ」

 吐き捨てるようにそう言うと、ヴィンセントは膝の上に手を組んだ。

「人殺しの現場なんていくつも見てきたが、あれは相当の殺意だぜ。女の体のパーツを集めてなにかに使うとか、人を殺すことで世間に対してなにかアピールしたいとか、そういうもんじゃない。殺すために殺す。確認が必要なくなるほどに完全に殺しきることが目的のやり方だ」

「つまり……復讐ということかい?」

「十中八九そうだな」

 随分と自信ありげにそう答えたヴィンセントだが、元軍人で、おそらくギャングの用心棒も務めたことがあるだろう彼が多くの死体と向き合ってきたのは事実だろう。

「イルミナっていったか。あんた、部品泥棒を見つけてどうするつもりなんだ? 殺して義眼を奪い取るのか? それともあんたの師匠の話とやらを聞き出したいのか?」

「可能であれば……後者、かな」

「それが難しいってことは分かってんだな」

 その犯行の痕跡から、部品泥棒が高い戦闘能力を持っているのは明白だ。目的が何かは依然として分からないものの、これから彼に出会えたとしても穏やかな会話などできそうもない。部品泥棒が義眼を他の持ち主から強奪したのだとしたら、なおさらだ。

「この際、俺が矢面に出ることに文句は言わないが、いざというときは遠慮なく殺させてもらうぜ」

「……うん、分かった」

 そういった想定を、まったくしなかったわけではない。そもそも危険な義眼の正体と行方を確認するというこの旅自体、命の危機に瀕することも、他人の命を危険に晒すこともあるだろうことは容易に想像できた。それでも、明確な意思を持って行動し、その結果として誰かが命を落とすという事実に対して、ボクはすんなりと覚悟を決めることをできないでいた。

「そうと決まったら、明日からいろいろと動かねえとな」

 思い悩むボクをよそに、ヴィンセントは三度目のあくびと共にベッドの上に仰向けになった。

「ベラトニックの馬鹿どもがやったみたいに、女を餌にするのはなしだ。どんな綺麗な女でも、部品泥棒の野郎が気に入るかは分からない。しかもこうも見え見えの罠を張っていちゃ、部品泥棒もそう簡単には寄ってこねえだろ」

「……女性への襲撃じゃなくて、君のボスであるフェイギンの殺害を利用するということかな」

「そうだ。この町にフェイギン以外の復讐対象がいるなら、やつは絶対にそこに現れる。部品泥棒がそこを突き止めるより早く、俺たちは先回りしてそいつを殺されるのを阻止する必要がある。フェイギンが買ってる恨みなんてのは数えるのも嫌なほどあるだろうが、俺はその辺をあたってみる」

「それならボクは……図書館に行って今までの部品泥棒に対する新聞記事でも探してこようかな。ラングトンなら何年も前の新聞記事だって置いてあるはず」

 ヴィンセントは特になにも答えず、ボクに毛布を投げてよこした。

「俺はもうへとへとだ。悪いが今日は寝させてもらうぜ」

 かび臭い毛布をどうしたものが分からず困っていると、すぐにベッドの上からいびきが聞こえてきた。

 がたつく椅子の上で小さく丸まって、ボクはやむなく毛布をかぶった。

 実現が不可能かとも思われた義眼蒐集の旅が、こうして少しずつ成果に近づいている。

 ここまで他人を巻き込んでは、もはや引き返すこともできない。

 お腹の底が冷たくなっていく感覚に、ボクは小さく身震いをしたのだった。

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