トリ あえず

川線・山線

第1話 迷子の渡り鳥

「♪渡り鳥は~帰っていきました~♪」


今年の合唱コンクール、課題曲を音楽の授業で練習している。例年は、中学2年生は力強い「ダム」の歌だったが、今年から課題曲が変更された。理由は分からない。


僕は音楽には詳しくなく、授業で習ったことしか分からない。今歌っている曲は4声合唱といって、女性は高音部を「ソプラノ」、低音部は「アルト」。男性の高音パートは「テナー(テノール)」、低音部は「バス」というそうだ。パート分けの時、先生が一人一人、「ドレミファソファミレド」と歌わせて、「君はテナー」「君はバス」と振り分けてくれたのだが、私が歌ったときには、先生は少し躊躇していた。「テナー」に入れるには低く、「バス」に入れるには高かった、ちょうど中途半端な音程だったようだ。数秒躊躇した後、先生は、


「松野君は、『バス』にしておこうか」


という少し適当な感じで、「バス」のパートになった。


バスのパートになったはいいが、練習するとどうしても「出せない」音がある。「高い音」を出すのも難しいが、これは練習次第で1音くらいは上げられるのだが、低い音ではそうはいかない。


やる気がないわけではないが、出ない音を出そうとすると音程がおかしくなるので、そのフレーズはいわゆる「口パク」でごまかした。


曲の歌詞は極めてシンプルな話だ。渡り鳥が飛び立っていく。その瞬間にふとよそ見をしていた一羽の鳥。気が付くと周りに仲間は誰もいなくなっていた。どうしようかと寂しく思っているときに、遠くの空から聞こえてきたのは、お母さん鳥の声だった、というものである。


前年までの「ダムの歌」は力強くて、歌詞にも深みがあったのだが、それを嘆いてもしょうがない。音楽の授業では何度も何度もこの歌を繰り返した。あまりまとまったクラスではなかったので、合唱もどうだったのだろうか?自分が歌っているから全体の纏まり具合は分からないが、もう一つだったのではないだろうか。


この曲を歌いながら、中学生の僕は、くだらないことを考えていた。


「たくさんの群れが一斉に飛び立つのだから、羽ばたく音も大きなものだろう。『そろそろ旅立ちの時』と知っているのだから、普通は気づくんじゃないか?」


とか、


「『ほんのちょっと、花に見とれていた』という歌詞なら、気が付いて上を見れば、まだ最後尾は見えていたんじゃないだろうか?」


「お母さん鳥が戻ってきてくれたようだけど、今度はお母さん鳥と主人公の鳥が『取り残された鳥』になるんじゃないか」


などなど、イチャモンの付け方が、もう子供の屁理屈(いや、その時の僕は実際に「子供」なのだが)である。


「お母さん鳥が戻って来たけど、主人公の鳥が自分の勘だけを信じて飛び立っていたら、すれ違いになったのではないかなぁ」


なんてことも思ったりした。実際の迷子でも、子供が混乱してあちこちに動いてしまうので、捜索が難航する、ということはよくあることである。


「お母さん鳥」と「子ども鳥」がすれ違ってしまったら、どうなっていたのだろうか?


2羽の「トリ あえず」じまい、である。2羽そろって残念なことになっていたのだろうか?


なんてことを考えてしまった、中二の秋である。



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