第37話 リズベットの帰還

 まさかの旧シュタイン領への訪問で、懐かしい者達と再会したリズベットであったが、長居するわけにもいかない。今の彼女にはするべき事がある。王都に帰ってユーフィリアに情報を伝えなければならない。リズベットがかつての使用人達と話したのは、パルフェが商品の荷下ろししている時間のみであった。

「姉さん良かったのかい? 一泊位はしていっても良かったんじゃないかと思うけど」

「それは駄目よ。時間が経てば経つほど離れにくくなるわ。私の代わりに治めてくれているサランデル伯爵にも迷惑をかけたくないしね」

「いや、むしろすっごく残念そうにしていたよ?」

「そうなの?」

 感動の再会の衝撃が大きすぎて、サランデル伯爵には感謝していても、彼本人の事はリズベットの記憶に残らなかったらしい。

「あれだけお近づきになりたいオーラ出してたのに……ちょっと不憫かも」

「……ですな」

 サランデル伯爵の乱入を率先して阻止していたパルフェとライネルであったが、彼が少しかわいそうになった。悪い印象でないのが唯一の救いか。



 そうしてリズベットは王都に帰ってきた。パルフェと別れ、王城に辿り着いたリズベットを待ち受けるのはもちろんユーフィリアである。その隣にはチェルシーの姿もあった。仁王立ちでいかにも私怒ってますな様子な彼女に、リズベットは苦笑いを浮かべる。

「チェルシー嬢からすべて聞きましたよ。予定通りに帰らず、勝手にグレイシア国まで行っていたなんて、少しは危険を考えてください。もしあなたに何かあったなら、商会の方が罰せられたかもしれませんのよ?」

 迎えの挨拶よりも先にお叱りの言葉が出るユーフィリア、それもそのはず、今回の旅はかなり危険なものであった。野盗等から襲撃があり、リズベットに何らかの危害が加えられたとしたら、間者と見られてグレイシア王国内で殺されたりなどしたら、など考えればきりがない。

 それにもし何か事件が起きてしまったら、一緒にいたパルフェ達が罰せられる事になる可能性が高い。パルフェ自身それを承知した上で引き受けてくれたわけだが、本来国にとって重要な人物を警護なしはありえない。

 無論パルフェも野盗対策として護衛は雇っているが、あくまでそれは野盗対策である。暗殺者などいわゆるプロの集団が相手では、いくらライネルがいると言ったってひとたまりもないだろう。

「ごめんなさい。でもチャンスは逃せなかったの。次の機会なんていつ来るか分からなかった。それに正式な訪問だと目標は果たせなかっただろうし」

「言いたい事は分かります」

 ユーフィリアはリズベットの言う目標を正しく理解していた。国の要人として国を跨ぐには多くの制約がかかる。安全ではあるが自由はない。そして訪問された側は、弱みは見せたくないので、悪い面は隠そうとする。その国の真の姿は見られないのだ。

 正しく見極めるには一般人の姿の方が良い。誰もが遠慮しないただの人の方が。

「勝算だってあったわ。パルフェ商会は信用あったし、彼女の友人という立場はグレイシア国では安全は保障されたようなものよ。それでねユーフィリア、グレイシア国はね」

「はい、話を変えようとしない!」

「くっ!」

 リズベットは現場主義であるが、現場主義とは言い換えれば行き当たりばったりでもある。だから今回のように先に突っ走ってしまう事もままある。そんなリズベットの十八番が自分の成果を強調し、有耶無耶にしてしまう事であるが、ユーフィリアには利かなかった。

「ここまで心配をかけたのですから、有益な情報を持ってくるのは当然です。あのリズベットがただで帰ってくるわけないじゃないですか。でもそれを聞くのは説教が済んでからです。あなたはもっと自分の重要性を考えてください! うまく行ったから良かったものの……」

「でも外出は許可してくれたじゃない?」

「あくまでリッチモンド領までですよ! なんでグレイシア国まで行ってるんですか! 領政で忙しいはずのチェルシーさんを伝言役に使ってますし」

「あ、私はあんまり気にしていませんよ。はい」

 チェルシーはひらひらと手を振る。確かにリズベットが来てから色んな事がひっくり返り、慌ただしい日々を送っていたチェルシーであったが、元異世界人である事を暴露できた事で心理的負担が激減したので、気にしていないは本音である。

 むしろ理解者を得た事で彼女の野望は大きくなり、リッチモンド領水洗トイレ計画が、フローディア国水洗トイレ計画まで広がった。彼女としてはまたどこかで功績をあげて、顔見知りとなった二人に水洗トイレ計画を売り込む予定である。元異世界人は逞しいのである。

 ユーフィリアの次のターゲットはライネルであった。

「ライネル、あなたもなんで許したんですか! あなたがリズベットを止める最後の番人でしたのに」

「申し訳ありませぬ。しかしタイミングとしてはこれ以上ないのは確かでして」

「リズベットみたいな事言わない! どれだけ染まってるんですか!」

 ライネルがリズベットのグレイシア国行きを許可したのは、場の空気に流された結果であったが、落ち着いて考えてみると彼女以上に適任がいないのも事実であった。

 仮に別の者をグレイシア国に代わりに行かせたとして、一体どれ程の情報を得て来るであろう? ただ行って帰ってくるだけではないのか。というか現にそうなっている。

 例えば魚、グレイシア国の食を担う海産物は、フローディア国の物にとって未知の異物。それを口にするのは勇気がいる。たかが食べ物と思うかもしれないが、食は生活における比重が高く、食のレベルを知る事は相手の国の強さを知るのと同義である。単純に食料があるないだけでなく、味や見た目を楽しむ余裕があるかなど、食だけでも分かる事は多くあるのだ。

 だがこれまで諜報員からの情報に魚文化の詳しい話は上がっていなかった。ただ魚を食べているという上っ面の情報だけである。これではまるで豊かさが伝わらない。

 それに人というものは負の感情に敏感だ。人も他の生物と同じように生存本能があり、己を守るため悪意を察する能力は必須である。一般的なフローディア人ではグレイシア人に対して、少なくない差別意識があるし、表でいくら良い顔していても、裏の本音を隠しきれるとは到底思えない。

 差別意識を持たないリズベットだからこそ、パルフェという味方を得たし、グレイシア国でも面白い姉ちゃんで通っていた。それらを踏まえて考えると、リズベットこそが適任であるのは間違いないわけで。

 リスクを負ってまでやる事かについての答えは出て着ないが、リズベットじゃないと状況は動かなかったのは事実である。ユーフィリアとしてもその事は理解している。だが感情としては納得出来ない。

「民間人として紛れ込むにしても、せめて護衛を増やすとか、色々出来たでしょう? もっといろいろ準備してから……」

「ユーフィリア、それ本気で言ってる?」

「え?」

 それ以上言葉にせずじっと見つめてくるリズベットにユーフィリアは気づいた。

「リズベット、あなた……」

 ユーフィリアの問いにリズベットは頷いた。ユーフィリアとしてもその可能性を考えないわけじゃなかった。だがリズベットはユーフィリアのようにずっと王宮にいたわけじゃない。アシュリーの事は話してあるが、偽聖女事件の詳細は知らないはずであるし、ましてやその裏の存在なんて知りようがない。 

 でももし公爵家令嬢暗殺未遂事件が、誰かに仕組まれたものと独自に辿り着いていたのだとしたら、リズベットが不意打ち気味にグレイシア国に行った説明が出来てしまう。誰かとも分からない黒幕を出し抜くためだ。

 ユーフィリアは考える。もしリズベットがユーフィリアに正式な了承を取り、複数の護衛をつれて王都を出発したとしたら。護衛の数を増やしたら重要性が高いと見なされるし、荷物が多ければ多いほど遠い地と推測される。それはかえってリズベットの身の危険をさらすような行為でないか。

 リッチモンド領への訪問もリズベットとライネル、二人という小規模だからこそ、マークを抜けられた可能性が高い。

 実はユーフィリアは王都の入り口を監視させている。警備のための門番はもちろんいるが、それとは別に密かに王都への出入りを監視する者達を配備しているのだ。彼らはローテーション制であり、私服である事も相まって特定するのは困難である。

 リズベットとライネルが王都を出る前後は特に注意をしていたわけであるが、二人の行動を探るような怪しい者は見当たらなかった。さらなる保険としてリッチモンド領にいる諜報員には、リズベットが出る前日に伝達を送っている。だからこそユーフィリアは安心してリズベットを送り出せたのである。

 ユーフィリアはリズベットがとっくに昔に暗躍する影に気づいていた事を流石と思いつつも、どこか複雑な心境であった。知っていたという事は危険と知りつつも王都に戻ってきたという事なのだから。ユーフィリアとしてはとても助かったが、度胸がありすぎではなかろうか。

「よく気づいていながら王都に来ましたね」

「だって逃げてばかりでもいられないでしょ? いずれは戦う運命なんだから」

 リズベットのその言葉には重みがあった。確かにリズベットの夢が和平なのであれば、主戦派の可能性が高い彼らとぶつかるのは必然だ。そしてレナードとユーフィリアだけでは炙り出せなかったのは事実なわけで、リズベットにはいつ話そうかと悩んでいたわけだが、リズベットはとっくに知っており、覚悟を終えていた。

 ユーフィリアとしては守られるだけのリズベットではないと知っていたが、ここまでの情報を集めていたなんて、軟禁時はどのような生活をしていたのか。ユーフィリアが内部が怪しいと思ったのは偽聖女事件以降であるが、リズベットは何がきっかけだったのか。

「一体何時頃から?」

「ここで話すにはあれだし、別の場所にしない?」 

 ユーフィリアはリズベットの言葉にふと今己がいる場所を思い出す。すぐにでも聞きたい気持ちはあったが、確かに王城の玄関口で話す話ではない。こんな大切な話を誰かに聞かれそうな場所で立ち話は明らかに駄目だ。冷静さをかいていた事を自覚したユーフィリアはこれ以上の詮索をやめた。

「ちょうどチェルシーもいるのよね。帰ってなくて良かったわ」

「へ? 私が何か?」

 何かシリアスな話になってしまってどうしようと迷っていたチェルシー、自分が聞いてもいい話なのだろうか、でも今からこの場からいなくなるのも変なような……動けなくなってしまった彼女を救ったのはリズベットの言葉であった。

「魚、食べたいかなと思って」

 いきなり魚の話になってきょとんとした表情を浮かべるチェルシーであったが、内容を理解するにつれ目が爛々と輝く。リズベットはちゃんとチェルシーの密かな期待に応えてくれたのだ。

「さ、魚! マジですか!?」

「ええ、皆にも食べてもらおうとお土産に買ってきたのよ。今なら時間的にも丁度良いでしょう。期待してもらってもいいと思う。本当に美味しいからおじ様も今回の旅で魚を好きになってしまったのよ?」

「ライネル?」

 ユーフィリアはじど目でエンジョイしていたライネルを見る。だがライネルは自分にも言い分はあると反論した。

「グレイシア国に行くからには私も全力で検証しただけです。異国の文化に敬意を示すのは大切ですから。ちゃんと生の魚だって食べたんですよ」

 真面目な仕事してますアピールであるが、生魚に元日本人のチェルシーが反応しないわけがない。

「生っ!? 刺身、刺身なんですか!?」

「ええ、刺身は新都で人気になっていました。鮮度が重要故、あそこでしか味わえない貴重な物ですな」

「ああ、何てこと……それだけで行きたくなっちゃいますねグレイシア国!」

 テンションが上がりまくってるチェルシーにユーフィリアは困惑気味である。ただこれからの流れはまず試食会になるであろう事は察せられた。当然ユーフィリアも食べる事になるのだろう。いきなりの未知の食材は恐ろしくもあるが、リズベットだけでなくライネルも美味しいと言う。そしてこのチェルシーの輝く目は本物である。

「まじめな話をする前にまずは食事といかない?」

 案の定の流れにユーフィリアはため息をつく。まだ文句も言い足りないし、真面目な話もすぐにしたいが、すぐにでも移動した方が良いのは確かである。期待と不安の中、ユーフィリアはそばで控えていたアシュリーを呼んだ。

「アシュリー、これを料理長まで持っていってくれますか? 調理法は……」

「はいこれ。レシピはパルフェから預かってるわ」

「本当に用意が良いですね。じゃあアシュリー、これも一緒に」

「かしこまりました」

 果たしてユーフィリアもまた魚の魅力に取りつかれるのか。とりあえず魚を食したチェルシーは感動のあまり、涙を流していたと言う。

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