第36話 リズベットは土地勘がない
パルフェが突発的に提案した勝負に乗ったリズベットであったが、その日十分な睡眠を取れたのか、実に気力がみなぎった様子で現れた。
「今日は勝たせてもらうからね!」
一方のパルフェは余裕綽々と言った感じで、己の勝利を疑っていない。
「ふっふっふ、当てられるものなら当ててみなよ」
そんな二人の勝負を、中立的な立場にいるライネルはどう思っているかというと、彼はパルフェの方に分があると考えていた。それには大きな理由がある。
自分の眼で確かめる事が重要と考えているリズベットであるが、その証拠とばかりに彼女は伯爵令嬢だった頃に様々な場所に行っている。記憶力も良いリズベットは行く先々の事は良く覚えていたし、この部分を考えるとリズベットの方にも勝機があるように思える。
だがこの思い込みこそが落とし穴であった。何せリズベットは伯爵令嬢だったのだから。貴族の令嬢であるのなら……
「ま、結果はいずれ明らかになりますし、私は事の成り行きを見守るとしましょうか」
リズベットが意気揚々と馬車に乗り込むのを確認して、ライネルもまた後に続いた。
こうして宿場町を後にしたリズベット達であるが、早速リズベットは馬車の外へを顔を出し、現在地を把握しようとする。ちなみにパルフェはフローディア国に入ったとは言ったが、どこの宿場町かはリズベットに教えていなかった。
だがパルフェは別に誰かに聞く事をルールとして禁止していない。故にもしリズベットが素直にパルフェ以外の誰かに聞いていたのなら、すぐに答えは返ってきただろう。リズベットがそんな簡単な事をしなかった理由は、パルフェが事前に仕掛けたブラフが効いていたからである。
すでに他の人はパルフェによって根回しされ、聞いても嘘の答えを教えられると思い込んでしまったのだ。実際のパルフェは根回ししていなかったわけだが。
よくよく考えれば、同じ馬車で揺られていたパルフェに根回しする時間なんてないのは分かりそうなもののであるが、リズベットは昨日の道中で寝てしまっているため、彼女自身知らない空白の時間があった。だからどうしても深読みしてしまったわけである。
そんなリズベットが辿り着いた結論が、自力で景色を見て当てるという、ものすごく地味な方法である。その後リズベットは「は、あれは?」とか、「もしかして!?」とか、閃いた風を装ってはやっぱり違うを繰り返した。
ライネルがパルフェの方を見ると、彼女はにっこりと笑う。リズベットがこうなるのは想定済みといった様子であった。そしてやってきた第一回目、お昼の答え合わせである。リズベットは自信満々に言った。
「答えはリッチモンド領ね!」
「はずれ」
「なんですって!?」
「姉さんはそもそもどうしてリッチモンド領だと思ったんだい?」
「だってリッチモンド領と取引あるのは知ってたし、だからそこに戻るのかと……」
リズベットの答えの理由は今見えている景色を全く考慮しておらず、まさかの己の推測のみであった。結局リズベットは景色から答えを探すのは諦めたらしい。そう、それぞれが個性的な見た目をしている街ならともかく、街道では似たような景色が多いわけで、景色だけで現在地を判断するのは存外に難しいのだ。
予想通りとなった展開にライネルは苦笑する。これぞ貴族の令嬢の弱点であった。何故なら基本的に貴族の移動は御者任せだ。そう、貴族は自分自身の力で目的地に辿り着くという経験が圧倒的に不足している。
人任せだとそれこそ移動というのは他人事で、自分の体験にならないため、得られる経験値量は無に等しい。だから覚えられるわけがないのは道理である。ライネルやパルフェから見れば、勝敗は初めから決していたといった感じだろうか。
それでもフローディア国の領の数はめちゃくちゃ多いという訳ではないので、当てずっぽうでも当たる可能性はゼロではない。まあすでにリズベットはその貴重な解答権を一回失ってしまったわけだが。
解答チャンスは夜の分残り一回となったが、夜はさらに答えを推測するのが難解になる。昼ならば見える景色も夜には何にも見えないのだ。ただ闇だけが広がっている。ヒントなど得られようはずもない。
夜が近くになるにつれ、刻一刻と視界が狭まってくる状況になって、リズベットは初めてパルフェに嵌められたと気づいたわけであるが、怒るよりも己が楽観視しすぎた事を恥じるばかりである。
「さあ、姉さん最後の答えは如何に?」
圧をかけてくるパルフェに威圧されるリズベット。それでも一矢報いようと、リズベットは己を信じ、堂々と自分が思い描く答えを言い放った。
「うん、外れ。姉さんの負けだね」
「……っ!!?」
だが悲しいかな、リズベットはそういった類の運は一切持っていない人間であった。リズベットはがっくり項垂れる。色んな場所へは行ったが、どう行くかは知らない。それを思い知らされたリズベットであった。
「良い教訓になりましたな」
「耳つきフードとつけしっぽ、2セットお買い上げありがとうございます! ってね」
パルフェは呆然としているリズベットのサイドテールを解き、耳つきフードをかぶせる。その姿はとても可愛らしく良く似合っていた。リズベットの目は死んでいたが。
なおパルフェとしてはこの結果は分かり切っていたので、高級品であるはずの耳つきフード達の価格はかなりお値引きになっていましたとさ。
屈辱の敗北から一夜明け、とうとう目的地へと到着する日となった。
敗北によって自分の土地勘のなさを露呈され、割と大きなダメージを受けていたリズベットであったが、次の日にはすでに敗北のショックから立ち直っていた。
ライネルは教訓と言ったが、確かにリズベット自身の足りない部分を知れた事は今後の役に立つ。学ばなければならないモノがはっきりしたのは悪い事ではない。リズベットは今後御者に任せきりではなく、自分で道順も覚えようと誓った。
敗北にこそ学ぶ。リズベットは転んでもただでは起きない女なのである。
一度切り替えたら頭も回るようになり、朝から調子良さげのリズベットは、てきぱきと出発の準備を進めるが、ふとまだ目的地を聞いていなかった事を思い出した。先日の勝負では不正解である事だけは聞いていて、肝心な答えをもらっていなかったのだ。
「そういえば結局目的地はどこなのかしら? 私まだ聞いていないわ」
「姉さん、それなんだけど目的地はもうすぐそこだし、せっかくなら到着した後、己自ら答え合わせってのはどうだい?」
「……随分と引っ張るわね? まあ良いけども。勝負はあなたが勝ったんだし」
「ま、悪いようにはしないからさ」
「?」
今一理解の追い付かないリズベットであったが、とりあえずパルフェが目的地をギリギリまで知らせたくない意図だけは察し、特に答えを急ぐ理由もない事から、パルフェの提案をそのまま飲む。
何か釈然としないものを覚えつつも、準備を終えたリズベットは馬車に乗り込む。宿を出た後の景色は相変わらず良く分からなかった。
「私、よくこれで勝てると思っていたわね」
「私達商人にとって、というか平民全てにとって迷うというのは単なる自己責任だからね。自分で覚えないとどうにもならないんだ」
「肝に銘じておくわ」
これまで御者に任せっきりであったが、何かあって御者が利用出来ない時に、道に迷って辿り着けませんでしたは流石に笑えない。プライベートならともかく、何か重大の仕事の最中にこれをやらかしたりしたら、とんでもない損失である。
「失敗出来る状況で失敗させてくれたパルフェ殿に感謝しましょう」
「ええ」
ライネルの言葉にリズベットは深く頷く。その後も無駄な事と思いつつも、リズベットは馬車の外の景色を眺め続けていたが、パルフェから目的地が近くなったと告げられ、ふと目の前に現れたものに目を見開いた。
丘の上に見える大きなお屋敷を見た瞬間、それまではよく分からなかったものが一転し、全てが反転する。リズベットの中の懐かしい記憶があふれ出し、体が打ち震えた。
その屋敷についてリズベットは良く知っていた。むしろ知りすぎていた。
「ここってもしかして……」
信じられないと言ったリズベットの問いにパルフェが頷く。
「そ、旧シュタイン伯爵家。かつて姉さんが住んでいた屋敷さ。姉さんがいなくなった後も、私はここで商売を続けていたんだよ」
盲点としか言いようがなかった。フローディア国で魚を一番知るのは、それを初めて食べたリズベットであり、一緒に食べざるを得なかったシュタイン伯爵家の人々だ。
そしてサランデル領になっても魚の味を知る使用人がそのままであるのなら、魚を買う可能性が一番高いのはサランデル領しかない。無意識のうちに候補から外してしまっていたのは、シュタイン家を守る事が出来なかった後ろめたさゆえか。
だが現在のサランデル領がユーフィリアの言った通りなのであれば門の先にいるのだ。かつてリズベットを慕い、尽くしてくれた皆が。
リズベットが言葉にならないといった様子で立ち尽くしていると、パルフェたちの到着を知ったのであろう。屋敷の門がゆっくりと開く。そこには懐かしい顔ぶれが揃っていた。記憶よりも年を取っているが、リズベットは彼、彼女らを確かに知っている。
「……お、お嬢様?」
「……皆っ!!」
リズベットの声を聴いた瞬間、彼女が本物だと確信し、皆湧き上がる。
「本当にお嬢様だ! 皆、お嬢様が帰ってきたぞぉ!!」
誰も予想だにしていなかった事で、皆涙を流していた。ある日突然引き裂かれた者達が長い時を経て再会したのだ。積もるものもあるし、泣きもするだろう。
「やりましたな」
感動の再会を演出したパルフェにライネルは賛辞を贈る。
「サランデル領の皆には姉さんの無事を伝えていたけど、やっぱり直接会わせてあげたいって思うじゃない? ようやく念願が叶ったよ」
一仕事終えたパルフェは実に満足げだ。目の前の光景を自分で作ったともなればそうもなろう。ライネルとしてもリズベットとの付き合いは短いが、それでも彼女の事を好意的に見ているし、そんな彼女が泣いて喜ぶ光景は眩しく映った。リズベットを恩人と言い切るパルフェには格別に違いない。
ただライネルはふと思った。きっとこれはユーフィリアもやりたかった事であろうと。先にやられてしまって悔しがるユーフィリアを思い描いて、ライネルは笑みを漏らす。だがライネルは見逃さなかった。感動の再会にちゃっかり混ざろうとしているサランデル伯爵を。ライネルはその太い腕で彼を引っこ抜く。
「ああ、もう少しで憧れのリズベット嬢の手を握れたのに!!」
「それはマナー違反ですぞサランデル伯爵殿?」
「手って言ってるけどむしろ抱き着こうとしてなかった?」
せっかくの演出した感動の再会を邪魔されたらたまったもんじゃないと、ジド目で見るパルフェにサランデル伯爵は謝った。
「大変申し訳なく思う」
優秀なはずであるサランデル伯爵であったが、今の彼は威厳もへったくれもなかった。
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